田中宇の国際ニュース解説 2023年10月22日 https://tanakanews.com/
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★ガザ地上戦の瀬戸際で
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イスラエルが地上軍をガザに侵攻するかどうか瀬戸際の状態が続いている。
イスラエルは、地上侵攻すると言ってから2週間近く挙行していない。
数日前に戦車部隊をガザの近くに結集したが、そこで止まっている。
ガザ停戦を求める声が世界的に強まっている。
寸止め状態で時間が経つほど、政治状況が米イスラエルに不利になる。
病院空爆も、犯人はイスラエルなのに隠蔽工作を試みて失敗していく。
当初は地上侵攻を支持すると言っていた米バイデン政権はその後、侵攻するなと公言し始めている。地上侵攻しない可能性が増している。
世界に散らばる米外交官を統括する米国務省では、イスラエルのガザ侵攻を支援・扇動する上司のバイデン陣営への反逆が強まっている。
外交官たちは、世界が米国を支持しなくなったことを強く感じている。
イスラエル自身、ガザに地上軍侵攻したくない感じが強い。
ガザに地上侵攻したら、それに合わせてイスラエルの北にあるレバノンのヒズボラが侵攻してきて、イスラエルはいきなり南北2つの戦争を抱えて破綻に瀕するからだ。
シリア政府軍もヒズボラに加担してイスラエルと戦争になるだろう。
ヒズボラとシリア政府はイランの傘下にある。
イスラエルがハマスと本格戦争すると、連動して、イランとシリアとヒズボラという3つの敵がイスラエルとの戦争に入る。
これは、私が以前から書いていた(ずっと外れていた)中東大戦争の構図だ。
近年、イランやヒズボラが強くなる半面、イスラエルの唯一の後ろ盾である米国は弱くなっている。
10年前なら、米イスラエルがイラクに対してやったようにイランを完全破壊できたかもしれないが、今は無理だ。
中東大戦争になったらイスラエルは米国に見捨てられ破滅だ。
イスラエルはガザに地上侵攻できない。
イスラエルがガザに地上侵攻しなければ、中東大戦争は起きない。
だからイスラエルは米国に扇動されたものの躊躇し、寸止め状態で侵攻を延期している。
ハマスやヒズボラとの小競り合いはできるが、本格戦争に突入できない。
イスラエル政府は最近、ガザに地上侵攻してハマスと長い戦争に入ったら、いずれハマスを潰して別のイスラエル傀儡政権をガザに置くが、その後もイスラエルはガザ市民の人権や生活をもう守ってやらないと宣言した。
イスラエルはこれまで、ガザへの支援物資の搬入を許し、ガザ市民がイスラエルに出稼ぎして収入を得ることも認めていた。今後はそれらをやめるという。
イスラエルはこのようなとんでもない宣言を発することで、米欧が、ガザ地上侵攻に反対するように仕向けているのでないか。米欧に反対されれば、それを口実にイスラエルは自滅的な中東大戦争誘発のガザ侵攻をせずにすむ。
欧米の政府はイスラエルの言いなりだからガザ侵攻を支持してきたが、ガザ市民の人権を今後ずっと侵害し続けて何も対策しないとイスラエルが言っているのに、欧米が侵攻を支持し続けるのは難しい。
欧米は、イスラエルを支持し続けるほど、信用失墜と国際政治力が低下する。
特に米国は、国連安保理でガザ停戦決議案に拒否権を発動したり、イスラエルへの軍事供給を増やしたり、空母を2隻も地中海に派遣したりして好戦性を扇動し、トンデモな感じを増大している。
米側マスコミは何も報じないが、今回の件は米国の覇権低下に拍車をかけている。
ハマスは、ガザ北部から数10万人の市民を南部に緊急避難させて「戦場」を用意して、イスラエルを地上侵攻に誘った。
市民を避難させたのは、イスラエルをはめる落とし穴作りだった。
これまでイスラエルが、ガザ市民を南隣のエジプトに追い出して空っぽにする策略として、ガザ北部に侵攻するから南部に避難しろと市民に要求しても、市民の親分であるハマスは人間の盾を維持するため避難を許さなかった。
だが、今回ハマスは市民を南部に避難させた。
イスラエルをガザ地上侵攻に引き入れて中東大戦争を引き起して自滅させる、もしくは自滅的な中東大戦争になるのでイスラエルがガザ侵攻できない状況に陥れる、というのを私は考えた。
ハマスはイランの傘下におり、これはイランの戦略だろう。
イランが、傘下のハマスとヒズボラとシリアを連動させ、イスラエルを自滅的なガザ地上侵攻の直前まで追い込んだ。
隠れ多極主義者に動かされているバイデンの米国も、イスラエルに好戦策を勧めることでハマスやイランと連動している。イラン系と米国によって、イスラエルは窮地に陥っている。
イスラエルはこれまで覇権国である米国を牛耳って強くなり、アラブやイランなど敵方に対して圧倒的な優勢を堅持してきた。だが米国は覇権低下したので頼れない。
しかも、米国は「支援するので思い切り戦争をやってください」としか言わず、イスラエルを自滅させようとしている。
ウクライナ開戦後、世界は米国側と非米側に強く分裂し、米国側が自滅して非米側が席巻している。サウジやイランは非米側の主要国として認められBRICS加盟する。
落ち目の米国にしか頼れないイスラエルは、以前の優勢を失っている。何もしなければヒズボラやハマスとの戦争で破綻していく。
ユダヤ人は世界的な諜報界の元祖であり、多極化の動きをよく知っている。
多極化を誘発した張本人(=資本家)ともいえる。イスラエルはむざむざと破綻せず、今回の窮地を逆に活かし、自国を米国側から非米側に付け替えていくのでないか。
イスラエルの付け替え策に協力して準備しているのがプーチンのロシアだ。
プーチンは、イスラエルやアラブやイランやトルコの首脳たちと個別に話し合いを進めている。ガザ停戦を皮切りに、パレスチナ問題の解決策を検討している。
イスラエルとアラブだけでなく、イランが入っているのが重要だ。
パレスチナ問題と同時に、シリア(ゴラン高原)やレバノン(ヒズボラ)とイスラエルの対立も同時に解決しようとしている。(トルコはムスリム同胞団のまとめ役)イランを敵視するばかりの米国では、この和平仲介をやれない。
安保面でイランやシリアを助けてきたロシアにしかやれない役目だ。ユダヤ人はプーチンに感謝し、恩返しにロシアは繁栄を手にしていく。
ガザの停戦とパレスチナ問題の解決を求める声が世界的に強まっている。市民運動や「アラブの街頭」だけでなく、各国政府がもう戦争をやめるべきだと言い出している。
好戦策ばかりの米国への反感や不信が強まっている。非米側だけでなく、ウクライナ戦争で疲弊した欧州G7諸国もそうだ。
イスラエルは、この声に押されて嫌々ながら、という姿勢をとりつつ、実はとてもやりたいガザの停戦やパレスチナ問題の解決、イランとの和解などを了承していく。
これらの策をこれまで妨害してきた入植者集団(多くが米国「帰り」)はかつてネタニヤフのリクードを支配していたが、ガザ開戦後、ネタニヤフは中道野党連合と挙国一致内閣を作り、入植者集団を無力化している。
国連などの場でこの問題解決を主導していくのはロシア(と中国)で、そこにサウジやイランが新加盟するBRICS、中露と親しくなったアフリカ諸国、中国主導のG77などが協力する。
バイデンは完全にお門違いになっており、米国は今後の問題解決から(隠然と)外される。米側マスコミは米国主導での解決だとまたぞろ大ウソを喧伝し、みんなそれを軽信するのだろうが、米国はもう主導役をやれない。
バイデンは先日の演説で「今の世界システムは力尽きており、新しいシステムが必要だ。米国がそれを作る」と述べた。
この発言の前半だけ見ると、バイデンもようやく米国の覇権喪失を認めたなと意外な感じだ。
だが、後半の「新たな世界システムも米国が作る」という部分は、やっぱり彼が全然わかっておらず間抜けなことが露呈している。
新しい世界システムは米国でなく、中露BRICS・非米側によって着々と構築されている。イスラエルだけでなく、日本も近いうちに非米側への乗り換えが必要になる。あっさり無条件降伏的な中国擦り寄りになりそうでげんなりだが。
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真の激戦・苦戦・飢餓などを体験し、国家の拘束の苦しさを身に沁みて知った人々は、自分を拘束する国家(軍隊)が解体したとき、晴れ上がった空を眺めるような不思議な解放感を味わった。
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従って、このような体験をした人々にとって、帰国した日本で実現しつつあった戦争放棄・平和・デモクラシーの理念に基づく新しい国づくりは、「外から」与えられたものではなく、自ら獲得した理念に照して、極めて当然の帰結であった。
(第2節 国家の崩壊を越えて 戦場からのデモクラシー 吉見義明「草の根のファシズム」)
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310万人の死者を出し、それを何倍も上回るほどの犠牲者を生み出すなど、はかりしれない被害をアジアの人々に与えた、日本による8年間の全面戦争の末、日本人は、明治以来の欧米にならった近代的発展の帰結をみた。
その結果、海外の戦場や国内の焼跡から、人々は近代的な国家を越える理念を獲得するに至った。
欧米諸国や社会主義国やアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの新興国家にも殆どない、恒久平和・戦力不保持の理念、およびこの理念から生まれてくる非核三原則、武器輸出禁止などの原則、および一定の戦力を前提とするとはいえ、その戦力の外征軍への転化を抑止することになる専守防衛、海外派兵の禁止、防衛費GNP1%枠の歯止めなどの原則がそれである。
また、日本人は、敗戦の反省から、欧米のデモクラシー、アメリカの経済的繁栄をとりいれようとし、軽武装平和国家の下での経済発展という20世紀の新しい実験を行ったのである。
このような試みは、民衆的体験に根ざしていたために、社会のすみずみに浸透することができた。
しかし、以上のようなものを産みだした戦場や焼跡における日本民衆の原体験の持つ意味は、十分に吟味されないまま、次第に見失われつつあるようにも感じられる。
このような事態は、戦後40余年という時間の経過とともに生じてきたが、その背景には、これまで検討してきたような、戦争反対・平和意識の定着の裏側での「聖戦」観の残存、戦争協力に対する反省の中断、主体的な戦争責任の点検・検証の欠如、アジアに対する「帝国」意識の持続といった、多くの日本人に共通する意識・態度があったのであり、この意識・態度と最近の事態とは深い関連があるように思われる。
さらに、戦後世界の中で、日本人は、国家レベルにおいては、周囲の諸国民との心からの和解、かつて支配・抑圧し、戦争のために動員した諸民族への償い、国内の少数民族・少数者の権利の確立、といった点に関しては、殆ど達成することができなかった。
このことも日本人の戦争責任観や「帝国」意識と無関係ではない。
しかし、民衆レベルで、戦争に対する真摯な点検・検証・反省を行った人々、あるいは行いつつある人々が少なくないことは、このような問題を日本人自身が解きほぐす糸口をみいだし、この問題の解決に寄与しようとしている現れである。
このような意味で、日本民衆が戦争の深淵の中で一瞬一瞬に気づいたひらめきや発見、そして戦後の点検・検証・反省の数多い事例が、拾い集められ、検討されていくことが、今こそ必要になっているのではなかろうか。
(第2節 国家の崩壊を越えて 戦場からのデモクラシー 吉見義明「草の根のファシズム」)
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「楽しみの先おくり」と「地域のタスキ渡し」
「私の家のすぐ裏には雄大な朝日連峰が横たわる。朝日連峰の山々は、比較的急な斜面なので保水力にとぼしく、雨が降ると洪水となり、日照りが続くと干ばつとなる。昔から治水事業は、裾野に広がる村々にとって最優先の事業であった。
村には、かつて9つの堤があった。雨の日は水を蓄え、日照りの日には水を流す。いくつかは壊されて見る影もないが、残されている堰の中の一つは、今も水を湛えている。直径200m、深さ4~5m。造られたのはいずれも江戸の初期。
村の歴史家によれば、工事は村の自主事業として、すべて村びとたちの力で完成させたのだという。
おそらく当時、家族が一年食べるための労働、年貢のための労働だけで精一杯であったはずだから、堤のための労働は冬期、雪の中の仕事となったのであろうが、堤のあとには、その水を田畑に引くための堰開削の工事が続く。トラックもパワーシャベルもない。体力と意志に支えられた土木工事。いったい、どんな話し合いの経過の中で村びとの合意がかたちづくられていったのだろうか。
その規模からいって、世代を超える事業となっただろうから村びとたちは、恩恵を自分たちが受け取れるとは、まったく考えなかったにちがいない。次の世代が、あるいは次の世代を生きる孫を考えた事業として取り組み、汗を流してきたのだと思える。
「自分たちにつづく世代が少しでも安んじて暮らしていけるために…」と率先して苦労を引き受けて、「楽しみの先送り」をしてきた。
このように考えて改めて周囲を見渡してみると、裏山からトンネルを掘り、水を引こうとして造った堰、裾野に広がる杉林、そして一面に広がる水田などとさまざまな先人の足跡に出会うことができる。
いったいどのくらいの「楽しみの先送り」が繰り返されてきたのだろうか。私は、よく駅伝競走のタスキ渡しになぞらえて考える。駅伝のランナーがタスキを引きつぎ、また渡すように、世代から世代に「地域」を引きつぎ、渡してきた。受け取ったものは、その中で生き、次世代のために、できれば少しのゆとりをつくろうとし、けっして汚すことなく消えていく。地域を流れる川も堰も、もちろん水田や畑、あるいは土そのものも、林や森も、それらを包む地域全体も、過去数百代から届けられた「楽しみの先送り」としての先人の暮らしと労苦の総和であった。
(中略)
「楽しみの先おくり」と「地域のタスキ渡し」、このような目を持って見たとき、同じ風景が、もっと体温のともなったものとして感じられるようになった。私は、この私たちの「地域」が好きになった。
私は自覚できるようになった。私や私たちの肩に、しっかりと「タスキ」がかけられているということを」
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