日本におけるSDGsの「いま」と協同組合・非営利組織の課題
アフリカ日本協議会共同代表・SDGs推進円卓会議構成員 稲場雅紀 いなばまさき
1.SDGs達成を阻む複合的危機
SDGsは2016年から2030年までの15年間で達成をめざす目標であり、既に半分が過ぎたことになる。
果たして残り7年で、持続可能な世界にたどり着けるのだろうか。厳しい状況であるのは確かである。
今、世界は「ポリクライシス」の状況にある。
「ポリクライシス」は2023年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で主要テーマとして取り上げられ注目されるようになった言葉で、「複合的危機」と訳される。
主要な危機としては、気候変動と生物多様性の喪失という、環境の大変化をもたらす危機、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを含む保健上の危機、ロシアによるウクライナ侵略と、それが火をつける形で進行した世界の分断、そして、AI・デジタル技術をはじめとする科学技術イノベーションなどが挙げられる。
科学技術イノベーションは好意的にとらえられることも多いが、現状では経済的メリットが優先され、
「この技術が導入されたらどんな問題が生じるか」「その問題をどう防ぐか」といった考慮はなされず、生煮えのまま次々と導入される構造になっている。
科学技術イノベーションの導入と、その結果として生じる社会問題の解決との間にタイムラグが生じ、
そこに大きな矛盾が生まれる。
誤情報やデマゴギー、陰謀論の流布などはまさにデジタルと情報流通にかかわる問題点であろう。
このような複合的危機の中、SDGsは悲惨な現実にさらされている。
「世界持続可能な開発報告(GSDR)2023」によれば、SDGsの主要な36のターゲットのうち、2030年に達成できそうなものはたった2つだとされる。
「気候変動」「生物多様性」の後退、新型コロナウイルスや戦争による「貧困・飢餓」の後退、さらに難民も増大している。
SDGsの進捗状況は、4年に1度ニューヨークで開催される首脳級サミットでレビューされる。
2019年のサミットでグテーレス国連事務総長は、このままではSDGs達成は厳しいとの見方を示し、2020年からの10年間を「行動の10年」として取り組みの加速を求めた。
しかし、「行動の10年」が始まった途端に新型コロナが大流行し、SDGsの各目標・ターゲットはいずれも後退した。
コロナ禍の終息は大規模なインフレにつながり、2022年にはロシアのウクライナ侵略によって世界的な食料不足や流通の問題も生じた。
アメリカを始めとする先進国がインフレ対策として利上げを実施したことで、債務超過に瀕する途上国が増大した。
これらの国々では、SDGs達成のために資金を回すどころではなくなっているのが現状である。
世界が大きく変化する中でどのようにSDGsを達成するか、この連立方程式について、私も2015年の段階では十分に考えられていなかった。
SDGsの達成に向けて精いっぱい努力することで、2030年には貧困や格差をなくすことはできるはずだ、と考えていた。
しかし実際には、土俵そのものが動いてしまうという予想外の状況があった。
SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)は2000年から2015年までの目標だったが、この時も2008年のリーマンショックによって後退を余儀なくされた。
この経験があったのだから、SDGsにおいても何らかの破壊的なインパクトが生じた場合の対策について、
最初からシナリオ化しておくべきだったのだ。
現代世界の危機の深まりについて、【図1】に整理した。
まず大きく「地球の限界」の危機がある。
本来なら我々人類は一丸となってこの危機に立ち向かわなければならないが、
それを難しくさせる2つの危機が存在する。
1つは「地政学的転換」の危機。
巨大な経済規模を持つ新興国が複数登場し、これまで支配的権力を握ってきた欧米が相対化された一方で、パラダイム転換への道筋は全く見えてこない。
「空白の時代」の到来である。
もう1つは、先述した「科学技術イノベーション」がもたらす危機である。
科学技術イノベーションによって生じる社会問題の解決には長い時間がかかる。
国際条約をつくり、その条約を国内法に転換し、規制を実施するというプロセスが必要だからだ。
一方、科学技術イノベーションは不公正かつ無秩序な形で次から次へと投入される。
この投入スピードとそれによって生じる社会問題の解決スピードの間には膨大なギャップがあり、ここに大きな矛盾が生じる。
これらの危機を乗り越えて、新しい世界のあり方をつくれるかどうかが課題である。
ここで考えておかなければならないのは、これらの危機の根はいずれも現在の経済システムにあるということだ。
2.危機感の薄い「日本のSDGs」
ここでSDGsについて簡単に振り返っておきたい。
SDGsは、1から17までの目標が密接につながりながら存在している。
大別すると、ゴール1~6は「貧困をなくすゴール」、ゴール7~11は「『つくる・つかう』に関するゴール」、ゴール12~15は「環境を守り育てるゴール」、ゴール16・17は「どうやってやるか?のゴール」となる。【図2】
SDGsは「選択と集中」アプローチを脱却し、普遍的・総合的・包摂的アプローチをベースに構築された。
SDGsが策定されるまでの交渉において、英国や日本などの先進国勢は「選択と集中」を主張したが、
国連事務局やSDGs形成をリードしてきた有識者たちはこれを「課題を減らしたい人たちのやり方」
と批判した。
結果として、17ゴール・169ターゲット・231指標という非常に大きな目標が設定されることになった。
ゴール1から17までを見ていけば、必ずどこかに自分が抱えている問題があるはずだ。
これにより、SDGsが自分にとっても身近な目標であるという意識付けができ、多くの人々を巻き込むことに成功したといえる。
忘れてはならないのが、2030年までにSDGsが達成されない場合、地球も、もちろん人類も持続できないリスクが高まるということだ。
したがって、SDGsはとにかく達成されるべきものと考えられており、目標から逆算して作戦を立てて実行する「ムーンショット」の考え方を取っている。
しかし先述のとおり、このプロセスの中で 破壊的な事態が生じた場合にどう取り返すのかについては、
残念ながらシナリオ化されていなかった。
地球が持続できないとはどういうことか。
世界全体の資源消費量と、地球が再生できる量のバランスが同じになったのが1970年であり、以降は消費量が再生量を超過し続けている。
世界自然保護基金(WWF)によると、現在の人類社会は地球1.69個分を使っているという。
超過している0.69個分は、本来なら未来世代が使う分を前借りして使っていることになる。
持続可能な社会とは、将来世代の可能性とニーズを奪うことなく、現代世代の可能性とニーズを満たす社会である。
未来世代の分を我々が奪い続ければ、やがて世界は持続不能となり、人口は減少していく。
そこが「地球の限界」だ。
【図3】は1970年代に発表されたグラフだが、この時点で既に成長の限界は予測されており、不可逆的な変化が生じるのは2030~40年の間だと推定されていた。
実際、現在までのプロセスは、このグラフをほぼ忠実になぞるものとなっている。
今、我々に突きつけられているのは「SDGsか、滅びるか」の選択だ。
強い切迫感を持たなければならない状況だが、日本のSDGsに果たしてそのリアリティはあるだろうか。
とある駅に「私たちのSDGs」として、駅での「さすまた取扱い訓練」の実施を報告するポスターが
貼られていた。
このポスターには、その訓練がSDGsのどのゴールにつながる取り組みなのかはひと言も書かれていなかった。
また、ある新聞社が主催する「SDGs経営ランキング・経営大賞」に選ばれた上位企業を見ると、1位と3位はアルコール飲料企業、「偏差値65~70」の枠にはたばこ製造・販売会社とアルコール飲料企業
が入っている。
これらのアルコール飲料企業はいずれも、国立精神・神経センターの松本俊彦医師らが問題にした、
「ストロング系飲料」を大々的に販売している。
SDGsゴール3のターゲットにはアルコールを含めた薬物乱用防止やたばこ規制の強化が挙げられているのだが、この「経営大賞」では最終商品を評価対象としておらず、 なおかつ保健に関する評価指標が入っていないため、このような矛盾が発生する。
「SDGsか、滅びるか」という視点で真剣に 向き合っているとはとても思えない。
日本では、個人や企業が個別に「環境にちょっと良いこと」をすればSDGsだと思われてはいないだろうか。
もちろん、個人や企業、地方自治体、労働組合、協同組合などがSDGs達成に向けた取り組みを行うのは
尊いことだ。
問題なのは、日本において、その尊い個々の取り組みをしっかりと集め、SDGsのゴールに向けてまっすぐに進むような大河にしていく公共政策としての視点が欠けていることであろう。
実際、日本にも持続可能性の危機は迫っている。
周知のとおり、少子高齢化、人口 減少、過疎化といった人口の大変化があり、日本の大部分がもはや持続可能ではない状況に陥っている。
2022年の国民生活基礎調査では、日本の 相対的貧困率が先進国の中で最悪の部類に属することが判明した。
貧困の状況でいえば日本よりも深刻な問題を抱えた先進国も存在するが、少なくとも相対的貧困率に関してはこのような調査結果が出ていることを受け止めなければならない。
さらに、気候変動由来の水災害による死者・損害が先進国の中で最も多いのも日本である。
このような持続可能性の危機の根源ともいえる現代の経済システムに対して、オルタナティブをつくることが非常に重要だ。
現代の経済システムは結局のところ、競争原理や利潤追求が根幹にある。
その範囲を超えて持続可能な世界を達成することは難しいだろう。
また、現代の経済システムによってつくり出されている社会問題を、現代の経済システムによって解決できるのかという疑問もある。
企業を中心とした現代の経済システム「のみ」をベースとするのではなく、何らかのオルタナティブな仕組みと組み合わせて形成される新たな社会像が必要なのではないか。
この点で、今回のテーマである「社会的連帯経済」は非常に重要なキーワードだと考えている。
3.SDGsが本来持つ力
日本におけるSDGsのさまざまな事例を見てきた中で、私が最も大切だと考えているのは、ゴール16と17だ。
ゴール16 平和と公正をすべての人に16.6:あらゆるレベルにおいて、説明責任を果たす、透明性の高い公共機関を発展させる。
16.7:あらゆるレベルで、責任のある、包括的で、参加を保障した、代表制に基づく意思決定を確実に行う。
ゴール17 パートナーシップで 目標を達成しよう
17.17:さまざまなパートナーシップの経験とリソース戦略を基にした、効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを奨励・推進する。
SDGsの重要なポイントは「人と人を結ぶ力」、そして17ある目標に沿って「課題を見つける力」「人と課題をつなぐ力」であり、それを踏まえて「全ての人を社会の主人公にしていく力」だ。
SDGsの活動に関わっていると、いたるところで「シビック・プライド」という言葉を聞く。
「自分は社会のすみっこにいる」と思っていた人たちが、さまざまな取り組みを通して「自分がいる場所は世界の真ん中なのだ」という意識をもつようになったという。
例えば、ある個人加盟制労働組合のリーダーの経験によると、「自分たちは世界のすみっこにいる」と思っていた非正規労働者の人たちが、労働の課題は即ち、SDGsの課題だ、と認識したことで、自分たちが直面しているのは、世界の真ん中にある課題なのだ、と気づいたのだという。
あるいは、地方に住んでいる人たちが、地域資源とともに生きる暮らしを見出し、地域の主人公となっていった例もある。
「真ん中」と「すみっこ」を逆さにすることで 、 自分自身を社会の主人公にする力がSDGsにはある。
また、その力は社会的連帯経済にも備わっている。
本来、SDGsを「真ん中で」担うのは、私企業ではなく協同組合であるはずだ。
私企業も協同組合も、生産、流通、消費、金融 などに取り組む事業体である点は同じだが、私企業は株主によって所有され、株主総会で選出された経営陣、有力者、創業者が意思決定を独占する。
事業の目的は利潤を上げることであり、その利潤の大部分は株主に支払われる。
競争原理や利潤追求を超えて社会問題を解決に導くことは、私企業の主たる目的にはならない。
市場性がなければ、あるいは市場性を使うことでしか、社会問題を解決できないのだ。
一方で協同組合は、出資した組合員にオーナーシップがあり、組合員による統治の仕組みができている。
非営利組織であるため、主目的は組合員の意思に基づいて事業を行うことであって、利潤の追求ではない。
協同組合ならば、市場性の薄い事業も展開できる。
協同組合こそが社会的連帯経済の主体として存在し得るのだ。
4.協同組合・労働組合のあり方を問う
では、現在の協同組合や労働組合の状況はどうだろうか。
ここ50~60年の歴史の流れの中で、協同組合のあり方にひずみが生まれてきてはいないだろうか。
現に、協同組合の特徴として生産手段の共同所有があったはずだが、実際は所有と事業の分離が進行している。
例えば、「自伐型林業」というものがある。
地域の森林の持続可能性と、地域経済の豊かさや文化の再興・調和を視野に入れ、間伐を中心とした比較的小規模な林業だ。
この担い手は協同組合ではなく、よりよい林業をやりたいと自発的に集まった、地元の若い世代を中心とした零細企業だ。
彼らが起業して、山主から管理を任され、「所有と事業の統合」を回復しているという状況だ。
今ここで、協同組合のあり方をもう一度考え直す必要があるのではないだろうか。
移住労働者の問題に長く取り組んでいる労働組合のリーダーが言うには、労働組合の役割は3つある。
1つ目は、労働力の安売りを許さないこと。
2つ目は、労働者は人間であって奴隷扱いさせないこと。
3つ目が「社会の公共性を守る」ということだ。
元々あった社会の公共性に私企業が侵食していくことに対して、どのように公共性を守り、社会の公共性を新たにつくり直すかという点だ。
今の労働運動がこの問題をどう回復していくのかが非常に重要になる。
協同組合も労働組合も、またNGOのような市民社会も、「つづく社会」への変革志向ができているかどうかを見直す必要がある。
企業・資本は利潤が基本で、儲からなければ淘汰される。
必然的に「儲かるための変革志向」を進めることになる。
ところが非営利組織は、資金調達と組織維持の構造ができることで、「変革志向」が消滅する傾向がある。
その結果、「変革の時代」へのレジリエンスが低くなる。
今、企業・資本がやっていることは、本来なら労働組合・協同組合の側が率先してやらなければならないことなのだが、残念ながらそれができているとは言いがたい。
生き残るため必死になって変革するのは企業・資本の方で、非営利組織は何もせずにいる。
これが現状ではないだろうか。
SDGsは地球の限界の危機を乗り越えて「つづく世界」に変えていくための目標である。
繰り返しになるが、それぞれの活動は全て尊い。
この尊いさまざまな活動をしっかりと寄せ集め、強化して、みんなで目標を達成していくという、SDGsの中で本来最も大事な部分を取り戻す必要があるのではないか。
「一人ひとり」から「みんなで」になることの大切さを訴え続けていきたいと思う。
現代の経済・社会システムには根本的な欠陥がある。
その結果として今の問題が生じている。
競争原理や利潤追求とは別の原理による経済・社会の編成のあり方を考え直す必要があり、社会的連帯経済はそのオルタナティブを提示するものだといえる。
SDGsと社会連帯経済を組み合わせながら、世界を変える取り組みを続けていくことが必要だ。