昨年2月、米ハーバード大学の図書館に掲げてあるという文章を、米国の友人からメールで紹介された。
印象深いものだったので英語から翻訳し、日本の友人にも配信した。
世界を小さく縮めて、人口100人の村とすると、57人がアジア人、21人がヨーロッパ人、14人が南北アメリカ人、8人がアフリカ人。70人が白人以外、30人が白人。70人がキリスト教徒以外、30人がキリスト教徒。89人が異性愛者、11人は同性愛者。
世界中の富――その半分以上を6人が所有し、その6人は全員米国人。
80人が標準以下の家に住み、70人は文字が読めない。
50人が栄養失調に苦しみ、100人の中たった1人だけが、大学レベルの教育を受けることができる。
我々の地球を、このように圧縮された地域共同体と考えてみると、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして「事実」を知るための教育、これらがいかに重要であるか明らかになるだろう。
「飢えた子どもは、政治を知らない」ということわざがある。
「WHY ME?(なぜ、私なの?)」と訴えるおなかの膨れた瀕(ひん)死の子ども、彼らの光のないうつろなまなざし。
そして、ほこりまみれの難民たちの真剣な表情。
彼らの前に立って、内戦と眼前の飢餓の政治背景について演説することは空(むな)しい。
なぜ私は、こんなにひもじいのか……。
なぜ私は、こんな病気になってしまったのか……。
こういった「WHY ME?」状況は「理由付け不能」という不条理さに対する、ある種、恨みに似た微妙な感情の表出であり、先進国の病院では重篤ながん患者さんなどで見受けられるものだ。
現在、地球上には12億の飢えた人と12億の食べ過ぎの人がいるといわれる。
栄養不良に苦しむ人類は、史上空前の数と割合に達している。
80数年前、マハートマ・ガーンディーが語った言葉を思い出す。
「この世界は、すべての人の必要を満たすに十分に広いが、欲望を満たすには狭すぎる」
現代の私たちは、欲望を満たすには足りないが、必要を満たすには十分、という大事なころあいが感じ取れなくなっているのではないか。
満腹感についてもそうだ。
昔と違って、肉類を含む脂肪の多い食材に変化したこともあろう。
脂肪分は、摂取したほどに満腹感が感じられないのが最大の特徴である。
「世界を100人の村に縮小するとどうなるか」と、日本のある中学3年生のクラスで、数字を伏せて考えさせたという。
「30人が標準以下の家に住み、20人は文字が読めない。10人が栄養失調で苦しみ……」
これが生徒たちの考える「世界」だった。
「当たり前と思っていた1日1日を大切にしようと思った」
「勉強したくない、苦労はいやだ、おこづかいが足りない、などと文句ばかり言っていたが、すごく感謝しなければいけないことなんだ、と気づいた」。
現実がそれぞれ80人、70人、50人だと知った生徒たちの感想である。
たたかう非暴力主義者、ガーンディーの言葉をもうひとつご紹介したい。
「あなたがこの世界に起こってほしいと願う変革、そんな変革が実現するように行動しなさい……」。
この世界の全体像を把握し、行動し続けるためには、広い視野と低い視点、この両方が必要だろう。
同じ地球村に暮らすひとりとして、私は、日本列島に暮らす2人以外の98人の生活と人生に無関心ではいられない。
いろひらてつろう
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2001年12月13日朝日新聞長野県版
http://irohira.web.fc2.com/0206IroMokuji.htm
世界がもし100人の村だったら【アニメ絵本】