〈延命治療〉は決して遠い話ではない。「尊厳死」ではなく「尊厳生」のために、知っておきたい3つの選択(婦人公論.jp) – Yahoo!ニュース
感染症の専門家として、メディアで新型コロナウイルスの脅威を伝えてきた北村義浩医師。訪問診療も手がける北村さんは、自分の最期をイメージしておくことが大切と語ります。
◆コロナで「死」が身近になった
新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの意識にさまざまな影響を与えました。その一つとして、「死」を身近に感じる機会が以前よりも多くなったことが挙げられると思います。
私はウイルスの専門家として、30年あまり感染症学の研究に取り組んできました。人類の歴史はまさに感染症との闘い。たとえばペストが大流行した中世ヨーロッパでは、総人口のおよそ3分の1が亡くなったと言われます。
新型コロナウイルスも感染拡大の初期には、志村けんさんや岡江久美子さんのように「昨日まで元気にテレビに出ていた人が突然亡くなる」といった報道に触れ、自分ももしやと不安に駆られた人も少なくないでしょう。
また、ご自身や身近な人が感染し、生死の境をさまよう経験をされた方がいるかもしれません。 ワクチンが開発され、重症化を防ぐ治療法もわかってきたことで、初期の頃よりずいぶん安心できる状況になってきました。
しかし、感染者数はいまだに増加傾向にあります。かつてのように、かかってしまえば一巻の終わり、という恐怖はないにしろ、何気ない生活の中で「コロナの影」におびえながら生きる時代になったのです。
しかし死を意識して生きることは、決してネガティブな面ばかりではない、と私は考えています。社会の発展や医学の進歩によって、普通に生きていて命の危険にさらされることは少なくなりましたが、自然災害や事故、病気、怪我など、生命をおびやかすリスクはいまだに存在している。私たちは決して、ゼロリスクの世界に生きているわけではありません。
それなのに、「縁起でもないことは考えたくない」と目を背ける人は多い。これは、逆に不安を増大させる考え方だと私は思います。「人はいつか死ぬ」という真実と向き合い、そのための準備を整えるほうが、毎日を生き生きと過ごすことが可能になるのです。
◆余命が決まる前に考えておく
医学の進歩によって、回復の見込みがなく、何もしなければ亡くなってしまう状態であっても、可能な医療の選択(延命治療)が増えました。その分、自分で決めなければいけないことが増えたのです。
たとえば進行がんで余命宣告を受けた時、「これ以上苦しい治療は受けたくない。好きなものを食べ、家族とおだやかな時間を過ごしたい」と希望するのか。
あるいは、「一日でも長く生きたいから、つらくても最先端の抗がん剤治療を受けたい」と願うのか。自分はどうしたいのかを考えておかなくてはなりません。
「延命治療」とか「終末期医療」という言葉を聞くと、「自分にはまだまだ遠い話」と思う方が多いかもしれません。しかし、年齢を重ねれば基礎疾患のリスクは増えます。心筋梗塞や脳梗塞の発作で、ある日突然、生死を分ける事態になる可能性もある。 命が助かったとしても、意識のないまま寝たきりの状態が長期にわたって続くことも考えられるでしょう。
ご本人の意思として、無理な延命治療を行わず、痛みや不快などを取り除きながら、自然な形で逝きたいという場合もあるのではないでしょうか。 このように、望まない治療を受けずに迎える最期を「尊厳死」と呼びます。しかし個人的には、「尊厳《生》」と言いたい。
延命をしないということは、生に執着しないということではありません。自分の最期の選択を決めておくことは、その時まで満足のいく生を全うすることに繋がる。だから早めに考えなくてはならないことなのです。
◆具体的な延命治療の内容は
一口に延命治療と言っても、さまざまな状況、方法があります。ただ単純に「無理な延命治療はやめてほしい」と言うだけでは、病院も対処できません。だから治療方法を知っておく必要がある。
たとえば医師から、「口からご飯が食べられなくなったら胃ろうにしませんか」と提案された時、どうしますか?現実には、「そもそも胃ろうって何ですか?」と訊ねる人がほとんどです。
現在行われている延命治療には、主に「人工栄養」「人工呼吸」「人工透析」の3つがあります。
「人工栄養」は、口から栄養が摂取できない人に対して行われる処置。チューブを介して流動食を直接胃に注入する方法が胃ろうで、他には血管に栄養剤を点滴で注入する方法があります。
「人工呼吸」は、自発的な呼吸ができない人に対して、人工呼吸器を用いて酸素を肺に送るもの。高齢者の場合、誤嚥を防ぐために口や鼻からチューブを挿入する気管挿管、喉に穴を設けて空気の通り道を作る気管切開が処置されることが多いでしょう。
「人工透析」は、腎機能が低下して血液中の老廃物の除去ができなくなった慢性腎不全の患者に対して、尿毒症を予防するために行う処置のこと。週3回など決まった回数の治療を受ける必要がありますが、前述の2つと異なり、意識があることがほとんどで、自分で判断できます。
これらの医療措置によって、以前は助からなかった命を長らえさせられるようになりました。
しかし一方で、本人が望んでいなかった延命治療をされ、その結果意思疎通もできないまま生き続けるということも、残念ながら起きています。
たとえば胃ろう。胃ろうは1990年代に導入されました。当初は、栄養をつけて体力が戻ればいずれ外せる医療措置として始まったものです。胃ろうをすると、水や栄養がしっかり摂れるため、処置前よりもふっくらとし、肌ツヤも良くなる。 意識が回復することもまれにあり、「お母さん、前よりも元気みたいね」などと話しかけると、「うんうん」と反応し、手を握ってくれることもあります。
とはいえ、若くて体力のある人が嚥下の訓練をして胃ろうを外せたケースはあるものの、高齢者の場合は難しく、ほとんど再び自力で食べることはできないのが現状です。 しかも胃ろうを続けると、口から物を食べなくなるので飲み込む力がさらに弱まり、口内に溜まった唾液が肺に入ることで、誤嚥性肺炎を起こすことも。
これは病院に行けば治療できますが、治るのはあくまで肺炎だけです。根本的な治療ではないので、繰り返し誤嚥を起こすようになります。 そうした姿を目にして、「これは本当にお母さんが望んでいたことなのか」という疑問が湧いてくることもあるでしょう。
かといって、医師に胃ろうを提案された時に断るというのも、家族にとっては非常につらい決断です。断れば、山で遭難して水や食べ物が断たれるのと同じで、病院にいたとしても1週間後には確実に死に至ってしまうわけですから。
人工呼吸についても同様です。意識レベルが落ちているので、基本的には痛みを感じないとはいえ、口や鼻からチューブを挿入されたり、気管切開でチューブを交換したりする際には多少の苦痛が伴います。 また、「チューブだらけでかわいそう」と言って苦しむご家族の方もいらっしゃる。
肺炎などで緊急入院した場合に、「万が一を考えて気管挿管をしますか」と主治医から提案される場面は多く、これもまた、本人にとっての重大な決断を家族が下さなければなりません。