死から生を見つめてみると

「相談があるんですが、お会いしてお話を聞いていただけませんか?」という電話を受けた。

会って話を聞いてみると、「実はある人から、あなたの仕事や恋愛が思うようにいかないのは、親の供養をきちんとしていないからだと言われました。実は父が亡くなった際、葬儀は行わず、火葬のみで済ませてしましました。お墓参りも行ったことはありません。だからこのお守りを買えば全てが良くなると言われましたが、本当でしょうか?」というのが相談の内容。

(一部話を変えて、個人を特定できないようにしております)


ある人と言うのは霊能者。

おそらく新興宗教か何かの勧誘で親の供養をしていないという「痛いところ」を突かれたその方は、心当たりがあるので不安に思い、私のところに相談に来たように思える。

私はその方の話を聞いたうえで「お守りを買ったからと言って、あなたの仕事や恋愛がうまくいく保証は全くありません。一方で、先祖供養をするのは亡き人のためではないんですよ。自分のためです。生きている自分も、やがては供養される立場になるんですよ」とお答えした。

するとその方は「そうですよね。分かりました」と言って帰って行った。

親の供養をするかしないかは、自分が決めること。

親の供養をしないのであれば、生前からそのような付き合い方しかできなかったのであろう。

世の中には「家族」と聞いて良いイメージを持たない人はいくらでもいる。

例えば、虐待やDVを受けた方にとって、家族はもはやセーフティネットではない。

「家族だから養って当たり前」という発想は、時と場合によっては危険。

臨機応変の対応が必要だろう。

親から愛されて大切に育てられた。だから親孝行したい。親の恩に報いたい。そう思える人は素敵だし、素晴らしいと思う。

しかし、世の中には、例えば虐待を受けた等の理由で、そう思えない人もいる。

「親なんだから面倒をみて当たり前」という空気を他者に押し付けることは、二次被害に繋がる場合もあるのだ。

またある方からは「親の骨を全部海に散骨してしまったけど、お盆ではどちらの方向に向かって手を合わせたらよいでしょうか?」という質問を受けたことがある。

答えようがないので、海の方向に向かって手を合わせればよいのではないですか?そして何より大切なことは、故人のことを忘れないということではないですか?」と答えると「そうですよね」と笑顔になられた。

散骨に関しては、賛否両論ある。

熟慮の末、散骨を行う場合は、全ての遺骨を海にまかず、一部を分骨として残しておくとよいだろう。

手を合わせる対象があることで、人は安心できるものだ。

また最近は「手元供養」と言って、指輪やペンダントの中に大切な故人の遺骨を入れる形態が人気を集めている。

東日本大震災の被災地では津波という突発的な出来事によって、「さよなら」を言う機会もなく、命が一瞬にして奪われた。

その悲しみを癒す一環として、亡き人の遺骨を肌身離さずアクセサリーとして身につける方がいる。

特に子供を亡くした若い女性に多いのが特徴である。

「朝夕、ペンダントを握りしめ、話しかけています。話しかけると、何だか亡くなったあの子がそばにいるような気がして。ひとりじゃないと感じるんです」と何度も私は聞いたことがある。

また都会では、住宅事情が貧困なために、仏壇を置きたくても置くスペースがないということがよくある。

仏壇の代わりに、遺骨の一部を手元供養にして常に身につけておくといった「新しい形の供養」も都会では浸透してきている。

お墓については○○家の墓という概念が、既にほころびが生じている。

多死社会に突入する一方、お墓を守るべき子供の数は減少している。

人口の少ない地域の小学校が統廃合されるように、お寺もお墓も今後は過疎地域から統廃合せざるを得ないだろう。

よって、先祖代々のお墓にこだわらず、個人単位で申し込める永代供養墓や納骨堂が人気を集めている。

私のもとにもお墓の相談が絶えない。

永代供養墓や納骨堂を生前に希望される方に、私はいつも言っている。

「亡くなる前から、イザという時のために、信頼できる医師、弁護士、そして宗教者とも縁を持っておかれた方がいいですよ」と。

また毎年正月に、遺言を書くということも勧めている。

遺言は何度でも書き直しが出来るものである。

遺言がないために、相続が争族になってしまった事例を、私は嫌というほど見てきた。

遺言は生前にお世話になった方々への感謝の気持ちを表したものであると同時に、残される者への思いやりでもある。

私自身を振り返ってみると、遺言を初めて書き終えたとき、今までお世話になった方々の顔が浮かんできたことを今でも覚えている。

そして感謝の気持ちが湧き起こってきたのである。

死から生を見つめてみると・・・

普段、忌み嫌う死の問題。

しかし私は生から死を見つめる視点より、死から生を見つめる視点を普段の生活の中で持てた方が、人生をより生きやすくなるのではないかと考えている。

ステーィブ・ジョブズは言った。

なぜなら、ほとんどのこと…外部からの期待、己のプライド、恥ずかしさや失敗に対する恐怖…こういったものは死に直面すると、ただ消えていきます。そして本当に大事なことだけが残りますと述べている。

マハトマ・ガンジーも言っている。

「過去はわたしたちのものだが、わたしたちは過去のものではない。わたしたちは現在を生き、未来をつくる。たとえその未来にわたしたちがいなくても、そこには子どもたちがいるから」と。

遺言を書くことは、葬儀の準備や墓を事前に建てておくことにも繋がる。

アニメ「一休さん」で有名な室町時代の僧侶・一休宗純は「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし『狂雲集』」と遺している。

縁起でもないと死を遠ざけるのではなく、死を見据えた生き方が、多死社会の今ほど求められる時代はないだろう。

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