「親父は立派だった」
2011年3月。東北の被災地にて、ある消防団員の葬儀に立ち会う機会があった。
亡くなったのは50代の男性。
2011年3月11日午後3時過ぎのこと。
迫りくる津波を知っていながら、地元住民を避難させるために最後まで避難誘導をしていたAさん(故人)は、津波に飲み込まれる瞬間まで、車で避難する人たちひとりひとりに「車なんか捨てて早く高台へ逃げて!」と必死に叫んでいたという。
その映像をたまたま高台に避難していた人が手持ちカメラで録画をしており、Aさんの葬儀の際にその映像が流れた。衝撃的な映像であった。
亡くなった故人の息子さんもまた地元の消防団員。
彼は父親の葬儀の告別式でこう言った。
「親父は立派だった。俺は親父を誇りに思う。最後の最後まで消防団員として誇りを持って任務にあたっていた。結果的に親父は死んでしまったけど、親父の生き様を俺は絶対に忘れない。親父の死を俺は無駄にしたくない。残された俺たち家族、そして消防団員たち全員は、親父の分まで精一杯生きていくことを、ここに約束します。親父、ありがとう」
そう言って息子は絶叫した。
参列者の方々は皆、肩を震わせて泣いた。
参列者の多くは同じ消防団員およびその関係者である。
これほどまで「親父は立派だった」と息子が言い、参列者が肩を震わせて泣いているという光景は初めてだった。私も思わずもらい泣きをしてしまった瞬間であった。
私は大学の授業の中で、学生さんに「自分の父親を尊敬している?」と尋ねたことがある。
学生の半分以上は親を尊敬していなかった。
むしろ「親父のようにはなりたくない」と言う学生さんも。
親を尊敬しない、もしくは尊敬できない学生は問題であるが、尊敬に値する大人がいない・いなくなったというのも確かに問題である。
かつてホスピス内で「俺は今から死ぬからよ。お前はまだ若いから、人が死ぬ姿を知らないだろ。良く見とけ」と言い残し、吐血して死んで逝った患者さんがいた。
その患者さんは、かつて軍隊で仲間の死に数多く立ちあってきた人であった。
「俺の人生最後の仕事は、子供や周囲の人に自分の死に様を見せることだ。こうやって人間は皆、死んで行くんだということを、最期に見せつけることだ。死を次世代に教えないと、生もまた教えられるわけがない」と語っていたことが忘れられない。
自分の死に様を胸を張って周囲の人に見せられるような生き方が最期に出来るということは、それだけ「死」について哲学なり覚悟を普段から持っていたのであろう。
その覚悟が試されるのが「臨終」の時である。
その臨終は、やっかいなことに、震災や事故などで突然訪れる場合もある。
その時に「普段の覚悟」が試されるのだ。
人間は急には変われない。普段の生き方が死に方に直結する。生き方は死に方。
亡くなった消防団員は、普段から地域の住民の防災の事を誰よりも考え、訓練を怠らなかったと聞いた。
自分の安全より地域の住民の安全を優先に考える人だったからこそ、亡き人の生き様に参列者は肩を震わせて涙を流したのではないだろうか?
だからこそ「親父は立派だった」「親父を誇りに思う」と息子さんは涙を流しながら語ったのではなかろうか?
亡くなった消防団員は、津波が来る前に一人で逃げようと思えば逃げれたはずである。しかし、最期の最期まで車で逃げている人たちに声をかけて回った・・・。
死は個人的なものであると同時に、社会的なものでもある。
亡くなった消防団員の死は、生き残ってしまった私たちに様々なことを投げかけている。
お前が消防団員だったら、その時どんな行動をとるのか?
そのことを生き残ってしまった人間は試されているのだ。そして「お前はどんな生き方がしたいのか」と問われているのだ。
「親父の死を無駄にしたくない」と語った息子さんは、父親の死から大きな宿題を戴いた。
一人の人間の死に様は、残された周囲の人間に確実に影響を及ぼすのである。