たった1つのいのちと地球
日経メディカル 2023年10月31日 色平哲郎
黄金色に実った稲穂を眺めながら犬を連れて散歩していると、「医のふるさと」は農にあり、と感じる。
人々の健康を保つ医療は、食べ物がなくては成り立たない。
先人は水と土を調和させて、その食料自給の基をつくったのだ。
近所を歩いていると、そのありがたさが身に染みる。
私が暮らす長野県の佐久地域には、四ヶ用水(しかようすい)と呼ばれる水路が引かれている。
江戸時代初期、市川五郎兵衛真親という人物は、仕えていた武田家が滅ぶと、「志すでに武に非ず、殖産興業にあり」と徳川家康に申し出て、土地の開拓を認められ、この用水路を開削したそうだ。
浅間山付近に水源を発する湯川から取水された四ヶ用水は、高い技術で作られ、途中で隧道(トンネル)をくぐる。
4つの村を潤したことから、四ヶ用水と呼ばれており、現在も米のほか、レタスや白菜の栽培に使われている。
現代の佐久地域においても、市川五郎兵衛の名は、五郎兵衛用水や五郎兵衛米に残されている。
農村医療は江戸時代より続く積み重ねの上に
つくづく江戸時代の人たちは偉かったと思う。
水田開発、食料増産に突き進んで草木を根こそぎ掘り取り、大洪水が起きるようになると、「高度成長」に見切りをつけ、地域回帰に舵を切っている。
徳川幕府は、1666年に「諸国山川掟」という法令を出して森林開発を制限し、治水に力を注いだ。
そして、徳川吉宗が将軍職にあった1734年、幕府は全国の大名領、幕府領、寺社領に「産物帳」の提出を命じた。
国の津々浦々から、農作物はもちろん、動植物、鉱物などの産物がこと細かく報告された。
現代風の言葉を使って表現するならば、「全国地域資源悉皆(しっかい)調査」といったところか。
日本列島は南北に長く、起伏に富んでおり、山や川で区切られた「地域」が多く、それぞれ独自の産物が根づいている。
その産物に光が当たるとともに、地域資源を守って適地適産を勧める「農書」が続々と著された。
農書は、「入会地の草は重要な肥料源なので粗末にするな」「落ち葉をさらうのは解禁日を設けて一斉に始めることとし、抜け駆けを禁じる」など、資源を守るよう導く。
「協同の精神」を大切にしたのだ。
こうして持続可能な環境が整えられ、最上の紅花、松前の昆布、紀州のミカン、尾張の瀬戸焼、薩摩の黒砂糖、、、といった名産品が続々と現れた。
その結果、どうなったのか。
農山漁村文化協会の「農文協の主張 バブルの後の再建は江戸時代の発想に学ぼう」
(1998年9月号)は、次のように記している。
https://www.ruralnet.or.jp/syutyo/1998/199809.htm
「これらの名産は今日まで受け継がれているものが多い。その結果、輸入に頼っていた木綿・生糸・藍・煙草・砂糖・朝鮮人参等、暮らしに必要な物産はことごとく国内自給を達成した。ちなみに特産物の国産化にともなって輸入が減少し、元禄時代まで大幅赤字だった国の貿易収支が黒字に転化したのも、この『農書の時代』のことであった」
このような江戸時代からの積み重ねの上に、佐久の地域と農業もあり、そこに佐久総合病院の「農村医療」が載っている。
医療が単独で成り立っているわけではない。
私の30年来の友人、山形県長井市で暮らす“百姓”の菅野(かんの)芳秀さんは、家庭ゴミを分別回収して作った堆肥で栽培した農産物を地元消費者に届ける地域内循環システム「レインボープラン」を実践している。
以前、菅野さんに「堆肥づくりは佐久で学んだ」と言われ、喜んだものだが、その堆肥づくりもまた、江戸時代から続く持続可能な環境の産物と言えよう。
「たった1つのいのちと地球」とは、故・若月俊一先生(佐久総合病院名誉総長)と親しかった、公立菊池養生園診療所名誉園長の竹熊宜孝先生の言葉だ。
人々の生活も医療も、全ては食料を生産できる環境において成り立つ。
食べられてこそのいのちである。