清水茂文先生のご逝去を悼む ~「地域をつむぐ医の心」をつなぐ佐久総合病院小海分院 院長 由井和也

私のパソコンの中に大切な映像が保存されています。何度も繰り返し観たその映像を久しぶりに観なおしてから、この文章を書いています。

その映像とは、時枝俊江監督による記録映画『地域をつむぐ 佐久総合病院小海町診療所から』(1996年)です。

小海町診療所(当時の名称)の職員と地域の保健福祉に携わる多職種との連携、地域住民との交流による優れた地域包括ケアネットワークがそこにあり、今でも目標とすべき地域医療の模範的な形をみる思いがします。

その中心にいたのが当時の診療所長で、佐久総合病院元院長の清水茂文先生でした。

私にとって地域医療のロールモデルであり続けている清水先生が逝去されました。

ご相談したいこと、ご指導いただきたいことがまだまだあり、哀惜の念に堪えません。
 
『地域をつむぐ』の撮影班が小海に住みこみで仕事していた当時、私はちょうど初期研修医として診療所研修を受けており、映像に残る診療所医療、地域ケアの現場をリアルタイムで体験していました。

映画は在宅患者の看取りのための夜間の往診場面から始まります。もちろんノンフィクションです。

清水先生に連れられた初期研修医(私の入職同期の医師)は神妙な面持ちで臨終の場面に立ち合い、死後の処置を手伝います。

清水先生は奥座敷に移動して、コタツにあたりながら集まった村の人たちへ穏やかな口調で故人と家族の闘病を労う話をされます。こうした診療所研修の記憶は私の心に刻まれています。
 
清水先生と同じようにはいきませんが、そうした経験を若い医師に少しでもしてもらいたいと願いながら小海で仕事を続けています。

2004年の小海診療所開設50周年記念誌に、研修医時代にみた清水先生の仕事を顧みて「それまでに経験したものとは異質なもの」と私は記述しています。

当時はどう「異質」であったのかをうまく言語化できていませんでしたが、今から思えば、その実践は、第一線医療として近接性・包括性・協調性・継続性・責任性の点できわめて優れており、地域の実情や家族に配慮しつつ多職種と連携して「患者中心の医療」が行われていたと記述できそうです。

さらに、「農民とともに」の精神を具現化したその取り組みの視野は人づくり・地域づくりにまで及んでいたと言えます。
 
清水先生のお人柄がわかるエピソードをひとつ紹介させていただきます。

先生は、小海町診療所の所長に就く前、本院勤務と併行して週2回の南牧村診療所の外来診療を担当されていました。そのとき一緒に仕事をされた村の看護師の回顧談には大変驚かされました。

先生は一人ひとりの患者の訴えに熱心に耳を傾けて丁寧に診察をされるので、どんどん患者が増えてしまい、午後の診療だけで毎回70~80人もの患者を診療されていたようです。

それでもそのスタイルを崩さず、手が腱鞘炎のようになりながらカルテを書き続け、診療は昼過ぎに始
まり夜の22時、23時に及ぶこともざらにあったのだそうです。

村の患者のために懸命に診療する清水先生の姿に、当時は看護師も感謝しながら必死に仕事をしたそうです。

「働き方改革」云々はさておき、私のような平凡な臨床医には到底真似できないような話でしょう。

農村における第一線医療の魅力も厳しさも知り尽くしていた清水先生は、佐久総合病院の院長の職に就かれてからも、南佐久に勤務する私たちのことを常に気にかけて応援してくださいました。

当時と比べ、南佐久で働く病院職員数は桁違いに増えましたが、先生はそれを「小さなメディコポリス」の実践と名付けて評価しておられました。

先生が述べられた「地域医療は医療の一部ではなく、地域の一部である」という言葉の含蓄するものは深く、重たい内容だと今あらためて思います。

私たちの現在の仕事は清水先生をはじめとした多くの先達の「地域をつむぐ」真摯な実践のうえに成り立っていることを忘れてはなりません。

困難な道のりであっても、私たちは、「母なる農村」をささえる活動をしっかり継承していかなければなりません。

清水先生、ありがとうございました。これからも私たちを見守っていてください。

「農民とともに」2023年4月30日号

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