がん末期「自分の死と死後」を仕切った男性の凄さ 「もしも」のときの事、早めに家族で話し合いを

がん末期「自分の死と死後」を仕切った男性の凄さ 「もしも」のときの事、早めに家族で話し合いを(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース

「住み慣れた自宅で療養したい」「最期まで自宅で過ごしたい」という患者や家族の思いを支えるのが、患者宅を訪問して医療や介護を届ける在宅ケアだ。

これまで1000人を超える患者を在宅で看取り、「最期は家で迎えたい」という患者の希望を在宅医として叶えてきた中村明澄医師(向日葵クリニック院長)が、若い人たちにも知ってもらいたい“在宅ケアのいま”を伝える本シリーズ。

今回のテーマは、人生の最終段階を過ごすために大切な、「もしも」のときの話し合いについて。話の切り出し方や確認すべきポイントについて、また、はぐらかされたときの対処法なども踏まえて解説する。 【写真】緩和ケア専門施設に入居した女性が描いた絵

 肺がん末期で、私のクリニックが運営する緩和ケア専門施設メディカルホームKuKuRu(ククル)に入居していた男性のAさん(73歳)。本人の「余命を知りたい」という希望もあり、私は家族や本人に「残された時間は、約1カ月だと思います」と伝えていました。

■自分が死んだらこうしてほしい

余命を伝えてからのAさんの動きは、見事なものでした。

 これからどう過ごすかについて家族や医療者と話し合い、終末期の医療の選択の希望や、自分の葬儀や相続関係のことまで踏まえて、「自分の最期と死後はこうしたい」という意思をまとめ始めました。

そして意思をしっかりと言葉にして紙に記し、必要な書類関係とともに1冊のファイルにまとめ、周囲に託したのです。

 Aさんはその過程のなかで、自分が「亡くなるまで」と「亡くなった後」の希望について、家族やわれわれ医療者と本音で話し合っていました。

 本人も家族も余命がどれくらいか知っていることで、お互いに隠しごとをせずに話せていたのも大きかったようです。

そこには現実を知って、ありのままを受け入れ、自分たちなりに納得のいく最期を迎えようとするAさんと家族の姿がありました。

 Aさんが息を引き取った日の、家族の穏やかな表情も忘れられません。

その日にAさんが亡くなったとは思えないほど落ち着いていて、本人と家族が現実を受け入れ、繰り返し本音で話し合ったからこそ生まれた、最期のあり方を目の当たりにしました。

Aさんが、自分が「亡くなるまで」と「亡くなった後」のことについて話し合った過程は、人生の最終段階を過ごすために大切な「人生会議(ACP : Advance Care Planning)」と呼ばれるもので、ここ数年日本でも活発に議論されるようになったテーマです。

 ACPの定義は、「今後の治療・療養について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセス」といわれています。話し合いの主な内容は、病状や予後の理解、治療や療養に関する意向などです。

 実は、終末期に意思決定が必要な患者さんの約7割もが、認知機能などの衰えによって、医療やケアを自分で決めたり、希望を人に伝えることが難しくなるといわれています。

そのため終末期になる前の、なるべく元気なうちに、本人の意向や価値観について家族が理解し、共有し合うことが大切です。

■「もしも」の話の切り出し方

 とはいえ、いざというときの「もしも」の話をどうやって切り出すか、悩まれる方は多くいらっしゃいます。

事実、私の父親も「できなくなってきたらどうするか」という話が大嫌いで、話の切り出し方には散々頭を悩ませてきました。

 そんななか、私がいろいろな患者さんにお会いして有効だと感じたのが、第三者からの意見や情報をフックとし、さりげなく話を切り出す、という方法です。

 例えば「こないだテレビでやってたけど、いざというときのためにこういうことを話しておいたほうがいいらしいよ」「セミナーで聞いたんだけど、親が元気なうちにどうやって過ごしたいか確認しておいたほうがいいという話があった」「聞いておかないと、あとからトラブルになることもあるらしい」など、“たまたま知り得た情報なんだけど、大事なことのようだから”という感じで切り出すのです。

 今、記事を読んでいただいているあなたは、この記事をきっかけに話をしていただくのもいいと思います。

「こんな記事を見かけたんだけど」と、ぜひ話を切り出すきっかけにご活用いただけたらと思います。  そのうえで、まずは「もし家で動けなくなったら、どこで過ごしたい?」など、具体的に「過ごしたい場所」について聞いてみましょう。  

「施設がいい」という話が出たら、「どんな施設がいいの?」ともう少し突っ込んで聞いてみること。施設のチラシを見ながら、「こういうところに入ってみたいって思う?」などと聞いてみるのも手です。

ここで大事なポイントとなるのは、親の“財布”事情です。

 介護が必要になったときの生活を考える際には、「いくら“かかるか”」ではなく「いくら“かけられるか”」を考えなければなりません。

現実的な視点での過ごし方を決める必要があるからです。

 施設を希望するなら、具体的にいくら出せるのか、それによって自ずと選べる範囲が絞り込まれます。一口に施設と言っても、その種類はさまざまで、かかる費用も大きく違います。

 施設は、公的施設と民間施設の2つに大別できますが、一般的に公的施設のほうが費用が安い傾向があります。

この公的施設(例えば、特別養護老人ホームや介護老人保健施設)を考える際の目安が「月額15万円(食事、介護費用、入居費)」という金額(医療費は除く)です。

 地域差はあるものの、月に15万円を出せるかどうかが、施設入居を考える際の基準の1つになるといえます。民間の施設については月額20万円以上になることがほとんどです。

■「もしも」は4つの観点で整理

なお、こうした「もしも」を考えるときには、「お金」「モノ(自宅、施設など過ごす場所や相談できる場所)」に加えて、「人」「夢」の4つの観点で整理することをお勧めします。

 お金は「使っていいお金が誰にどれぐらいあるか」、モノは「過ごすのに適した場所や困ったときに相談できる場所があるかどうか」、人は「いざというとき、誰がどれだけ動けるか」、そして夢は「どう過ごしたいか」です。

 特に、人・モノ・お金の3点については、なるべく元気なうちから整理し、そのうえで「どう過ごしたいか」という夢を考えるといいでしょう。

この4つの観点を押さえたうえで選択肢を考えると、いざというときに「こんなはずじゃなかった」ということになりづらいと思います。

 一方、話を切り出しても、親にはぐらかされてしまうときもあるかもしれません。

「自分が弱ってきたらどうするか」といった話は、なるべく先延ばしにしたいと考える気持ちもわかります。

実際に私の父親も、「まだ考えなくていい」「いざとなったら、お前が決めていい」の一点張りでした。

そんなときは、「希望を聞いていないと、いざというときに“私”が困る」ということをしっかりと伝えましょう。

この「私が困る」のように私を主語として話すことをアイメッセージといいますが、これが相手に物事を伝えるときに有効だとされています。

 予測しない急な事態が起こったときに、大切な人がどうしたいかがわかっていると、選択する際の大きな助けになります。

また「何を大切にして過ごしたいか」というのは、個々の価値観によって大きく変わってくるところなので、本人の意思で決められるに越したことはありません。

 多くの場合、いざ体が弱ったり、介護で大変な時期に差し掛かるもっと手前の段階の、時間にも身体的にも余裕があるときのほうが、「もしも」についていろいろと考えることができ、自分の本音に沿った選択をイメージしやすいように感じます。

 切羽詰まった状況の中では、本意ではない選択になってしまうことがあるという意味でも、早いうちから話し合えるといいと思います。

 一方、「もしも」のときにこうしたいという希望は、その時々の状況で変わって当たり前。

目の前にその現実が訪れたときに、希望や結論が変わる場合もあるのは当然です。

大切なのは、話し合いで一度決めた内容ではなく、話し合いをするプロセスや、日常の中で話し合える関係性です。

■親子で考える「死ぬ前にしたいこと」

 「もしも」の話を切り出すときは、子どもたちが先に「自分はこう過ごしたい」というプランを提示してみるのも1つです。

 例えば「人生の最期は、リッチな施設で悠々自適に過ごしたい」と思うなら、「あとこれぐらいは貯金しよう」と節約や働くモチベーションになるかもしれないですし、「死ぬまでにあそこに行ってみたい」「あの場所に住んでみたい」など、どこで過ごすかを考えるだけでも、人生の過ごし方が変わってくるかもしれません。

 子どもが考えるプランに触発されて、親がその後を考えるきっかけになる場合もあると思います。

 一番良くないのは、“もしもの話=嫌な話題”だと思ってしまうこと。

ある程度年を重ねてきたら、親だけでなく子どもも同じ“老化仲間”です。

親のこれからとともに、自分のこれからも考えながら、日頃から「もしも」の話ができるといいですね。

 ネガティブに捉えるのではなく、家族の中で普通に話し合える文化が作れるのが理想的です。

旅行の計画と同じような感覚で、「楽しく過ごすためにどう計画するか」と、ぜひ前向きに話してほしいと思います。

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