快く死を迎えるため最後の挑戦 松本の元神宮寺住職・がんで闘病中の高橋卓志さん

快く死を迎えるため最後の挑戦 松本の元神宮寺住職・がんで闘病中の高橋卓志さん | 地域の話題 | 株式会社市民タイムス (shimintimes.co.jp)

闘病の日々や人生への向き合い方を語る高橋さん(6月15日)

 松本市浅間温泉3の神宮寺の元住職で、寺や仏教のあり方に一石を投じてきた僧侶・高橋卓志さん(74)がステージ4のがんと闘いながら、人生の総決算として「快く死を迎えるための挑戦」を始めている。

がん治療の不快や死への恐怖を和らげ、人生の最期を豊かに過ごすために、能動的に治療に向き合い、思いや願いを残し、病の中でも生きる喜びを感じる場所をつくりたい―。覚悟と信念を取材した。

 69年を過ごした松本を離れ”再誕の旅”に出たのは平成30(2018)年だった。

しかし令和3年春にS状結腸がんが見つかり切除。秋には虚血性腸炎とともに直腸がんが見つかり、直腸や胆のう胆管を摘出、肛門を閉じて腹部にストーマ(人工肛門)を造設した。

翌4年は種をまいたようにがんが散らばる腹膜播種が発覚。

小腸、膀胱壁、腸壁腹壁の播種を切除するも取り切れず、新たに居を構えていた京都から松本に帰郷して、抗がん剤治療を始めた。

 これまで四苦抜苦を唱え、生老病死に絡む苦しみの緩和や解消を問い続けてきた。

4000人を超す葬儀に携わり、死に寄り添い続けた。

しかしそれらはいずれも「三人称の死」。

初めて目前に意識した「自身の死=一人称の死」は全く別物だったという。


 「どうしようもなく前が見えない時期が何度もあった。不安や恐怖から自死に誘われる幻覚を見た日もある」


 長期入院を余儀なくされた一昨年末。

夜、トイレに起きると窓際に白いベッドが見えた。

かつて安楽死を問う旅で目にした、スイスの自殺幇助団体エグジットの光景―。幻覚だった。

別の晩にはストーマのパウチ(袋)を破って大量の宿便がベッドに流出。

強烈なショックを受け、眠れない夜が続いた。QOL(生活の質)の著しい低下、耐えがたい心身の苦痛、孤独や死の予感の中でうつ病を発症していた。


 死線を越える、その実相はどんなものなのか。

この間手術で経験した全身麻酔は”疑似的な死”だった。脈拍と呼吸をギリギリ確保しながら意識を失う。

麻酔が入った瞬間目の前がブラックアウトし、次の瞬間には何時間もの手術が終わっている―。

「三途の川も極楽浄土もない、死んだら真っ暗けの世界。この世のあらゆる愛情も怨念も、別れのつらさも苦しみも、一挙に無くなるんだと思った」


 死への過程では「プレグリーフ」が起こる。死別や喪失を意識することで起こる悲嘆だ。


 「けれども死を迎えた瞬間、一切は無になる。だからそこにたどり着くまでに快いファイナルアプローチを過ごして、静かにランディング(着陸)するように死んでいきたいと思うようになった」


 高橋さんは平成26(2014)年、がん患者の造園家マギー・ジェンクスが構想したマギーズセンターを英国に訪ねた。

死の恐怖の中でも安らぎを感じられるがん患者の支援施設―。通院する治療センターの待合室で、あの温かで穏やかな安息所を思い出した。


 「マギーズマインド(精神)を持ったマギーズライク(マギーズのよう)な場所を身近な地域にも広げたい」


 2人に1人ががんを発症する時代。

闘病の不快を増幅させるものが冷たく無機質な医療施設の環境や重苦しさ、孤立や孤独なのだとすれば、心地良い場所や時間を提供することで、不快の軽減や”快”への転換ができるのではないか。

具体的な環境整備に向けて模索を始めた。


 「やり残したこと、やらなければいけないことを死にゆくまでに仕上げていきたい。それは闘病する自分にとっての快さでもある」


 今年も6月は沖縄に飛んだ。沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」に祈りをささげるためだ。

戦争の悲惨や命の伝承を長年のライフワークとしてきた、その最終章として佐喜眞美術館「沖縄戦の図」の前で11弦ギタリスト辻幹雄氏と読経の共演を録音・CD化する計画も進める。

「根底にあるのは絶対平和の願い。これだけは命が尽きても残したい」


 治療の困難に直面し、限られた時間を見据える中でも、能動的に闘う意欲を持ち続けることで「勇気が湧き、前向きな時間が生まれる」。それは尊厳を保ちながら、生を全うすることにもつながる。


 「死は自然の摂理。別れを迎えた時に『思い切って生きたから良かったよね』と残された人たちに思ってもらえる、そういうことが大事なんだろうと感じています」

                   ◇


たかはし・たくし 昭和23(1948)年、松本市浅間温泉の神宮寺に生まれる。松本深志高、龍谷大卒。平成3(1991)年同寺住職。寺や葬儀の改革を進め、故・永六輔氏らと寺を使う文化活動「尋常浅間学校」を10年100回開催。日本チェルノブイリ連帯基金の創設、平和の希求活動、医療とのコラボレーションなど多分野で活動。寺の家業化を批判し、30年にフリーランスに。『寺よ、変われ』『死にぎわのわがまま』など著書多数。

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