同じ空の下で 【巻頭言】プラタナス 私のカルテから
安藤恒平 (貢川整形外科病院整形外科)
紛争地と日本とを行き来している。
最近では2カ月前までガザにおり、今後も再びガザへ入ることになるだろう。
赤十字国際委員会 (ICRC)では、外科医や整形外科医としての役割を担っている。
現在、ガザ地区は人道危機の最中にある。
「ほとんどの傷病者は整形外科の治療を必要としている」と、先ほども現地の外科医と電話で話していたところだ。
スマートフォンの向こうは戦地。
もともとは心臓血管外科からスタートし、今の職務を想定して外科へと転向、その後整形外科へ。
時間のかかった研修医時代であったが、得られたものは甚大だ。
人を送ることさえ困難な状況下で、診療にあたることができる。
現地の苦悩を肌で感じる。
今まさに身を投じているこの悲惨な状況は、負の歴史としてこれから語り継がれることになるだろう。
問題の大きい小さいを言うのは、やめた。
それでは伝わらないことがある。
人の苦しみや困難は、言葉にすると軽くなる気がする。
衝撃的な画像や映像もわかりやすいのかもしれないが、現場でのこの感覚は、どうやっても伝えることができない。
ただ自分の心にだけ深く刻まれていく。
現場は、やはり過酷だ。
X線透視や医療機器が自由に使えない。
コミュニケーションも大変である。
何度説明しても、患者さんにはうまく伝わらない。
もしくは、伝わっているのに心配だから繰り返し尋ねてくるのか。
アラビア語も喋れず、イスラム教もきちんと理解できているのかわからない医師と対話していれば、心配になるのも頷ける。
英国や米国、ノルウェーから医療チームも新たに参入する。
こんなにも、安全管理上危機的状況の中で、よく入ってこられたものだと、自分のことはさておき感心する。
案の定、命からがらの騒動に巻き込まれたチームもあった。
結果は無事。何よりだ。
前述の電話で話した外科の先輩とは15歳離れているからか、私の面倒をよくみてくれる。
普段、外科医として働いているときは上司だが、今回のミッションでは整形外科医として協働している。
こういう関係も悪くない。
ガザに近いエジプトの地で、紀元前1600年に記されたとされる”Edwin Smith Papyrus”に想いを馳せる。
外傷を解剖学的にとらえ、治療を施し、記録する。
それから3600年、科学技術的要素がそれを押し上げてきての今であろうか。
歴史に記されてきた戰。
そこにも今、科学技術が活用され、それらが生み出す圧倒的な暴力が民衆を苦しめる。
私たち医療技術者は、あらゆる知恵を駆使して、それと対峙している。
歴史の中で、人ひとりの一生は瞬く間に過ぎていく。
日本医事新報2024年5月11日