「支援する」ということは、その人が抱える困難に共に向き合うこと – 東京都人権啓発センター (tokyo-jinken.or.jp)
森川(もりかわ) すいめいさん
NPO法人 TENOHASI 理事
1973年、東京都生まれ。明治国際医療大学を卒業後、鍼灸(しんきゅう) 院を開業したのち、日本大学医学部に入学。埼玉県の病院での研修を経て、独立行政法人国立病院機構・久里浜医療センターに勤務。精神科医。現在は板橋区みどりの杜(もり) クリニック院長として日々患者との対話を続けている。また、ホームレス状態の人々を支援する特定非営利活動法人 TENOHASI 理事として豊島区で医療支援活動などを行っている。
ソーシャルワーカーが中心になり患者との「対話」重視のクリニック
住まいがない人のための医療相談会の様子 ©Kazuo Koishi
本来、路上生活の状態の人であっても医療を含め福祉サービスを受けることはできます。けれども虐待の経験や、軽度の知的障害があったり、精神的に追い詰められていたりすることが原因で、自分の置かれている状況をうまく説明できず、自ら福祉とのつながりを諦めてしまう人も少なくありません。その結果、なかなか路上生活から脱することができない人もいます。医療についても同様で、医療者側にも「ホームレス」に対する偏見が存在し、必要な治療が受けられない人がいます。
そうした実情から、炊き出しや相談会の活動だけでは支援に限界があることはかねてから指摘されていました。そこで、クリニックの創設を決意し、3年ほどの準備期間を経て2016年に実現しました。私たちの志を理解し参画してくださる医師を探すのに時間はかかりましたが、現在は、内科と精神科の医師4名で週2回診察を行い、ソーシャルワーカー4名と事務職員1名が勤務しています。
このようにして始まった「ゆうりんクリニック」(豊島区高松)は、医師が中心の施設ではなく、ソーシャルワーカーが前面に立って支援活動を行っていることが大きな特徴です。路上生活から脱することができた人も、訪問医療や看護、相談を受けるなど、その後もつながりを持ち続け、継続的な支援を行うための「ステーション」としての役割も果たしています。
私が受け持つ精神科では、1対1で診察する従来の精神科の診療と異なり、「対話」を重視します。そのため、治療に関わる人も、患者や家族も、皆が輪になって座れるように、机や椅子がレイアウトされています。いわゆる「診療」という形ではなく、あらゆることを話題にします。住まいのこと、隣人のこと、家族のことなど、当人が困っていることのすべてが対象です。「オープンダイアローグ(注1)」の有効性を学んでからは、対話の少ない以前のような診療はできなくなりました。
東京の路上で暮らす人から
偏見が福祉や医療の機会を奪う
支援体制が不十分なせいで命が消えてしまう理不尽さを変えたい
街頭での声掛けの様子 ©MdM Japan
1995年の阪神淡路大震災の災害ボランティア活動に参加したことが、住まいを失った方とつながりを持つようになったきっかけです。 自分にも何か支援ができないかと考え、当時京都で鍼灸(しんきゅう) を学んでいたので、避難所で被災者にマッサージをしていました。
その後東京に戻り、思うところがあって医学部に入り直し、国際ボランティア活動を行う中で、新宿の路上で生活する人への支援活動に、最初は「遊びに行く」ような感覚で参加するようになりました。それが2000年頃です。
そのころ新宿での活動には様々な人たちが参加しており、支援の体制は比較的整っていました。一方で私の出身地である池袋には支援者がほとんどおらず、路上生活を送る人が他の同じような状態の人の安否確認のために夜回りをしたり、新宿で作られた福祉のチラシを配ったりしているような状況でした。
新宿であれば、路上で生活する人が病気になっても、私たちが紹介状を発行すれば病院で治療を受けられます。ところが池袋にはそのような体制がなく、病気でそのまま亡くなってしまう人もいたのです。新宿であれば助かる命が池袋では為す術もなく消えてしまう。それが実情でした。
池袋でも医療相談を行いたいと考え、2003年に「TENOHASI(てのはし) 」(注2)という支援団体を設立しました。当時、池袋では住所を持たないと医療支援が受けられませんでした。住まいがあっても一部屋に25人、一人分のスペースは二段ベッドで畳1畳分のような住居ばかりで、療養環境としては劣悪でした。行政の担当者や医療者側による「ホームレス」への偏見も根強く、医師の紹介状を持っていても門前払いされる始末です。強い憤りを感じ、福祉事務所に抗議に行ったこともあります。
TENOHASI 設立当時は、路上生活を送るのは主に肉体労働に従事していた高齢の男性がほとんどで、働く場を失い仕事を探しながら野宿をしている人が多かったのですが、いわゆる「リーマンショック」以後、そこに「派遣切り」に遭遇した若い人が加わり、路上で暮らす人の実数はそれまでの2〜3倍に増えました。
昨今のコロナ禍でも、緊急事態宣言が発出された後、離職を余儀なくされ住まいを失った人たちが多く、炊き出しや相談会に来る20代の若年層も増えています。
ひきかえに尊厳を傷つけられる、そんな支援であってはならない
近年の傾向として、精神的に追い詰められ医療のケアが必要な人がさらに増えています。自殺念慮のある人や、適応障害、軽度の知的障害、発達障害がある人も多いことが分かってきました。そうしたことが理由で、施設での集団生活に適応できず、個室の住居を確保する必要がある人もいます。支援する側がそれを理解していなければ、住居を用意しても、環境に耐えられず路上に戻ってしまうこともあります。
こうした実態は、現在では支援者にとって共通認識となっていますが、当初私たちがそのように訴えても周りの理解が得られませんでした。支援者たちですら、「路上で暮らす人への差別や偏見を助長するおそれがある」と考え、こうした実態をなかなか受け入れてくれなかったのです。そこで2年間にわたる実態調査を行い、そのことを実証しました(注3)。これにより、随分と理解は進んできたと思います。
一方、今でも深刻な問題として、支援を受ける人の尊厳が色々な場面で傷つけられていることがあげられます。ネットカフェに寝泊まりしながら仕事をしていた人が、相談会場で「自立する気がありますか?」と問われたということがありました。住まいはなくとも、仕事をしているのです。自立する気がないわけがないでしょう。人としての尊厳が踏みにじられるような支援などあってよいはずがありません。
そもそも日本の精神医療の現場では、本人の同意のないまま入院させられ、身体を拘束されたり過剰な投薬をされたりする事例が存在します。そのような環境から逃げ出して路上生活に戻る人もいますし、拘束や投薬を続けた結果、病院内で命を失ってしまうこともあります。
医療の現場には治療をする側と受ける側の間に、過剰な力関係が存在します。しかし、本来、医師と患者は立ち位置が違うだけで、人としては対等であるべきでしょう。その理想と現実の隔たりに葛藤を感じていた頃、「オープンダイアローグ」に出会います。初めて聞くその言葉に、私はすぐに魅了されました。
支援する人とされる人が
対等に向き合い心をひらいて対話する
それだけで人は癒され治癒していく
支援 「してあげる」 のではなく、ひとりの人として対等に向き合う
オープンダイアローグという考え方を知った私は、急遽(きゅうきょ) フィンランドに赴き、その発祥の地であるケロプダス病院で研修を受けました。近著にも詳しく書きましたが、トレーニングの対話の中で、私自身が自分の過去と向き合うことになりました。その一つは父との関係でした。家庭内での暴力。心に負った傷は蓋をしていただけで大人になっても癒えていなかったこと。そして母の死に目に会えなかったこと。こうした家族との関係を同じトレーニングへの参加者に聞いてもらううちに、私自身、長い間苦しんできた傷が少しずつ癒え、心に着ていた鎧(よろい)を脱ぎ去ることができたのです。そこから、周囲の人への接し方がガラリと変わりました。自然に心が開けるようになり、スタッフや患者さんとも本当の意味で心の通う関係を築くことができるようになったと思います。オープンダイアローグを学びに行った私自身が、その効果の大きさを実感して帰ってきました。
オープンダイアローグの特徴は二つあります。一つ目はその名の通り「オープン」であること。患者さんがいない場所で、その人について話し合われることも、ましてや重大な決定が下されたりすることはありません。
二つ目の特徴は「対等」であることです。医師と患者、あらゆる専門分野を通じて支援する人や家族など、すべての人が対等です。医学的な専門知識に基づく見解だけが特権的に尊重されることはなく、治療に参加しているすべての人の発言が、等しい価値を持つものとして扱われます。
医師を中心とする強固なヒエラルキーをもって確立された現代精神医療の現場では、患者や家族の声がとても弱く、その運営に患者や家族の声が反映されていません。今の医療現場に必要なものは、そういった声であり、対等な関係性です。
オープンダイアローグはその性質上、医師のみが関与する度合いを低くし、看護師、作業療法士、精神保健福祉士、保健師、ヘルパー、ケアマネジャーなど、様々な支援者たちによる対話の実践ができるはずです。今後、日本の保険医療制度の中でオープンダイアローグを運用していくためには、様々な乗り越えるべき障壁が出てくるかもしれません。しかし、「日本スタイル」のオープンダイアローグが広まっていく可能性さえあると期待しています。
私はその一つの実践の場として、他の支援者とともに、この「ゆうりんクリニック」での活動を続けていくつもりです。
(注1)フィンランド発祥の新たな精神科治療の手法で「開かれた対話」の意。投薬なしで治験者の85%に効果があったとする報告もある。
(注2)「TENOHASI」とは、2003年に発足した当初の正式名称「地球と隣のはっぴい空間池袋」を英語にして「The Earth and Neighbor of Happy Space Ikebukuro」の頭文字等をつなげたもの。
(注3)「東京都の一地区におけるホームレスの精神疾患有病率」(『日本公衆衛生雑誌』2011年・58巻5号)
インタビュー/坂井 新二・吉田 加奈子(東京人権啓発センター 専門員))
編集/杉浦 由佳
撮影/百代
「真の支援とは何か?」へのヒントが詰まった森川さんの著書
右/共著『ハウジングファースト 住まいからはじまる支援の可能性』(山吹書店)
左/『感じるオープンダイアローグ』(講談社)