生物一般は生という入口から入って死という出口に向かう。逆はない。
だが出口(死の側)から入口(生の側)をふり返って見ることーー小林秀雄は死刑体験があるドストエフスキーを「出口から逆に歩いた人間」と評したーーができたとき、そこには入口から見たのとはまったく違う光景が広がっている。死にゆく者の眼に映るのは、明るく輝き真っ赤に燃えさかるばかりの「いのち」である。
大橋健二「天地の間に 己一人 生きてありと 思ふべし」190p
アメリカの教育哲学者、ネル・ノディングス(Nel Noddings)は言う。
「世話 care」ーーハイデガーが語る「Sorge ゾルゲ」ーーとは、愛し愛されるというつながり、互いに安心と信頼で結ばれた関係性であり、ケアこそが、学校教育で教え・学ばれるべき最大の目標であり人間と日常生活の根本原理である。
(一方、)現代世界あるいは戦後日本教育が求めた理想の人間像は、過去や家族・地域的なしがらみの束縛から自由な自己決定する「自立した個人」である。それは自己以外のあらゆる「つながり」からの解放を意味する。
これに対し、ノディングスはこう批判する。学校教育においては「つながり」=「ケア」のなかに人間の希望がある。今日の多くの子供たちは異なる世代と接触する機会があまりにも少ない。
子供たちは、自分の世代をはじめ、親の世代、高齢者の世代が直面する問題を勉強する機会をほとんどもたない。
だから彼らはこれから生きなければならない世界のことも、老いて死ぬということも、どちらも学ぶことができない。子どもは、あらゆる世代の人々と「つながり」をもち活発にふれあい・協調することで現実世界を豊かにし、希望ある未来を歩むことができる
(「学校におけるケアの挑戦:もう一つの教育を求めて」ゆみる出版、2007年)
異なる世代間における「世話するーー世話される」「教えるーー教えられる」「助けるーー助けられる」という相互扶助・相補的で濃密な関係性ーーすなわち「孝」あるいは「Generativity」(次世代育成能力)ーーが、老若相互に人格的成長を促すとともに、人間が本来有する他者へのやさしさ、気遣いという高貴な心性を引き出してくれるというのだ。
大橋健二「天地の間に 己一人 生きてありと 思ふべし」242p
アポロ15号に搭乗したジム・アーウィンは漆黒の宇宙空間のはるか遠く、青い宝石のようにポツンと浮かぶ地球を見て、その弱々しさに驚いた。地球も自分もなんと「無力で弱い弱い存在」だ。何の動きもない。動くものが一切ない。全くの無言。静謐で人を身ぶるいさせるほど荒涼索漠としている。
にもかかわらず、宇宙は人を打ちのめすような荘厳さと美しさを持っていた。
大橋健二「天地の間に 己一人 生きてありと 思ふべし」316p
事態が変化すれば、日本人は態度を一変し、新しい進路に向かって歩み出すことができる。
日本人は態度変更を、西欧人のように、道徳問題とは考えない。
敗戦後の日本人のこの180度の転向は、アメリカ人にはなかなか額面通りには受け取りにくい。
それはわれわれにはとうていできないことである。
(ルース・ベネディクト「菊と刀ーー日本文化の型)
日本人は事態が変わればただちに「態度を一変」して回れ右し「正反対」の行動をとる。ここに、ほとんど躊躇がない。
日本の捕虜は、きのうまで「鬼畜米英」として殺し合いをしていたにもかかわらず、信じがたいことに、敵の連合軍に自ら進んで協力した。
弾薬集積所の位置を教え、日本軍の兵力配備を綿密に説明する。米軍の宣伝文を書き、米軍の爆撃機に同乗して軍事目標に誘導する者もいた。米軍の、連合軍の兵士たちは、たとえ破れても、依然として前と同じ考えを抱き続ける。戦いに敗れたとしてもヨーロッパ人は、どの国においても、徒党を組み抵抗運動(レジスタンス)や地下活動を行ない、徹底抗戦を辞さない。
ところが、日本人の俘虜(捕虜)はまったく違っていた。態度を豹変させるのだ。
彼らの180度の転向ーーright-about-face、軍隊用語で「回れ右!」ーーは、理解を超えることだった。
ベネディクトを驚かせ、あきれさせた日本人捕虜の180度の態度豹変(right-about-face)は戦後も続いた。連合軍総司令官として上陸したマッカーサー元帥のもとに、驚くべきことだが、全国から政治家・医師・農民・主婦・小学生までが彼を天皇以上の存在として「日本のためいつまでもいて下さい」と絶賛・感謝し、ほめ称える手紙が山をなし50万通も届いた(袖井林二郎「拝啓マッカーサー元帥様 占領下の日本人の手紙」大月書店、1985年)。
大橋健二「天地の間に 己一人 生きてありと 思ふべし」103p