JR新大久保駅乗客転落事故現場から、徒歩10分の場所にある「都営・百人町アパート(通称「戸山団地)」での  孤立死の実態

今からもう20年以上前の話。

2001年(平成13年)1月26日(金曜日)の19時15分頃。

JR山手線・新大久保駅で、鉄道人身障害事故が発生した。

たまたま電車を待っていた韓国人留学生と日本人カメラマンが、泥酔して駅のホームから転落した人を見て、とっさの判断で飛び降りて助けようとした。しかし、進入してきた電車に挟まれ、即死した。

その後、JR新大久保駅の階段には「見知らぬ人を救おうとして巻き添えになった二人」を忘れてはいけないと、石碑のプレートが作られた。

転落事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレート(現在もある)


JR新大久保駅乗客転落事故現場から、徒歩10分の場所

自らのいのちを犠牲にしてまで、人の命を救おうとした二人の石碑プレートがある、そのJR新大久保駅から徒歩10分ほどのところに、孤立死が続発している都営・百人町アパートは存在する。

65歳以上の人が住民の半数を超える「限界集落」と言われる団地である。

入居条件として、所得制限や年齢制限があるため、若い世代が入居出来ず、高齢化が加速化し、孤立死が続発している団地として有名になってしまった。

筆者は百人町アパート内でひとり暮らしの高齢者宅を定期的に訪問し、見回り訪問を続けている。

孤立死問題に関わり始めたのも、百人町団地がきっかけである。

ひとり暮らしの高齢者を訪問すると、「1週間ぶりに人と話したよ」という切実な声が普通に聞かれる。

また別の高齢者からは涙を流しながら「この先、私はどうなってしまうのだろう。早くお迎えが来ないかな。ポックリと逝きたい」という悲痛な叫び声を、私は何度も聞いてきた。

そして、隣近所で孤立死が発見されると「えっ、また孤立死ですか。2か月発見されなかった?そうですか」以上、終わりである。

住民自ら、孤立死を無くそうとか、孤立死対策について皆で話し合おうと言う雰囲気は皆無である。

そして、住民の多くが当然のことのように、孤立死を見て見ぬふりをし、隠したがる。

オートロックなどの都会の住宅事情もあり、なかなか個人宅へ介入できないばかりか、介入されるのを拒否する高齢者も多い。

行政はもちろん、孤立死防止の活動を続けるNPO、地域包括支援センターや社会福祉協議会、民生委員なども関わってはくれているものの、なかなか解決にまでは至っていない。

また、見守り支援を続けるボランティアや民生委員自身が高齢化しているという現実、解散してしまった自治会を復活させ、顔の見れる関係作りを行おうとしても、若い世代が圧倒的に不足し、役員の担い手がいないという問題もある。

地域社会の再構築の重要性は分かっていても、なかなか進んでいないのが実情である。

私たちは戦後、都会を目指し、近隣との煩わしい関係を避け、自由で効率的な社会を作ってきた。

しかし、そのような社会は、孤立死という「痛み」を私たちに突きつけるのである。

「孤立死?甘えてんじゃないよ。そういう生き方を自分で選んできたんでしょ」

私たちの社会はお金で何でも手に入るような、便利で快適で効率的なサービス社会を自ら選択してきた。

その代償として、家族や隣近所など付き合いを断ち切ってきた。

孤立死がいけないと言ったところで、壊れてしまった家族や地域の繋がりを回復することは難しい。

ある意味、無縁社会と呼ばれる状態は「成るべくして成った」とも言える。

資本主義経済や便利なサービス社会を止め、かつてのような自給自足的な共同体、血縁関係に戻れと言っても現実的には難しい。

私が何とか孤立死を無くしたいと必死に活動しても、孤立死はますます増え続けるだろう。

孤立死防止の活動を続ける中で、社会全体の壊れていくスピードの方が圧倒的に早いのではないか?という気持ちが湧いてきて無力感に襲われることもある。

そして百人町アパートの孤立死防止運動に関わりながら、もうひとつ私は気がついたことがあった。

それは百人町アパートに限定すべきことではなく、日本社会全体にも言えることとして述べてみたい。

孤立死がここまで増えた理由に一つとして、宗教心(信仰心)の問題も見逃すことは出来ないと私は考えている。

各種新聞統計によると、現代に生きる日本人の70~80パーセントは、自らを「無宗教」と考えているという統計がある。

檀家制度に胡坐をかき、布教をして来なかった宗教者(僧侶)の責任も大きいが、戦後教育の中で宗教教育を排除したことで、ますます宗教心は欠如した。

宗教心が無いから、死者の送り方も分からない。

葬式の意味も分からない。

死んだら無になると考えるだけである。

従って、孤立死や無縁死が可哀想という発想すら、なかなか持ちにくいのが現代である。

しかしながら、自らを無宗教と呼ぶ人であっても避けて通る事が出来ないのが「生老病死」の問題である。

「死」の外注化

この世に生まれ、老いて、病気になり、死んでいくと言うプロセスは、どんな人も避けることが出来ない例外のない事実である。

にも関わらず、このテーマについて、真剣に考えたり、周囲の人々と話し合う機会は、社会の中になかなかな存在しない。

生老病死は、それぞれが「一人称」で考えるものであり、正解はない。

しかし、他人の意見に触れ、個人個人の価値観の違いに気づくことで、あらためて「生きる」ことを見つめ直すことに繋がる。

生老病死に寄り添い、「生と死」の問題を解決することが本来の宗教の役割であった。

しかし、今の宗教はどうだろうか?

人々の心の拠り所となるべき宗教は、オウム真理教の事件以来、「宗教は怖い」というイメージが先行し、人々の心の救済、心の拠り所とはなりえていない。

私たちの祖先は、死を思うことで「生」を考え、それが目に見えないものへの畏敬の念へと繋がった。

しかし、そのような「死」を思い、語る場が、今の社会の中には圧倒的に不足している。

病院や火葬場に「死」を隠蔽してきた結果、孤立死と言う剥き出しの「死」に直面して、私たちは戸惑っている。

そして「死」は隠された結果、葬儀社にとっては大きなうまみのあるビジネスチャンスとなってしまったのである。

無縁社会の中でひっそりと孤立の中で死んでいくのは悲しいと言う思いは、家族や近所付き合い、社縁や死後の死生観が確立していた一昔前の時代の考え方かもしれない。

終戦後しばらく、死とは、家族に看取られながら迎えるものであり、家族によって責任が求められてきた。

家族によって子育てから親の介護、看取りや葬儀、お墓の問題まで面倒をみるのが当たり前とされてきた。

しかし、現代では家族や地域の結びつきが弱まり、病院死が約8割と、一般的になってしまった。

死の看取りは、医療従事者の専売特許と変化した。

いわば死の外注化である。


孤立死や無縁死とは、病院と家族による囲い込みからからこぼれ落ちるものとも言える。

百人町アパートの実態は、そのことを端的に示しているのではないか?

孤立死であろうとなかろうと、いつの時代でも人間の「死」は悲しいものである。

そして死を巻き込みつつ、社会は猛烈なスピードで常に変化している。

今後は、無縁社会といわれる実態に合った死の在り方、死生観や宗教観が必要となってくると私は百人町アパートに関わって確信している。

それは従来の「家族観」や「地域の絆」と言ったものを超越した21世紀の感覚を踏まえた上での「価値観」が前提となってできたものであろう。

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