イスラエル人のマオズ・イノンさんは10月7日のハマスの攻撃によって両親を殺害された。しかし、報復戦争が平和への解決策だと思っていない。両親が殺害された日をもってイノンさんは平和活動家になった。
イノンさんの両親は平和を希求していた人たちで、人種、年齢、肌の色など気にせずに誰とでもつき合った。そんな両親の想いを大切にしたいと思っている。イノンさんによれば、イスラエルは20世紀に繰り返した過ちと同じことを現在行っている。
復讐しても両親は生き返られないし、これまで殺害されてきたイスラエル人やパレスチナ人も同様だ。戦争は平和をもたらすことはなく、多くの死傷者が出ることになる。そうした負の連鎖を断ち切らなければならないというのがイノンさんの考えだ。(「アルジャジーラ」の記事より)
フランスの哲学者のサルトルは、ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺に嫌悪感をもち、イスラエル国家創設を支持した。
しかし、イスラエルに共感していたサルトルの意識が変わるのは1970年代で、ミュンヘン・オリンピック事件後のイスラエルによるパレスチナ人指導者たちに対する報復テロは、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ミュンヘン」で紹介される通り、ヨーロッパを舞台にヨーロッパ諸国の主権を無視して行われた。
サルトルから見ればパレスチナ人の暴力は彼らが置かれた「不可能、絶望」という状況から生まれたものに見えるようになった。イスラエルの「国家テロ」に抵抗するテロは支持に値するものであるというのがサルトルの考えだった。
国家テロとは占領、土地の収奪、恣意的な逮捕などの行為であり、イスラエルはアメリカ帝国主義の一歯車にすぎなくなったとサルトルは思うようになった。
サルトルはとりわけイスラエル軍によるナパーム弾の使用に反発し、それを殺人という犯罪行為と考え、イスラエルのエルサレム併合を拡張主義の「狂気」と考え、強力な反動勢力がイスラエル政治を支配しつつあり、和平の可能性を奪いつつあると思うようになった。
このように1970年代にサルトルが観察し、考察したことが現在のパレスチナ問題ではいっそう顕著になっている。イスラエルの極右の「狂気」は和平の機会を完全に奪い、占領を当然のものとして行い、土地を収奪し、恣意的な拘束を行う国家テロは日常茶飯事的というよりも「常識」となっている。
ガザへの報復攻撃を行おうとしているネタニヤフ首相は、1993年のオスロ合意を反故することに躍起となり、パレスチナ国家を絶対に認めない立場をとってきた。
ハマスの奇襲攻撃による民間人の殺害は、殺人を重罪とするイスラームの教義からも認められないが、しかしネタニヤフ首相のパレスチナ全域をイスラエルが支配していくという大イスラエル主義(=修正シオニズム)の考えはパレスチナ人との共存を考えるものではなく、2007年からガザを経済封鎖し、パレスチナの無辜の市民の殺戮をもたらしてきたネタニヤフ首相の考えや姿勢がハマスの暴力をもたらしてきたことは確かだろう。
イスラエルの著名な作家で、平和活動家でもあったアモス・オズは、「狂信主義はイスラームより、キリスト教より、ユダヤ教より古い。どんな国や政府よりも古いし、どんな政治形態、どんなイデオロギーや信念よりも古くからこの世にあります。悲しいかな、狂信主義は人間の本性につねに備わっている成分、いわば悪い遺伝子なのです。」(アモス・オズ『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』)と述べたが、イスラエルの悪い遺伝子はネタニヤフ政権の極右閣僚たちの「パレスチナ人は存在しない」「パレスチナ人を殺害することはイスラエル政府の義務である」などの発言となって、いっそう深刻になっている。
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