3/3 映画「不安の正体~精神障害者グループホームと地域」上映会後、パネルディスカッションを実施。その報告(一部抜粋)④

前回までの報告↓

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続いて、当日、会場へご参加の皆様のとの意見交流

精神科医の立場から一言。精神障害者と接したことがないという意見が出たが、実は知らないだけで、精神障害者と接する機会は、意外と多い。

現在、精神障害福祉手帳をもっている人は約110万人いて、身体・知的・精神障害者の総数は約741万にも達している。

そもそも精神障害と言っても、ひとりひとり皆、違う。そして多岐にわたる。

人が生きていく上で、悩み苦しみ、心を病んでしまうことは、ごく普通にあることで、誰しもが当事者になりうる。

そして精神障害者と健常者の区別も、正直難しく、何をもって精神障害者かという点は、はっきりしない。

まずは障害者と言われる方々と交流できる場があればよい。

江東区で地域住民と障害者との交流が進めば、世の中の偏見も徐々になくなるのではないか?そして、そうなるように願っている。

②地元で、障がいのある子どもたちのサークルを運営し、ヘルパーとして精神障がいや高齢者のお宅へ訪問介護をしている。地域の課題をどうしたら解決できるか、どうしたら共生社会がうまくできるかをいつも考えている。

その経験から一言。

障害を持っている当事者もまた、分離教育、縦割りの問題を日々、感じている。

私は、自分の家族の中に、障害者がいない環境で育った。

だから、自分の子供に障害があると、まずは役所に就学相談をしなくていけないことに驚いた。

そのままでは、地域の学校にさえ、行けないという事実に愕然とした。


障害児童の副籍交流というものをご存じでしょうか?

副籍交流制度とは、特別支援学校の小・中学部に在籍する児童・生徒が居住する地域の小・中学校(通 常学級)に副次的な籍(副籍)をもち、交流を通じて、居住する地域とのつながりを維持・継続するための制度のことです。

例えば、自閉症の子どもの場合、今後、社会の中で自閉症についての理解が進めば、交流の在り方も進んでくるように思う。

現在は、自閉症の児童が、普段行き慣れていない地域の学校を訪問している。

そうではなくて、普段の自分の生活エリア、居場所の中で、普通に地域の方々と出会えるようになれば、もっと、より良い交流が地域の方々とできるのではないか。


<単純接触効果>という言葉をご存じでしょうか?

「単純接触効果」とは、接触する機会が増えると、その相手に親しみが増す効果のことです。

1968年にアメリカの心理学者ロバート・ザイアンス(Robert Zajonc)によって提唱されたため、「ザイアンス効果」と呼ばれることもあります。

現実的には困難さも伴うと思うが、障害を持っている当事者側も、より積極的に社会進出して、地域住民と交流していければ、単純接触効果で、だんだん双方間で理解が深まり、偏見もなくなっていくのではないかと思う。

障害の有無に関わらず地域と交流できれば、比較的、頭の柔らかい子供たちの中に<気づき>や<体験>が生まれ、相互理解につながるのでは?

その延長線で、<支援>ということも考えることが出来るようになる。

日本は、障害がある・ないと、分類し区別したがる傾向にあるが、様々な多様な人々との交流ができるようになればと願う


障害があってもなくても、幼児から高齢者まで誰でも大歓迎な場、ユニバーサル食堂というものを、毎月第四土曜日、そんぽの家S木場公園(江東区平野4-10-3)にて開催している。

ユニバーサル食堂を始めた頃は、高齢者が、障害者に対して偏見を込めた発言を言うこともあった。

しかし、回数を重ねていくことで相互理解が深まり、そのようなことも減った。


東京都港区の南青山に児童相談所を作る際、住民側が起こした反対運動の件で一言。

住民側は、「南青山のブランドイメージに児童相談所は、ふさわしくない」などと、強い反対意見を言う人がいた。

しかし、長く地元に関わってきた側からすれば、そんなことを言う人は、地域の実情を理解していない、新しく外部から来た住民ではないか?

もともとの地元住民は南青山に「サンライズ青山」という母子寮があったことも知っている。

表参道には、今も巨大な都営住宅(北青山三丁目アパート)がある。南青山7丁目に、かつてオウム真理教の施設があったことも知っている。

南青山3丁目にある清水湯という銭湯のご主人は、地域で民生委員をされている。

児童相談所の建設反対!と言った人は、それらの存在を一切知らずに「南青山」というブランドイメージだけで物事の本質を見ていないのでは?高級住宅街というステータスや名誉を手に入れるためだけに躍起になっているように感じる。

そして、最後に一言。皆さんの自宅の近くに、刑務所から出てきた人が住む更生保護関連の施設が出来たらどう思うだろうか?自分の問題として、考えてみる必要があると思う。

<閉会の言葉>

障害者の為のグループホームに限らず、地域の中で、障害を持つ方が普通に生活する姿を、私たち社会の側が日常的に目にしたり、障害のあるなしに関わらず、一緒に交流や体験したりすることで、本当の多様性が生まれ、社会がより、豊かに、そしてよりよい社会になっていくのでは?

障害者・健常者と分離した社会は、閉鎖的で、双方間の理解も進みにくい。より開かれた地域、江東区を目指していければと思う。


シンポジウム終了後、当日参加者から寄せられた言葉

(シンポジウム終了後、事務局に寄せられた感想。ご本人の了解を得た方のみ掲載しております)


アンケートには「恐ろしいのは知らないこと、もっと恐ろしいのは知ろうとしないこと」と書きました。

説明会の場面を住民側から見るのとこちら側(福祉従事者)から見るのでは、当然のことながら全く違うものに映ります。

私(福祉従事者)には「理解できない住民」が問題としてクローズアップされてしまいました。でも、ほんとうの問題はそこでしょうか?

「知る」は双方に必要なことです。

住民に対して一方的に福祉への理解(この場合、障がいのある方が地域と共生することなど)を求めるのではなく、まず住民の思い(知らないことにより生じる不安など)を知ることが重要だと感じました。

長らく福祉に従事していながら今さらの気付きでお恥ずかしい限りですが、長らく従事しているからこそ、麻痺してしまった部分かもしれません。


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