“革命僧”がステージ4のがんに「死へと向かうプロセスは自分の人生総決算のネタ」

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4月18日、長野県松本市の自宅で本誌の取材に応じた高橋卓志さん
4月18日、長野県松本市の自宅で本誌の取材に応じた高橋卓志さん

 仏教界の慣例を打破し続け「革命僧」とも呼ばれた僧侶の高橋卓志さん(74)が、進行した大腸がんと闘病中だ。3度の手術に耐え、現在は抗がん剤治療を続ける。数々の「いのち」と向き合ってきた高橋さん今、どんな日々を送っているのか。

【写真】筑紫哲也さんと対談する高橋さん

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「いま僕は死の淵の回廊を巡っていて、いつ死の闇の中へダイブしてしまうかもわからないという心境です。そういう状況の中で初めて死が『一人称化』されてきました」

 長野県松本市の自宅を訪ねると、高橋卓志さんはこう語り始めた。言葉からは切迫感が伝わるが、表情は穏やかだ。

 高橋さんは、生・老・病・死にからみつく苦しみ(四苦)を抜き去ることが仏教の一丁目一番地と捉え、最も厄介な「死苦」に関わることを自らの使命としてきた。「いのちを支える」「死を支える」をモットーに、友人である医師の鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長)と手を携え、多くの末期がん患者を支援してきた。ベッドわきで死への不安や恐怖に耳を傾け、看取りにも立ち会ってきた。

「これまで多くの死に接してきましたが、あくまでも『三人称(他人)の死』として、自分は安全なバリアの中にいるような関わり方でした。しかし昨年9月、大腸がんの腹膜への転移が見つかり、ステージ4と診断された時、自らの命の危機を実感せざるをえなかった。初めて自分の死と、他人の死が重なったのです」

 高橋さんの半生は破天荒なものだ。寺の経理はブラックボックスの中にあると指摘。住職を務めていた神宮寺(松本市)の経理や葬儀の明細をすべて公開し、お布施にも領収書を出した。葬儀も葬儀社のホールを使用せず、寺で行った。経費を節減する一方、故人や遺族の意向をくんだ手作りの葬儀を挙げてきた。このため神宮寺の葬儀は、一般の葬儀社が提示する費用よりずっと安く抑えられた。

「死へのプロセスは不安や不快に満ち、痛みやつらさを伴います。ところが、多くのお坊さんたちはそこには目を向けず、死後の儀式のみに関わる“死のセレモニー屋”と化しお布施をいただいています。だから、世間から『坊主丸儲け』と非難され、仏教界への不信感が高まっているのです」

2011年8月、神宮寺で震災と原発事故について語る高橋さん
2011年8月、神宮寺で震災と原発事故について語る高橋さん

 寺が家業化しているとして世襲批判も展開。高橋さんは2018年5月、神宮寺の住職を退職し、フリーランス宣言。寺を血縁関係のない当時の副住職に託し、妻の実家がある京都に拠点を移した。

「いのち」と向き合い、社会活動にも積極的に関わった。日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)事務局長として、原発事故後の医療支援活動に携わった。子どもの甲状腺がんや白血病の治療などが目的で、信州大学医学部附属病院の医師に協力を呼びかけ、1991年から96年までの間に36回にわたって現地入りした。

 高橋さんは、今度はがんと闘いながら日々どんなことを考えているのか。

 血便や便秘などの症状が表れ、S状結腸がんが見つかったのは21年3月。京都府内の病院で大腸内視鏡検査を受けて発見されたが、手術はこれまで通い慣れた諏訪中央病院(長野県茅野市)で受けることにした。医師からは「ステージ2のがんで取ってしまえば問題ない」と言われ、安心していたという。実際に腹腔鏡手術を行った後、わずか1週間で退院できた。

■絶食17日も無効 コロナで孤独感

 その後、順調に回復したが、10月半ばにひどい便秘に苦しめられた。病院で処方された下剤も効かない。便が出ない代わりに、腸液だけが排泄される状態だった。

「CT検査を受けると、S状結腸がんを取って吻合した部分の下から13センチほどの腫脹(腫れ)が腸管を塞いでいることがわかりました。わずかな隙間が腸液の通り道になっており、便はそれより上にぎっしりとたまっている状態でした。病名は虚血性腸炎で、持病の糖尿病で虚血を起こし、腫脹を生んだと考えられるそうです。多くは一過性なので、絶食で腸を休ませることになりました」

 だが、17日間の絶食を経ても、腫れは改善しなかった。67キロあった体重も、53キロまで減った。

「寝ている間も腸液は失禁状態でした。点滴のスタンドをガラガラと引きずりながら、オムツにパッド、ティッシュペーパーを抱えて1日に30回以上トイレに行く始末でした。病室のベッドや床を汚すのは本当に情けなかった。そんな状態が続いて気が滅入りました。新型コロナの影響で面会はできず、妻が来ても着替えを置いていくだけ。松本から息子や孫が8時間かけて見舞いに来ても結局会えず、駐車場から電話をかけてきて『じいじ、頑張って』と。孤独感に苛まれました」

一方で、内視鏡検査で肛門から2センチ上の直腸に初期がんが見つかった。2度目の手術も諏訪中央病院で受けることに決め、転院することになった。12月に実施した手術で、直腸とその上部にある虚血性腸炎による腫脹部分を切除。肛門を閉鎖して人工肛門(ストーマ)を造設した。

 手術前に発症した急性胆嚢炎の影響で、術後も40度近い熱が続いた。合併症として感染が起こる可能性があることを理由に、手術後の痛み止めに使われる麻酔が中止された。高橋さんは全身の激しい痛みに何日も苦しんだ。毎晩、眠ろうとしても眠れず、天井を眺めているだけだった。トイレに行こうともがきながら起き上がると、窓際に白いベッドがぼんやりと浮かび上がった。

「どこかで見たことがあると思ったら、スイスの自殺ほう助組織『エグジット』の施設内で見た、死に逝く部屋のベッドでした。14年、僕は仲間とともに自殺ほう助が合法化されているスイスや、安楽死が認められているオランダを訪れました。自分が不治の病気に侵され、苦痛の限界に達した時にどうするのか。安楽死の選択はあり得るのか。そんなことを考える旅でした。幻覚を見たのは身体的な苦痛に加え、恐怖や不安感から精神的に参ってしまったからです。自死が頭をよぎりました」

 翌日、精神科の医師の診察を受けると「反応性うつ病」と診断されたという。術後4日目の未明にはこんなアクシデントに見舞われた。深夜2時ごろ、睡眠剤を服用して眠りについたが、明け方になって下半身に冷たさを感じて目が覚めた。

「触ってみると、ものすごい量の便でした。2カ月近くまともな排便がなかったため、便の圧力がストーマの袋を破って一気に流れ出たのです。夜勤の看護師さんたちが『あ、出たわね』と言いながら手際よくきれいに処理してくれました。この時、僕は30年前に死んだ父のことを思い出しました。父は亡くなる10日ほど前に便秘が続いたため、浣腸してもらい便が山のように出たのです。処理をしてくれている看護師さんに『ごめんね。臭いだろう。これがホントの糞坊主って言うんだよ』と笑った。僕にも同じことが起きたんです」

 22年元日に退院し、京都の自宅に戻った。2月以降、徐々に日常生活を取り戻していくと旺盛な活動意欲が蘇った。8月には、かつてHIV感染者の就労支援などに携わったタイ・チェンマイ郊外のファリン村を訪問。人口6千人ほどの小さな村だが、高齢化が問題になっていた。

「ファリン村で日本の訪問介護やデイサービスのような事業ができないかと考え、現地のパートナーであるファリン寺の住職と介護戦略について話し合いました」

「いのち」をテーマに筑紫哲也さん(右)と対談した高橋さん(高橋さんの公式サイトから)
「いのち」をテーマに筑紫哲也さん(右)と対談した高橋さん(高橋さんの公式サイトから)

■死へのプロセス 快く過ごすには

 10月から半年間くらいチェンマイに滞在する計画を立て、住む家も決めていったん帰国した。だが、9月の定期検診で腫瘍マーカーが上昇していたため、高性能診断装置PET‐CTを受けた。その結果、がんが腹膜に転移し、あちこちに散らばる「腹膜播種」の状態だった。

「ステージ4ですが、担当医の先生は『根治を目指す』と言ってくださり、僕もその意欲を持たなければと思いました。いまこそ、僕がかつて末期がん患者さんたちと向き合う中で行ってきたこと、語ってきたことが正しかったのかどうか、身をもって判定できます」

 もう一つ、高橋さんが闘病生活でテーマにしていることがある。

「死までのプロセスを、いかに快く過ごしていくか、ということ。この実践がいままでの人生総決算のネタになると考えています。尊厳を保持した死を求めるなら、不快を快に転換する方法を考える必要があります」

 10月に行った手術では4カ所の転移巣を切除し、11月末から全身治療として抗がん剤を投与することになった。諏訪中央病院への通院が必要になるため、京都から松本に戻ることを決意。手術前に物件を決め、退院後、抗がん剤治療が始まるまでに引っ越すという強行スケジュールを敢行した。

「メチャクチャ大変でしたが、これも快さの追求の一つです。68年間住んだ故郷に戻り、子どもや孫たちも近くに住んでいる。家からは北アルプスの常念岳も見えます。これらは何よりも快く強力な抗がん剤です。死へのプロセスにある不快を少しでも快に転換することは、QOL(生活の質)の獲得につながる。その結果、豊かで穏やかな死への着地がかなうかもしれない。そんな『快い死への道のり』を探す実践を、自分自身のがん治療の中で試してみたい」

 生命を賭した挑戦は、これからも続く。(本誌・亀井洋志)

週刊朝日  2023年5月19日号

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