「最後くらいワガママに生きていい」…死を前にしたとき私たちに訪れる「5つの感情的段階」と、その最後の平安状態「受容」にたどりつくために必要なこと

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「最後くらいワガママに生きていい」…死を前にしたとき私たちに訪れる「5つの感情的段階」と、その最後の平安状態「受容」にたどりつくために必要なこと(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) (gendai.media)

いつまでも現役でいたい気持ちは誰にでもある。だが、「卒業」のタイミングを見逃して、老いさらばえるのはいかにも悲しい。人生の達人たちから、残り時間を愉しく、有意義に生きるヒントをもらおう。

最後はわがままに生きる

彼はうつ状態になり、次第に食事も喉を通らなくなって急激に衰弱していった。そして、自宅療養を始めてから1ヵ月半後、春日井さんは眠ったまま、息を引き取った。うつ状態での最期は、見守った家族にとっても悔いの残る看取りとなってしまった。

「人生を笑顔で終えるためには、最後くらいわがままに生きていいんです。周囲に思い切り甘えていいんです。

人生の終盤戦はその人のこれまでの生き方が映し鏡のように表れる時期です。配偶者や子供に辛く当たった人は、そっぽを向かれるし、見捨てられることもある。春日井さんの場合は、家族に慕われていたからこそ、家族が総出で寄り添おうとしてくれた。そのことにまず感謝して素直に甘えていれば、家族にも悔いが残らなかったかもしれません」(平野氏)

穏やかに人生を終えるためには、他人の死を受け入れ、学ぶことも大切だ。茨城県在住の前田康子さん(仮名・享年79)は夫の死を受け入れられず、精神が追い込まれた結果、孤独に死んでいってしまった。前出の武藤氏が言う。

ヘルパーや娘にきつく当たってしまう気持ち

「消化器系の末期がんを抱える前田さんの夫の訪問入浴を行ったのが最初でした。彼女は長年、連れ添った夫の死期が近いことに納得できず、ヘルパーや私に『あなたたちが下手くそだから夫が苦しんでいる』と毎日、悪態をついていたのです。いつしか、言葉も満足に発せなくなった夫にまで『はっきり喋ってよ!』ときつく当たるようになってしまうほど、精神的に参っていました」

その矛先はやがて一人娘とその家族にも向けられた。娘の家族は東京に暮らしており、共働き家庭だった。それでも、休日には実家に帰り、介護を手伝っていた。しかし、前田さんはそんな娘にも「親不孝者」と罵ってしまった。そんな母の様子に加え、子供の高校受験もあったことで、自然に疎遠になっていった。

前田さんの夫が亡くなったのは、武藤氏が訪問入浴に訪れてから1ヵ月半後だった。終末期の関係は散々ではあったが、やはり夫を深く愛していた分、大きな喪失感を抱いていた。ただ、少しばかり心の整理がついたのか、前田さんはそれまでの行いを反省している様子だったという。

幸福な最期「受容」に至るためには

「その半年後、今度は前田さん自身にすい臓の末期がんが見つかりました。夫と同じく、自宅で最期を迎えることを望みましたが、これまで家族やヘルパーを自分から遠ざけてしまっていたので、彼女に頼れる人はほとんどいなかった。結局、自分から施設に入り、誰にも看取られずにこの世を去っていきました」(武藤氏)

死の研究の先駆者である、エリザベス・キューブラー・ロス氏によれば、死を間近にした人やその家族の多くは、一般的に次の5つの感情的段階を経験するという。まずは「病気になるはずがない」という死の運命を「否認」する所から始まり、その死を否定できず「なんで自分だけ」という「怒り」が湧いてくる。

そして死から逃れるために手術するなど、何かにすがって「取引」するようになり、それでも死から逃れられないと「抑うつ」となる。

これらの状態を行ったり来たりしながら、第5段階の死を受け入れ、心に安らぎが訪れる「受容」にたどり着く。

「人生をうまく卒業したと思える方は患者本人も、その介護者も『受容』にたどり着いているように思えます。死の現実を受け入れた時、だったら限りある命をどう使って生きようかと考えられるようになる。つまり、死から生を考えられるようになるわけです。それが心の安寧、平穏を保ち、穏やかな最期に繋がっていくのです」(武藤氏)

幸福な最期を迎えるには、どう死にたいのか、死ぬまでにどう生きたいのかを自分自身で考え、家族と話し、理解し合うことが重要なのだ。

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