『治したくない――ひがし町診療所の日々』(みすず書房) 著者:斉藤 道雄

クリニックの主は川村敏明先生。

開業までは浦河日赤の精神科の医師だったのだが、経営コンサルタントによってそこの廃止案が出されたのである。

実は川村先生は二〇〇六年からソーシャルワーカーと協力して長期入院患者の退院支援に挑み、四年後には驚くほどの患者が退院した。

今日本の精神科で大きな課題になっている数十年もの入院患者を、家で暮らせるようにしたのだ。

その結果、高齢者を集めてベッドを埋めるか、精神科を廃止するかと迫られる次第となったのである。

努力して精神障害者の「収容施設」をなくしたら、そこを老人の「収容施設」にしなさいはなかろう。

そこで先生は日赤を辞め、自分のやりたいことをやることにした。

心強いことに、看護師長さんが「患者さん来なかったら、あたしがなるから」と言って開業を後押ししてくれ、ソーシャルワーカーも援軍となった。

開設から六年、そこでの毎日はなんだかおかしいことの連続である。

具体例を自称「精神バラバラ状態」の早坂さんで見て行く。

パニックや不安発作で日赤精神科に三十八回入退院をくり返していたのだが、七年前の退院以来、町で暮らしている。

川村先生は彼と三十年間つき合っている。

最初は精神科の医師として治そうと努力し、退院させてもまた戻ってくる。

その後の長い苦闘の末に町で暮らすようになった経緯を、早坂さんがみごとに語ってくれるのだ。

川村先生が来てから病院が閉鎖でなく開放になり、病気はマイナスだがそのマイナスによってよいこともあるというメッセージが出て安心した。

安心したら変なことがなくなっていったのだと。

そして、悩みながら「ぜんぶ治してやると言ったらどうする」と聞く先生に、彼は「そんなに治さなくてもいい。すっかり治されても困る」と言ったのだ。

ここで、「半分治したから、あとの半分はみんなに治してもらえ」という言葉が、先生の口からふと出たのだそうだ。

医師という専門家がその知識をフルに活用し、患者の上に立って問題を解決するという医療とは別の「医療」があることを、患者から学んでいく過程が興味深い。


早坂さんは繰り返し言う。

「おかしくて、いいんだ」と。

ここで大切なのは「自分で悩んだり考えたりすることが少しずつ少しずつできるようになったんだわ」という言葉だ。

彼の話から生きるとはどういうことかがみごとに浮かび上がる。

タイトルの『治したくない』は、治療とは精神障害者を健常者にすることだという発想への疑問である。

大事なのは自分を誇り、自分と和解し助けを求められること。

それは時間のかかる入り組んだ作業である。

『治したくない――ひがし町診療所の日々』(みすず書房) – 著者:斉藤 道雄 – 中村桂子書評

タイトルとURLをコピーしました