「欧米中心の世界 溶解 日本外交は思慮不足」
東大名誉教授・板垣雄三 2015年1月24日京都新聞朝刊
「積極的平和主義」は枯れ尾花に終わるのか。漂流する日本の前途は危うい。日本とイスラエルの国旗を背に、安倍晋三首相が記者会見で「テロに屈せず」と言明した情景は、広く世界のムスリム市民の眼に、日本幻滅への決定的瞬間として焼き付いたに違いない。
彼らの抱く日本のイメージは、広島・長崎とともに、イスラエルの占領地居座りを警告した1973年の二階堂進官房長官談話、先進国首脳としては初となった81年の鈴木善幸首相とアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長の会談、イスラム世界との文明間対話を呼びかけた2001年の河野洋平外相イニシアチブだ。
それが今や裏切られた。今年が、世界中で日本人の安全に懸念が高まる時代の幕開けとなることを危惧する。この危機を乗り越えるには、私たちの世界認識を根本から組み替え直す必要がある。
いまは、非暴力の新しい市民革命の到来を前に、欧米中心主義にどっぷり漬かった世界が終わる苦悶の時代だ。400年続いた欧米中心の世界秩序は崩壊中で、「日米同盟こそ基軸」とする日本外交も時代錯誤。中国や20カ国・地域(G20)の未来も不透明である。
「欧米対イスラム」という二項対立の見方も誤っている。反テロ戦争を常態化させた欧米は世界中をカオスに突き落とし、うまく自己破産(免責)」を遂げようと、イスラム過激主義者を”別働隊”に仕立てている。
欧米諸国の世界戦争中毒、中国やロシアなど新興五カ国(BRICS)の台頭、昨今のイスラム諸国の動き、さらにアルカイダやイスラム国の登場も、それぞれ欧米中心の末期的世界の溶解過程を体現する要素なのだ。それらが相互にだまし合いながら、持ちつ持たれつの隠微な連係動作を見せ、核の脅威を抱えながら人類共滅の道を突き進む。表層の対立を本物と錯覚してはならない。
イスラム国を出現させた元凶は欧米だ。欧米、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールがシリアで反政府勢力を支援し内戦を国際化させた。手のひらを返した米国と有志国連合がイラクとシリアでイスラム国を空爆するのに、イスラエルは対シリア軍事行動でイスラム国を応援する。
フランスの風刺週刊紙シャルリエブドやユダヤ系食料品店での事件の後、国内の引き締めを図るオランド大統領を出し抜いたのは、ユダヤ系市民にフランス脱出をあおるイスラエルのネタニヤフ首相だった。パレスチナの国際刑事裁判所(ICC)加盟でイスラエルの戦争犯罪を追及する国際世論の高まりに水を差すのは、ジハード(聖戦)を誓う襲撃犯たちだ。敵と味方が入り乱れる混戦模様となっている。
安倍首相は思慮不足だった。日本人2人が拘束下にあるのを知りながら「イスラム国の脅威を食い止める」日本の役割をアピールし乗じる隙を相手に与えた。イスラム国は首相のイスラエル訪問に脅迫の時機を合わせ、国際的孤立に悩むイスラエルは「友邦日本」を確証する機会を得た。
既に安倍政権はイスラエルとの関係を異常に強めていた。昨年の武器輸出三原則廃止は次期主力戦闘機F35の対イスラエル部品輸出と関係しており、ガザ攻撃を受けた国連人権理事会のイスラエル非難決議を日本は棄権した。中東での「非軍事の人道支援」の強調も国際的説得力は弱い。
31年の満州事変を境に「暴支膺懲(暴虐の中国を懲らしめよ)」の合言葉が飛び交い、39年の独ソ不可侵条約で「欧州情勢は複雑怪奇」として平沼内閣が総辞職したような展開が、繰り返されぬようにと念じるばかりだ。