若月院長からの「招待状」

日経メディカル 2023年1月31日 色平哲郎  

様々な資格で日本に入国して働く外国人労働者の数は182万人を超えた(2022年10月末現在)。

人口減少の日本社会にあって、外国人労働者は欠かせない存在だが、「不法滞在」の烙印(らくいん)を押された途端、医療へのアクセスは著しく悪化し、人道的危機を招いている。

例えば、2021年に名古屋出入国在留管理局で起きたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんの死亡事件は記憶に新しい。

日本語学校に通っていたウィシュマさんは、母国からの仕送りが止まって学費の支払いが滞り、除籍処分。不法滞在状態となった。

同居していたスリランカ人男性の暴力に耐えかねて交番に駆け込むと、名古屋出入国在留管理局に送られた。

21年1月ごろから体調が悪化し、嘔吐をくり返して体重が急速に減った。

医療機関で診療を受けたくて仮放免の申請を出すも、初回は不許可。

2度目は可否の判断すら行われなかったという。

同年2月に外部病院を受診したが、入院などの措置は取られなかった。

3月6日に病院に搬送され、死亡が確認。

33歳の若さだった。死因は特定されていない。

ウィシュマさんの事件発覚後、世論の反発を受けた政府は、入管当局の権限を強化する出入国管理及び難民認定法改正法案の国会への提出を見送った。

佐久総合病院内に開設された「外国人医療相談室」

ウィシュマさんの事件に接し、私が反射的に思い出したのは、30年余り前、1991年に発生したフィルピン人女性、マリクリス・シオソンさんの悲劇だった。

ダンサーとして来日したシオソンさんは、雇用主にパスポートを没収され、性的サービスを強要される。

体調を壊して福島県南部の病院に入院したが、その1週間後に死亡が確認された。

死因は、多臓器不全と劇症肝炎と家族に報告された。

だが、遺体が母国に送られ、マニラで検死が行なわれると、拷問らしき痕や刺し傷が見つかり、シオソンさんの死には日本のヤクザが絡んでいたのではないか、と大問題となった。

フィリピンやタイは、いわゆる「ジャパゆきさん」と呼ばれた日本への出稼ぎ女性たちの実態調査に乗り出す。

当時、佐久総合病院の研修医だった私は、この調査に積極的にかかわった。

院長の故・若月俊一先生(のち名誉総長)にフィリピンの女性ソーシャルワーカーの来日ビザ申請に必要な招待状へ署名していただいた。

タイの女性ソーシャルワーカーを含む3人の調査チームの渡航費と滞在費を私が支弁した。

彼女たちは長野県各地で働く同胞に母国語で電話をかけ、実態を聞き取り、その報告会を長野県上田市のカトリック教会で開き記者会見を実施、その後、福島県の現場に向かった。

そして苛酷な医療環境、生活環境が明らかになるとともに、佐久総合病院内に「外国人医療相談室」(責任者:佐藤博司診療部長・当時)が立ち上がったのである。

若月先生は自著「ボランティアのこころ」(労働旬報社、1993)に同相談室についてこう記す。

やや長くなるが、引用しておきたい。

「相談料は100円。出稼ぎの日系人やタイ、フィリピンなど東南アジアからの外国人労働者が多く、安い賃金で、しかも不潔な生活をしているから、病気も多い。

ところが、言葉がうまく通じないから相談相手もなく、つい病気をこじらせてしまう。悲惨なケースも少なくない。そこで、その『相談室』で、医者に行かなくても済むような場合は、アドバイス。

医者に診てもらわなければならない場合は、その医療費。

さらに日本の医療機関の利用の方法などをいろいろ教えてあげる。

そのために医師、看護婦、ケースワーカーなどが一緒になって、その相談にのるのであるが、問題は外国語がよく分からない。

ところが、病院の研修医色平君が、そのボランティアを連れてきた。

スペイン語、ポルトガル語は、芝平さん。

上田市の小学校の先生である。

タイ語は軽井沢病院の放射線技師、横田さん。

英語は、日本人を妻とする臼田町の英人クラークさん。

月一回を二時間、いずれもボランティアとして参加してくれるのである。

私はこの人たちと面接して、いろいろお話を聞き、深く感動した。

この山の中にも、外国人労働者の健康な生活のために働こうとするこういうヒューマンなインテリがいるのである」

あれから30年余。

今や外国人労働者なくして日本社会は立ち行かなくなったが、彼らを取り巻く状況は好転したといえるのだろうか。

政府は、今国会に入管当局の権限を強める入管法を再提出するという。

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(若月先生の著書引用箇所の「軽井沢病院」は、当時の西軽井沢病院のことです・著者)

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