【遠野物語】

福二という人は、海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先手の大海嘯(つなみ)に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる2人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて1年ばかりありき。

夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所にありて行く道も浪の打つ渚なり。

霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女2人の者の近寄るを見れば、女はまさしく亡くなりし我妻なり。

思わずその跡をつけてはるばると船越村の方へ行く。

埼(みさき)の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、ふり返りてニコと笑いたり。

男はと見ればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。

自分が婿に入りし以前に、互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。

今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといえば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。

死したる人と物言うと思われずして悲しく情なくなりたれば、足元を見てありし間に男女は再び足早にそこを立ち退きて小浦へ行く道の山陰を廻り、見えずなりたり。

追いかけて見たりしが、ふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。

その後久しく煩いたりといえり。

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