人は安楽死をどう受け入れたのか 理由、準備期間、直前の様子…遺族の証言でたどる(GLOBE+) – Yahoo!ニュース
福島県出身の山岸邦夫さん(79)は大学卒業後、カナダに渡って日本の領事館や証券会社で働いてきた。
トロントで知り合った10歳年下のマーゴさんと結婚し、3人の子どもに恵まれた。
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1998年、カナダの西端にあるマーゴさんの出身地、バンクーバー島のコートニーに移住した。
都会の騒がしさから離れ、豊かな自然に囲まれた街。自宅からは氷河が残る山脈を眺められる。
邦夫さんは小説を書き、マーゴさんとともにリタイアメントライフを楽しんでいた。
「様々な場所に住んできたが、ここが一番いい」と邦夫さんは話す。
2022年3月、思わぬことが起きた。自宅でテレビを見ていたマーゴさんが立ち上がった瞬間、床に倒れた。病院で脳出血と診断された。
一命は取り留めたが、後頭部のあたりで出血が多く、後遺症が重かった。会話はできたものの、歩くことが困難になり、失禁を繰り返すようになった。
「医療による自殺幇助(ほうじょ)」を選んだ妻
入院中に、認知症の初期段階であるとも診断された。
一人では動けず、生活の質が下がるばかり。介護を続ける邦夫さんの負担も増していた。
その年の夏。夫妻は、マーゴさんのかかりつけ医、ターンヤ・ドーズ医師を訪ねた。
その中で、「医療による死亡幇助(ほうじょ)」(Medical Assistance in Dying = MAiD)の話が出た。
MAiDはカナダ最高裁が15年、安楽死する権利を認める判決を言い渡したことを受けてできた制度。容体が不可逆的に悪化しており、耐えがたい苦しみが続いていることなどを条件に、患者が医師から薬の投与を受けて死ぬための手順だ。
たまたま、ドーズ医師はその担い手の一人だった。
話を聞き終えてから1、2秒ほど考え、マーゴさんは答えた。
「それでお願いします」 迷っている様子はなかった。邦夫さんは制度の存在を知っていたが、2人でその是非について詳しく話したことはなかった。
だが、妻の決断を受け入れた。
MAiDは意図しない適用を避けるため、いくつかの規定がある。
2人の医師がそれぞれ診察し、条件を満たすと判断することや、書面で請求し、その際には第三者も証人として署名することなどだ。
マーゴさんはこの手続きに沿って別の医師からもMAiDの対象になると診断され、同意書に署名した。
だが「その日」はすぐには来なかった。 日が経つにつれ、認知症の症状が悪化した。
認知症患者でもMAiDの対象からは除外されない。
しかし、病状の進行具合によっては自らの意思を示すことが困難になる。
「まだ意思を表明できるが、これ以上待つとできなくなるかもしれない」。そんな状況は「Ten Minutes to Midnight(午前0時まで残り10分)」と呼ばれている。 12月。邦夫さんは改めてドーズ医師に連絡し、MAiDを進めることになった。
マーゴさんの最期の願いは、家族と過ごすことだった。クリスマスには、3人の子どもが夫妻の自宅に集まった。いつもと同じようにツリーを飾り、子どもたちも母親を元気づけようと明るくふるまった。
それでも、いつもより静かなクリスマスだった。 2023年2月17日。子どもたちが再び集まり、邦夫さんとともに寝室でマーゴさんを囲んだ。 「どうしますか」。ドーズ医師の問いに、マーゴさんが答えた。 「MAiDで死にます」 30分後、薬を投与されたマーゴさんの死亡が確認された。
「闘い」を終えた彼 妻が覚えた達成感
バンクーバー島と同じブリティッシュコロンビア州のサレーに住む、ボニータ・トンプソンさん(75)の夫ドンさんも自らの選択を重視した一人だった。
再婚同士だった2人はダンスに行ったり、キャンピングカーで旅行に出かけたりする生活を楽しんでいた。 だが、ドンさんはボニータさんより10歳年上で、次第に体調が悪化していった。
皮膚がんを患い、肺の病気で呼吸も困難になった。
2017年には白血病と診断され、定期的な輸血が必要になった。
ドンさんは両親をがんで亡くし、同じような苦しみを経験したくないと願っていた。
ボニータさんに向けてMAiDについて話すようになったのは、2018年のことだ。
ドンさんは見るからにやつれ、診療が重荷になっているのは明らかだった。それでも、ボニータさんは「応援役」に回ろうと考え、「一緒にがんばろう」と励まし続けた。
だが6月のある日。ドンさんが珍しく怒った。
「私の希望を妨げようとしている」 一晩考え、ボニータさんは夫に手紙を書いた。
「あなたの言葉に耳を傾けずにごめんなさい」 それから、2人でMAiDの可能性を探り始めた。
最初は対応してくれる医師を見つけるのに苦労した。8月になってようやく、ドンさんはMAiDの条件を満たしていると2人目の医師から診断を受けた。
いつ実施したいかと聞かれ、「なるべく早く」と答えた。実施は3週間後と決まった。
安堵(あんど)したドンさんは、身の回りの整理を一気に進めた。書類を捨て、パソコンのファイルもきれいにした。
ボニータさんはクローゼットの洋服が減り始めたことに気付いた。
ドンさんが遺品整理を妻にさせまいと気遣ったのだ。
身の回りの品を売るガレージセールを開くよう求め、庭師には「来週火曜日には死んでいるので、その後もボニーの面倒を見て欲しい」と頼んでいた。
8月27日朝。2人の目は少し潤んでいた。クローゼットにはドンさんのシャツとズボンが一つずつしか残っていなかった。
ドンさんは好きなランチを食べ、医師が自宅に着くとベッドに横たわった。
「実施しますか」。医師が3回聞いた。答えは全て「はい」だった。
「彼が『怖い』と言ったことはなかったが、勇気がいるのは明らかだった。自らに言い聞かせていた」とボニータさんは振り返る。