「逃げるという選択肢もある」精神科医が語る「研修医を追いつめるもの」の正体

「逃げるという選択肢もある」精神科医が語る「研修医を追いつめるもの」の正体(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース

神戸市の甲南医療センターに勤務していた26歳の男性専攻医が、昨年5月に自死したと報じられた。

過酷な労働環境のもとで長時間勤務による精神疾患が原因として労災認定されたという。

【画像】医師の業務はとんでもなく過酷…Xで話題になったうつ経験を持つ医師の本音

 SNSには「一歩間違えたら自分もそうしていたかもしれない」「自分も研修医時代に何度も死を考えた」といった声が多くの医師から上がった。

また、医師以外のさまざまな職種からも「教師をしているが夏休みも部活で忙しくて休みがほとんどない」「映像の現場も同じ」といった声が上がった。

2019年に準に施行されている、働く人たちが、それぞれの事情にあわせて、多様な働き方を選択できる社会を実現するための取り組みの「働き方改革」だが、人不足だけでなく、昭和から続く働き方のシステムがなかなか変えられず、心も体も疲弊している人たちは少なくない。

 「特に、医師や教師といった模範的であるべきと定義づけされやすい職種は、“やって当たり前”、“そうあるべき”といった外圧がかかりやすい職種と言えるかもしれません。他にも好きなことを職種にした人も、“自分が好きで選んだのだから文句を言うな”といった風潮があります。

特に、日本はそういったことが強いように感じます。どんな職種であっても、好きなことであっても、ストレスはあり、長時間勤務になれば疲れ果ててしまい、うつになることもあるのです」というのは、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』の著者で、ハーバード大学准教授で小児精神科医・脳科学者でもある内田舞医師だ。

 疲れたと感じたときに、私たちはどうしたらいいのか、内田医師が寄稿する。

コロナ禍に見えてきた医師たちの重すぎる使命

 コロナ禍では、多くの医療従事者が戦場のような現場で治療に当たりました。今も感染は終わっていないので、その現状が継続ししている現場もあります。

実際に救急外来やコロナ病棟などで治療に当たられた方たちの心身の疲労は想像を絶するものでした。

2020年、アメリカでもニューヨーク病院でコロナ治療を担当していた救命救急の女性の医師が自死しました。

 私は小児精神科医なのでコロナ治療の最前線にいたわけではありませんが、医師として学んできた公衆衛生や分子生物学、専門である臨床研究の知見を使い、ワクチンや感染対策についての科学情報を届ける啓発活動を行ってきました。

多くの医師たちが同じように、医療情報をわかりやすく配信することに力を注ぎました。私を含む多くの医師は無償で活動をしました。

 本来であれば、知識や経験に基づいて情報を集め、専門知識のない方にわかりやすいように説明することは、簡単ではなく、頭も時間も労します。

労力や時間は、我々にとてはタダではなく、多くの犠牲を払って行っているものです。

なぜ、医師たちは無償で活動をするのしょうか。そこには、「医師が社会のために良いことをするのは当たり前で、お金を要求してはならない」という暗黙の医師の倫理観的な了解があったからでした。

 もちろん、私は発信した情報が少しでも多くの方のためになってくれていれば……と願っての活動です。

非科学的な誤情報の蔓延によってパンデミックが更に悪化してしまうような状況はどうしても避けたいという切実な思いでしたので、活動に関して何の不満も後悔はありません。

ですが、将来もし同じような危機があった場合に、医師が本業傍ら、こういったボランティアをするだろうと期待してしまうことは社会は、果たして本当に健全なのか、負の影響も大きいのではないかと考えさせられました。

こんなふうに私たち医師は、患者さんのため、社会のために自分を犠牲にすることが当然であると学ばされているのです。

もっとあっていい「逃げる」という選択

 また、医師は「降りられない」ことも刷り込まれます。

まず、医学部に入るためには、時間と労力と、他の学部以上の資金も必要です。

アメリカの場合はローンを組んで医学校の学費を払う医学生も多く、「これだけの投資をしてしまったら、もう辞めることはできない」と考える人が多いとよく耳にします。

資金だけでなく、親の期待や家の病院を継ぐといったプレッシャーもあります。

こういったことからつらくても降りずに、頑張ってしまう人が多いのだと思います。

 辞める、降りるということは、他の環境でも同じように難しいものです。

「ここまで来るのにこんなに努力をしたのに」「このためにいろんなことを犠牲にしてきたのに……」といった思いに縛られてしまうことがあります。

 以前、私の息子がある習い事を辞めたいと言ったことがありました。

私もその習い事の様子を観察に行くと、確かにあまり息子が得るものが少ないと感じる指導法でした。

しかし「あまり参加の意義がない」と思う習い事ですら、「もうお金払っちゃったから……」と、私が躊躇してしまいました。

ですが、息子は「でも、それだとお金とだけじゃなくて時間も無駄にすることになって、損なんじゃないかな? 今辞めたら、少なくとも時間は無駄にしないよ」と言ったのです。

これは目からウロコでした。習い事と職業では重みが異なることですが、嫌なことをどこまで我慢するか、手放すか、ということでは思考のプロセスは同じです。

「どうしても苦しい」「今の状況で幸せではない」と感じるのであれば、辞める、もしくは一旦手放す(離れる)方が最終的な損失は少ないと思うのです。

 もし、今つらい思いを抱えながらこれを読んで下さっている人がいたら、私からメッセージを送らせてください。助けを求めていい。逃げていい。

そして今生きている世界の価値観以外の価値観が、必ずどこかに存在するということを。

私自身も生きづらさから逃げアメリカに

 メンタルヘルスに対して、「自分が弱い」「意志が弱い」といった思考が日本にはまだまだ根付いています。

ですが、「今いる環境が合わない」「心が疲れた」「つらい」と感じたら、「逃げる」ことも重要です。

以下は、私の著書である『ソーシャルジャスティス』からの「子どものメンタルヘルスに向けられる偏見に打ち勝つ脳科学」から抜粋になります。

子どもの「いじめ」などに対するケアを原稿にしたものですが、年齢関係なく応用できる考え方です。

———- もし今いる環境が自分に合っていないと感じたら、「その環境から出る」ことによって病を避けることもできるかもしれません。人間にはときには効果的に「逃げる」ことも重要です。

いじめられて辛い思いをしていたら、その学校から転校してもいいし、相手からリスペクトを感じない不幸せな恋愛関係から身を引いてもいいのです。

逃げた後の対応や人間関係などを考えて、なかなか逃げる勇気が湧いてこないことももちろんあります。

逃げようとすると、周囲から「それは逃げだ」というように、意気地のない行為だとしてネガティブに言われることも少なくないでしょう。

その言葉が呪いになって逃げられなくなることもあるかもしれません。

しかし、どんなにリスクを伴っても自分に悪影響を与えている環境から 「出ること」を優先することは、積極的な勇気ある選択だと思うのです。

たとえば、アメリカ社会の中では、場や会話を盛り上げる力や、他人とのコミュニケーションなどのソーシャルな要素が非常に重要視されています。

その環境が合う人もいますが、例えば社会不安や対人恐怖が強い人にはとても大変な環境です。

私はそのような患者さんを診る際は、「黙々と課題をこなすことで評価されるような違う職種あるんだよ」「アメリカと比べると対人関係が得意か不得意かが評価の対象になりにくい日本の方が合うかもね」などと話すこともあります。今自分がいる環境とは違う評価軸がある、と知るだけでインスパイアされる子どもや大人もいます。

『​ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)より抜粋

———-  私自身も日本の女性観から逃げて、渡米の決意をしました。医学界のような閉鎖的な場所にいると、ついつい自分の学部、自分の部活、自分の医局、自分の病院の考え方や価値観がすべてに思えてしまうことがあります。

その中にいると、その小さなバブルの中での周りからの自分の評価やそこでの暗黙のルールなどが当然に思えてしまうことがあるのです。

 しかし、一歩その世界から出てみると、そんなことはないと気付けることがたくさんありました。

私にとっては、海外で見た女性像が日本と異なっていたことが大きな支えになりました。

その結果、米国のイェール大学の研修医となりました。研修医時代はそれはそれでとても大変な経験でしたが、女性医師として「女性だから」という目を向けられることは少なく、私にとって渡米は自分らしく生きるための最初のステップだった気がします。

当時自分のためにした決断を、今も誇りに思っています。

「他の世界を持つ」意味

 また、「他の世界を持つ」ことも閉塞的な心を開放することに役立つと思います。

研修医時代にアカデミックハラスメントにあったとき、医学生のころから習っていたフラメンコのダンススタジオをアメリカでも見つけ、毎週は行けないものの、行けるときに行って、通い続けることを意識していました。

そこでレッスンすることが楽しく、自分には医学以外にも特技があったんだ、ということを少し思い出すだけで、心の持ちようが大きく変わりました。

 さらに、当時つき合い始めたばかりだった今の夫はチェリストで、まったく違う世界で頑張る姿や、彼の友人と交流することでとても励まされました友達と交流することにも励まされました。

大きく環境を変えることが難しい人や、今の職種が手放せないという人は、「新しい世界」「別の世界」があると知ったり、接したりするだけで、充分な支えになると思います。

 そして、「他の世界」を持つと同時に、「同じ世界」で同じような苦労をしている同期の研修医や医学部の同級生たちの支えも大きなものでした。

今でもとても感謝しています。ごはんを食べながら愚痴ったり、また一緒に勉強をしたり、関係ない話をしたり、こういった仲間がいなかったら私はあの時期を乗り切れなかったと思います。

 一見些細なことですが、小さな積み重ねが大きな力になることも多いのです。でも、そんな些細な時間も取ることが難しいという人は、「一旦休む(逃げる)」という選択を考えてみてほしいと思います。

慶應高校も見せてくれた新しい変化の必要性

 少し古いデータですが、2007年のWHO(世界保健機構)の調査では、自死された医師の9割はうつ病などの精神疾患があったとされています。

うつ病を患うと、それこそ他の選択肢や将来の希望が見えなくなるものです。

しかし、うつは治療可能です。もちろん、すぐに治らないこともあります。

様々な薬や心理士を試して、試行錯誤の結果、段々と良くなるという気長に付き合わなくてはならないプロセスもあります。

 ですが、治療現場などで、よく耳にするのが「最初に行った精神科や心療内科、医師や心理士と合わなかった」という声です。

私自身も研修医時代にセラピーを受けたことをお話しましたが、実は一人目のセラピストがイマイチ合いませんでした。

その後、少し時間を置いて違うセラピストを試してみたら、私の悩みや考えを理解してくれていると感じられる人でした。

日本とアメリカではメンタルケアの治療システムが異なる点もあります。

ですが、ひとつの治療法や一人の専門家が合わなかったとしても「医療機関に相談してもダメ」と思わないでください。

あなたに合う人、合う治療法はきっと存在します。

どうか諦めないで良くなることへの希望を持ち続けてほしいのです。

 では、つらいと悩んでいる当事者ではない人間が何ができるのか?

 ひとつは、経験を共有することだと思います。

悩んでいるのはあなた一人ではないという支えの言葉を送るとともに、つらい時期を乗り超えることが可能だという希望、あるいは私のようにその状況から逃げた経験があれば、それを知ってもらうこと。

そして、誰もができることは、前の世代から引き継いだ文化や業界内の常識と向き合うことです。

時代にそぐわないもの。誰かが我慢しなくてはならないという悪しき習慣ではないかを精査し、変化を求めていかなければならないと思います。

これは医学会だけでなく、どの業界、職種でもいえることです。

 医学界には「どんなに個人が辛い思いをしていても、みんなで同じ苦労をしなければならないという習慣」があるとお伝えしましたが、自分が苦しんだつらい体験を下の世代がしないことが許せないと思う「先輩気質」は、医学界以外にも存在するものです。

しかし、「その苦労は本当にする意味があったのだろうか」「苦労を少し減らしても同様のことは学べるだろうか」と考え、他の方法もあると気付くことも多いはずです。

 8月23日に全国高校野球大会で、慶應義塾高校が優勝しました。

丸刈りをやめ、絶対君主的な監督ではなく選手と同等に積極的に対話をするという姿勢は、新しい高校野球の姿を提示してくれたように感じます。

続けるべき文化なのか、意味がないことには声を声をあげていくこと、変えて行くことが自分も、そして多くの人を救うことにもなるのです。

もっと語ろう、自分のつらさや思い

 もちろん、労働体制を変化させるのはとても大変なことです。

アメリカも医師の自殺の多さは問題ですが、近年医師のメンタルヘルスを守るために新しいシステムをいくつか導入しています。

例えば、一人の医師が一人の患者さんを続けて担当するのではなく、複数で担当し、時間や状況によって担当者が変わるというしくみ。

医師以外が担える医療行為は技師などの専門職の導入して行う。

電子カルテや(医師が家から診察できる)リモート診療などのテクノロジーの活用なども進んでいます。

また、病院にいる時間ではなく、生産性で評価される仕組みができ、また「仕事が終わったら帰りなさい」という指示もされるようになってきています。

 しかしながら、アメリカの医療現場でこういった変化が実行できるのは、「アメリカの医療費の高さ」があるからです。

国民皆保険制度の日本では、医療現場の財政も厳しく、治療する側が健康を維持できる医療体制を作るには、さまざまな課題があります。

ですが、小さな変化であっても、医療体制を健全に保ためにも、ゆっくりであってもどうか医学界が良い方向に向かってほしいと願っています。

 最後に9月29日に発売する新刊『REAPPRAISAL(リアプレイザル)最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法』(実業之日本社)から下記の文章を抜粋します(※内容は一部新刊から変更しております)。

———- 人間は一人ひとり顔も違えば、背丈も違う。興味を持つことも違えば、性格や、病気のなりやすさまで違う。それと同じように、我々の脳の構造や機能にも様々な違いがあるのです。

この脳機能の個性によって、気分の落ち込みやすさやネガティブな思いを抱きやすいかどうかといったところにも生物学的な個人差が出てきます。

「生物学的な差」と聞くと、それは諦めるしかないように考えてしまう方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。

どんなに生物的な要因があっても、心も身体も様々な状況に対処できるものです。

身体に不調があって生活に困難をきたしたり、病気でつらい症状がある場合には、多くの人は「治療」 を行って辛さの軽減を図りますね。

あるいは、運動で怪我をしてしまった後には回復に向けた「リハビリ」や、その予防のための「ストレッチ」、そしてテクニックを覚えて練習する「トレニーニング」するころもあるでしょう。

身体的なリハビリ、ストレッチ、トレーニングや治療と同じように、心の不調の予防や回復のために、心理療法や薬物療法などその人に合った方法を取り入れ対処することで、メンタルヘルスも良い状況に変えていけるものなのです。

『REAPPRAISAL(リアプレイザル) 最先端脳科学が導く不安や恐怖を和らげる方法』(実業之日本社)より(内容は一部新刊から変更しております)

———-  何かと誤解や偏見がまつわることの多いメンタルヘルスに関して、身体の調子と同じように捉えるのは難しいかもしれません。

ですが、脳も臓器のひとつ。身体の健康を大切にするのと同じように、科学的な理解を通して、効果のある労わり方をしなければならないのです。

多くの方に正確な精神衛生についての理解が進むように、精神科医として、脳神経科学者として、私もこれからも努力をしていく使命を感じております。

 みんな自分なりに頑張っている。みんな何らかの形で人の訳に立っている。

そういった日々の努力や貢献をついつい当たり前にしてしまうことが多いのが日常生活の現状ですが、私は一つ一つの頑張りを当然として受け止めずに、感謝を伝えていくことが、感謝される側だけでなく、する側にとっても、メンタルヘルスの改善にもつながるのではないかと思っています。

 感謝の対象は他人だけではありません。頑張っている自分をもねぎらって、自分自身の身体や脳にも是非「ありがとう。よくやってるよ」と言ってあげてほしいのです。

内田 舞(医師)

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