現実を直視できない私たち

人間にとって最も困難なことは何だろうか?

私は「現実を直視すること」ではないか?と考えている。

何故、そう考えるのか?

それは、東日本大震災後、福島県内で、多くの被災者の方々の声を聴いたからだ。

いわき市60代男性

『仮設に住む人は皆、現実を直視するのは辛いんだ。だから、ここ集会場に来ても、あたりさわりのない話をして、自分をごまかしている。でも、それでは何も解決しないんだ。この先どうしたいのか?腹を割って、真面目な議論をする必要がある。しかし、誰もしたがらない』

福島市30代男性

『手が付けられない、付けていない、解決も何も出来ていない、先の不透明な問題が東北を中心に山積し、また日々出てくる中で物事が勝手に進められる。全力を注ぎやらなくてはいけない大きな問題が、この国にはあるだろう?「東京は福島から離れているから安全」と切り離す。この地(福島)は別の遠い国らしい』

郡山市90代女性

『「五輪が東京に来れば儲かる!」と言うような事は、皆、内心、心の中で感じていても、それを人前で平気で公言するようなことは<恥ずかしい事>と私なんかは感じる。でも今の時代は<もっと稼ぎたい><もっと儲けたい>と老若男女が平然と人前で言う。人間の欲望が剥き出しになっている。その発想そのものが<今さえ良ければ>という考えに陥りがちで、あげくの果てには、原発を生み出したということに気が付いているのだろうか・・・』

いわき市60代男性

『俺達、富岡の住民自身が、原発を誘致してしまった負い目について、何故、地元・富岡の人間は何も言わないんだ?個人的には原発反対だったけど、俺達、富岡の住民の多くは原発に賛成したんだ。事故のリスクと引き換えにね。その事実を俺達、富岡の人間がきちんと総括しないといけない。いつまでも被害者面してる奴を見ると腹が立つ』

いわき市50代男性

『朝から毎日パチンコ通いだよ。家族を亡くし、仕事もない上に、故郷を奪われ、生きる希望すら失ってしまった。こんな生活、止めたいよ。でも生きていて、なんかあるのかい?ここ福島では、パチンコ屋と飲み屋が大繁盛。何故だか分かるかい?皆、現実を忘れたいんだ』

いわき市60代男性

『若い時、東京に住んでいた。子どもを病気で亡くしてから、富岡に引っ越してきて生活していた。そして原発事故。俺達の多くは、事故が起こっても、自分だけ、自分の子供だけは大丈夫と、頑なに信じている。でも人はいつか死ぬんだよ。原発事故が起こっても、起こらなくても。皆、自分が遅かれ早かれ必ず死ぬことを忘れているんじゃないか?』

大熊→東京へ避難中60代女性

『東京で暮していると、原発事故のことなんか、忘れてしまいそう。いや、あえて考えないように、見ないように、忘れようとしているのかも。テレビを見て、ゲラゲラ笑っている自分に疑問を感じることも無くなってきた。思考停止状態。しかし、まだ故郷は大変な状態』


18世紀末から19世紀初めにかけて活躍したイギリスのロマン派詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーは、かつてこんな言葉を残している。

拒絶は人類がもっている普遍的な病でありおそらく克服できないものである人類は常に自分自身と向き合わないように設定されており、自分自身がもつ欠点や問題を拒絶するように設定されており、自分が希望や愛に満ちていると思い込むように設定されている。

自分は可能性があり子供たちに素晴らしい振る舞いや可能性を示し、自分たちは愛に満ちていると語りたくてしょうがない。しかしそれらはすべて嘘であり知る生物からすれば、すべては傲慢であり虚構であり嘘でしかない。

人々は常に直視しない。自分たちと宇宙と地球と子供たちに起こったことを、直視することができない。直視することができないからこそ拒絶する。そのための論法は常に幼稚であり、時に言葉は多く無為であり、時に言葉は少なくやはり中身は個人の誹謗に至る。

世界はグローバリズムの流れに従うのみであり、君たち人類は常に長いものにまかれようとする。戦う気概のない君たちに当然未来はなく、すべては「彼ら」の思うが儘に進む」



人間には「自己防衛本能」が備わっている。

自分が一番可愛いのは誰しも同じ。

誰よりも可愛いその自分が、極度の痛みや悲しみに襲われると、人は自分を守る為に、あえてなかったこと、見なかったことにしてしまいがちである。

そして自分より弱い他者を攻撃する事で、不安から目をそらし、自分を保とうとする。

それも我が身可愛さから出てくる、自然な感情であろう。

イギリスの経済学者・ケインズもこう語っている。

「この世で一番難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることである」と。

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