「ちゃんと生きなかったら、きれいに死ねない」松田優作さんの死が転機に。原田美枝子さんインタビュー(毎日が発見ネット)|dメニューニュース(NTTドコモ) (docomo.ne.jp)
女優として数々の受賞歴がありつつ、2020年には自ら制作・撮影・編集・監督を務めたドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』を発表(Netflixにて配信中)。
マルチに活躍の場を広げ続けている女優・原田美枝子さんに、60歳を過ぎてから変わった人生の見方、また両親への思いなどを語っていただきました。「年を取ることはマイナスばかりではない」と考えるようになったいきさつとは?
*この記事は月刊誌『毎日が発見』2023年8月号に掲載の情報です。
一生懸命生きるというメッセージ
――原田さんが主演を務める舞台『桜の園』は、没落したロシアの地主一家の姿を描いた物語。チェーホフが120年前に書いた名作戯曲の、時代を超えて現代にも通用する魅力とはなんでしょうか。
チェーホフの作品には、あちこちにすてきなセリフがちりばめられているんです。
『桜の園』にも、「100年後の人たちは、この問題を乗り越えていくかもしれない」というようなセリフがあります。
それは私たちが「彼らが期待した通り、問題を乗り越えられているだろうか」「彼らが一生懸命生きたから、いまここに私たちがいるんだ」と、100年前の人たちに想いを馳せるきっかけになると思うんです。
歴史を遡ると、50年、100年という単位で全ての人が幸せな人生を送れた時代はどこにもありません。
日本は戦後80年近くたちましたが、その間にもバブル崩壊やコロナ禍など、大変なことはたくさんあったし、戦前も関東大震災や第一次世界大戦がありました。
変化はどこにでもあるし、どんな国でも価値観が逆転することはある。
その中で困難に直面しながらも、一生懸命生きようとする人たちを描いているのがチェーホフなんです。
『桜の園』は120年前のロシアの話ですが、2023年を生きる日本人の私がやっても通用する。
それはきっとチェーホフが、人間をものすごく深く見つめ、国や言語、文化を超えた奥にある人間のおかしさや健気さを描いているからだと思うんです。
――「一生懸命生きる」というメッセージは、原田さんが監督されたお母様のドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』にも通じますね。
私もあの映画を撮るために両親の人生を見直す中で、それぞれが一生懸命生きてきたことに気付き、やっと両親を認めることができたんです。
「認める」というのは傲慢で、「1人の人間として見ることができた」の方が適切かもしれませんね。
それまでは、「これしてくれなかった」、「あれしてくれなかった」と〝子どもの勝手な欲求に応えてくれなかった親〟という見方しかできなかったんです。
おかげで、この年になったいまでも「両親に会いたい」と思うんです。
親の愛情ってすごいですよね。
映画を作った翌年にはコロナ禍になり、認知症で介護施設にいた母とは、ほとんど面会もできないまま、撮影の2年後に亡くなりました。
ただ、亡くなった母の顔がすごくきれいだっので、人生を全うしたように感じて、悲しさよりも「よく頑張ったね。きっと神様が褒めてくださるよ」と思えたんです。
先に亡くなった父に対しても、生きているとき、もっと優しくしてあげればよかったと、いまになって思います。
その気持ちが両親に届いたかどうか分かりませんけど、そういうチャンスをいただけたことは幸せでした。
だから、できることでいいと思うんです。
母が亡くなったとき、私は両親の写真を整理して、アルバム1冊に厳選しました。
そうしたら、すてきなベストアルバムができあがったんです。
苦労も多かったはずだけど、うれしそうにしている笑顔を見たら、自分の知らない両親のキラキラした人生が見えた気がして。父もかっこよかったですし。
旅行に連れていくとか、特別なことをする必要はなくて、思ってあげるだけでもいい。
だって、それこそ子どもにしかできないことじゃないですか。
――原田さんは60歳を過ぎていま、人生観が変わったようなことはありますか。
60歳を過ぎて、人生の見方が全く変わりました。
それまでは、未来がずっと続くと思っていたんです。
でも、60歳を過ぎたとき、「残りは限られている」と気付き、「自分があと何年生きるか」というところから、逆算して考えるようになって。
おかげで、それまでの間にやりたいこと、やらなければいけないことは何か、優先順位がはっきりしました。
「明日死ぬかのように生き、永遠に死なないかのように学べ」、私の大好きなマハトマ・ガンジーの言葉です。
明日死ぬかもしれない。
それでも後悔しないように生き、ずっと続くかのように一生懸命学べ。
すてきな言葉ですよね。
いつ人生が終わるのか。それは神様が決めることだけど、死ぬとき後悔しないようにしたいです。
――俳優・松田優作さんの死も、大きな転機だったそうですね。
優作さんが亡くなったのは、私が30歳のとき。
それはまるで「立つ鳥、跡を濁さず」という言葉のようにきれいだな、と感じて、「ちゃんと生きなかったら、こんなにきれいに死ねない。私もしっかり生きなきゃ」と思ったんです。
それまでは迷いが多く、優作さんやいろんな人に頼ってばかりでしたが、31歳のときに優作さんが通っていた禅堂に行き始めたら、自分が変わってきました。
「面白い仕事がしたい」「いい出会いがしたい」「子どもたちをきちんと育てなきゃ」……。
そういういろんな思いは、それぞれ別々にあるのではなく、全部つながっていて、全てに自分の生き方が現れてくる。
全部ひっくるめて修行なんだ、と分かってきて。
自分自身の生き方、態度、心のあり方が、その先の人生を作っていくんだと。
それからは、物事が思うようにいかなくても一切、人のせいにしなくなりました。
だから、私が死んだとき、優作さんが「頑張ったな」と迎えに来てくれたらうれしいなと思ってるんです。
「若い頃から、日本だけでなく、国や言語や文化を超えて通じ合えるところに行きたいと思っていました。今回の舞台は、演出家が外国の方なので、すごくいいチャンス」。
年を取ることはマイナスばかりではない
――仕事に対する向き合い方なども変化はありましたか。
「いつ辞めてもいい」という覚悟はあるんです。
撮影は朝早かったり、夜遅かったり、寒かったり、暑かったり、大変ですから。
それでも続けているのは、同じことがないからかな。
毎回メンバーが違いますしね。
失敗することもあるけど、時々すごくうまくいくんです。
そうすると、「次は面白いかな? その次はどうかな?」と興味が湧いてきて、結局やってしまうんです。
とはいえ、この年になるとセリフを覚えるのも大変。
それでも、 何とか頑張って覚えています。
覚えないと、仕事がなくなるので必死です。
でもそれが、「一生懸命生きる」ことなんですよね。
そうやって続けていくうち、20代では分からなかったチェーホフの魅力が分かってきて。
『桜の園』の女主人ラネーフスカヤも、若いときにはできなかった役です。
役にはいままで生きてきた自分の全てが出ます。
だから、それがいまの私に相応(ふさわ)しい役として目の前にあるのなら、それを一生懸命やらせてもらえばいいんじゃないかなと。
そう考えると、年を取ることはマイナスばかりではないんですよね。
もちろん体力は落ちますけど、視力や聴力、記憶力が低下するのは、ある意味、救いだと思うんです。
余計なことは考えるな、大事なことだけ見なさい、と言われている気がして。
――一生懸命生きるには、体力も重要ですね。
最近は、できるだけ歩くようにしています。
車に乗っていると、足が弱ってしまいますから。
それと、40代後半から続けているのが乗馬です。
20分走れと言われたら大変ですけど、20分馬に乗るのはそれほど難しくありません。
それでも、ずっと体幹でバランスを取っているので、終わるとクタクタ。
いい運動になります。
乗馬にはもう一ついいことがあって、仕事ではいろんな人に会うんですけど、馬と一緒だと言葉を使わずに済むので、すごく気分がほぐれるんです。
だから、乗馬はおすすめです。
馬もかわいいですし。
取材・文/井上健一 撮影/吉原朱美 スタイリスト/坂本久仁子 ヘアメイク/CHIHIRO(TRON)
女優
原田美枝子(はらだ・みえこ)さん
12月26日生まれ。1976年、映画『大地の子守歌』、『青春の殺人者』でキネマ旬報主演女優賞、ブルーリボン賞新人賞など9賞受賞。85年、黒澤明監督の『乱』に抜擢。98年『愛を乞うひと』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など、受賞歴多数。自ら制作・撮影・編集・監督を務めたドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』がNetflixにて配信中。8月より、ドラマ「雲霧仁左衛門6」(NHK BSプレミアム/BS4K)に出演。