ひとりで逝く人

もう十数年前のこと。

以前、NHKが『無縁社会』という番組を放送し、「無縁社会」という言葉がその年の流行語にもなったことがある。

現代社会では、ひとり誰にも看取られずに亡くなる高齢者が多数存在する。

特にコロナ禍ではなおさら・・・。

病院内で患者さんが亡くなっても、「親父が死んだからって、俺は葬式もあげられないし、遺骨もいらないから、あんたが代わりに処分してくれよ」と遺族から直接言われたことも、一度や二度ではない。

また、大勢の家族に囲まれた患者さんであっても、病状が次第に悪化し、家族が夜になってそれぞれの場所に帰ると、私の腕をつかんで「夜が来るのが怖い」「ひとりにしないでくれ」「このまま俺は、死んでしまうのではないか」「電気を消さないでくれ」と、泣きながら懇願されたことが何度もあった。

人間の気持ちは、一定ではない。常に変化している。

自分自身の意思と力で、日常生活を送れる間はよい。

しかしながら、がん末期になり、寝たきりとなって、排泄すら自分で処理出来なくなると、他者の力を借りなければ、人は生きていけないのである。

ひとりで逝く人

今でも忘れられない患者さんがいる。

80代の女性Aさんは、親族がいるものの音信不通状態であった。

入院当初、宗教者の存在を快く思っていないことを、その表情から私は察していた。

しかし、体調が悪化するにつれて、Aさんから「話を聞いてほしい」「傍にいてほしい」と頼まれることが多くなり、私はAさんと長く時間を共にする事になった。

そしてある日の深夜、私が自宅で寝ていると、「Aさんの死が近い。すぐに病棟に来るように」という病院からの呼び出しがあった。

急いで病室に駆け付けると、Aさんは今にも息を引き取りそうな状況であった。

私の顔を見るや否や、口をパクパクと開けて何か言いたそうな表情をした。

私はAさんの手を握り、Aさんの口元に自分の耳を近づけた。

Aさんは一言一言を絞り出すように、こう言ったのである。

「ヒ・ト・ノ・イ・タ・ミ・ノ・ワ・カ・ル・ヒ・ト・ニ・ナ・ッ・テ・ク・ダ・サ・イ・ネ」。

そう言い終わるとAさんはカクンと息を引き取ったのであった。

私は何とも言えない感情が込み上げてきて、その場で涙が止まらなくなってしまった。

なぜ、涙が止まらなかったのだろうか?

今になって考えると、「私はもうあの世に行くけど、あなたのことを見守っているよ。いのちを粗末にしないでね。限りあるいのちを精一杯生き切ってほしい。若いあなたと出会えてよかったよ。ありがとう」という感謝の気持ちが伝わってきて、胸がいっぱいになってしまったように思う。

宗教者なんて全く必要とされていない、もう病院を辞めてしまおうという投げやりな感情を抱えながら嫌々仕事をしていた私を全て見透かした上で、許してくれたように感じたのだ。

同時に、私自身が死んでいく時に、誰かに「世話になったね」「ありがとう」と「願い」を託せるような生き方をしているか?と自問せざるを得なかった。

「あいつが憎い」「勝った負けた」と損得勘定の中で生き続ける私自身が、死を前にした時、何だかちっぽけな人間に思えて仕方がなかったのだ。

Aさんの死を無駄にしないような生き方がしたいと、私はその時、決意を新たにした。

宗教者として生きていく覚悟を定めた時とも言えるだろう。

闇の中でやっと光を見つけた瞬間でもあった。

人は自分自身を肯定してくれる存在に出会えた時、初めて他者の存在を許し、肯定することが出来ると確信した瞬間でもあった。

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