町から精神科病院をなくしたら、患者はどうなった? アボカド栽培に挑戦、今では銀座の有名店に出荷|あなたの静岡新聞 (at-s.com)
日本は世界の中で「精神科病院大国」として知られる。
先進38カ国にある精神科の入院ベッド数のうち、日本だけで4割近くを占める状況だ。
全国で約26万人が入院していて、10年以上という患者も約4万6千人いる。
国は何年も前から患者の退院や病床削減を進めようとしているが、うまくいっていない。
そんな中、半世紀余り続いた精神科病院を廃止した町が四国にある。
自ら病院を閉じた元院長と患者たちが始めたことの一つが、日本では珍しいアボカドの栽培だ。
試行錯誤を重ね、東京の老舗果物専門店、銀座千疋屋に出荷するまでになった。(共同通信=市川亨)
「共生社会」を体現、国内外で評価
愛媛県の南端に位置する愛南町。海と山に囲まれた高台にかつてあった2階建ての病院は、取り壊されて姿を消していた。
1962年にできた町唯一の精神科病院「御荘病院」には、最大時で約150人が入院していた。
最後の院長、長野敏宏さん(52)が愛南町にやってきたのは1997年のことだ。
長野さんは愛媛県の旧川之江市(現四国中央市)で生まれた。
愛媛大医学部を卒業し、「何となく」精神科を選択。
大学病院に勤務の傍ら非常勤で時々来ていた御荘病院が肌に合い、赴任を決めた。
当時の院長も、患者を退院させて地域に移行することを志向。
病床削減の計画を立てていた。これに対し、長野さんは当初「入院は必要」と反対だった。
ただ、「家に帰りたい」と言っていた入院患者が年を取り、帰宅できぬまま病院で亡くなり、死亡診断書を書くのはつらかった。
「自分がされたくないことを患者にしている自己矛盾」に直面した。鍵のかかる部屋に患者を閉じ込める隔離や、身体拘束…。
「おかしい」と感じることを一つ一つなくしていき、「入院ベッドがなくてもやっていけるんじゃないか」と思うようになった。
33歳で院長に就任し、町のさまざまな役職を引き受けた。
患者と一緒に地域の活動に参加し、病院の夏祭りには住民約千人が集まるようになった。
病床削減や地域医療への配置転換には内部の反発もあったが、職員の世代交代や意識の変化を経て、2016年に病院を廃止。約20年かけてついに実現した。
やがて、閉鎖病棟にいた患者たちの様子は変わった。
生き生きとした表情になり、人間らしい暮らしを取り戻した。
統合失調症で約10年入院していた60代の男性は今、アパートで1人暮らし。
「カラオケに行くのが楽しみ。自由がいい」としみじみと話す。
長野さんは「環境が変われば、こんなに変わるんだとびっくりした」。
病院は現在、建物の一部を使った「御荘診療所」と、患者らが少人数で共同生活するグループホームなどに姿を変えている。
長野さんの肩書は院長から診療所長に変わり、地域で暮らす患者を外来と訪問診療で支える。
世界の精神医療の潮流は「患者を病院から地域へ」だが、入院治療に偏った日本の精神医療界では、長野さんは異色の存在だ。
障害がある人もない人も共に暮らす「共生社会」を体現した町の取り組みは、国内外で評価されている。
「すれすれまで地域で粘る」
日本の精神医療では指定医の診断と、家族らのうち誰かの同意があれば、強制的に患者を入院させることができる。事実上、医師1人の判断で決まると言ってもいい。
だが、愛南町に入院できるベッドはもはやない。
入院がどうしても必要な際は、隣の宇和島市にある病院に入れるが、長野さんは「なるべく入院させない」。
統合失調症で言動が不安定になる患者、ごみ屋敷のような家で暮らす人…。
以前であれば入院させていた人々にも、今は何かあれば長野さんや看護師、精神保健福祉士らが24時間駆け付ける。
すぐに問題を解決しようとはしない。無理に治療しようとすれば、かえって心を閉ざしてしまう。
家に引きこもり会ってくれなければ、何カ月も何年も通う。
「第三者から見たらぐちゃぐちゃの生活でも、そこでその人が暮らしていることが大事。『人を殺さない』『自分で死なない』。それが家で暮らす基準。すれすれまで地域で粘る」
とはいえ、現実にはきれい事ばかりではない。
患者がトラブルを起こすこともある。病院をなくすことに住民から不安の声はなかったのか。
行政としても困るのではないか。そう考えて町役場に取材した。
町保健福祉課の幸田(ゆきだ)栄子課長はこう答えた。
「住民から特に反対はなかったです。町としても、病院がなくなったからといって、特に困っていることはありません」
幸田課長も保健師として、長野さんら病院スタッフと地域活動に長年取り組んできた。
「住民は患者さんたちといろんな機会に触れ合ってきたから、それほど不安はなかったのだと思います」
人口減の厳しい現実
実は、長野さんが愛南町で携わる活動のうち、「医療」はごく一部に過ぎない。
NPO法人の理事を務め、温泉宿泊施設の運営などにも関わる。
事業家なのかと疑うほどだ。NPOは障害福祉サービスの事業者でもあるので、精神保健福祉士や作業療法士が患者と一緒にそこで働く。
背景には、少子高齢化が進む愛南町の厳しい現実がある。
人口はここ20年で3分の1減り、2万人を割った。
高齢化率は46%。
長野さんは言う。「困っているのは障害者だけじゃないし、働き手が圧倒的に足りない。産業をつくり、みんなが働かないと地域が立ちゆかない」
NPOはかんきつ類やシイタケの栽培、川魚のアマゴの養殖も手がける。
さらに、温暖な気候を生かして新たな特産物にしようと、2009年から取り組んでいるのがアボカド栽培だ。
若い女性を中心に人気があり、国内の消費量は増えているが、ほとんどが輸入品。国産品には希少価値がある。
山を切り開き、約1200本のアボカドの木を栽培。銀座千疋屋に出荷するまでにこぎ着けた。安定的な生産に向け試行錯誤を重ねる。
「実際に会ってみたら、イメージと違った」
もちろん、事業は一人ではできない。行政や地元企業の協力が必要だ。
清掃会社社長でNPOの理事長を務める吉田良香さん(66)は、長野さんと知り合って約20年。
「一緒に挑戦も失敗もたくさんした」という盟友のような間柄だ。
「昔は精神障害者のことは避けていた。偏見があった」。
吉田さんは率直に語る。「だけど、実際に会ってみたらイメージと全然違った。今は誰が障害者とか、もう関係ない」
日本の精神医療は長期入院や患者の人権侵害が長年、問題視されてきた。
改革の必要性が叫ばれながら、社会の偏見や、病院団体の反発などが複雑に絡み合い、なかなか変わらない。
長野さんはこう話す。「誰かを悪者にしても何も解決しない。時間がかかっても、私たち一人一人が自分のこととして一歩ずつ進めていくしかない」
昔の病院を思い出した長野さんはぽつりと言った。「ひどいところでした、ほんとに」
取材後記
長野さんがたびたび口にする言葉がある。「覚悟」と「文化」だ。
何か問題が起きたら、組織のトップで医師である自分が責任を取るという覚悟だが、そこには確固たる基盤がある。
これまで築き上げてきた地域の資源や、町の関係者との信頼関係だ。そしてそれは同時に、精神障害を取り巻く地域の文化を変えた。
「精神障害者は危ないから、入院させてほしい」ではなく、「むやみに入院させられることはないから、診てもらおう」という風に。「いない方がいい」から「いないと困る」に。
それができたのは、長野さんや愛南町が特別だからだろうか。全ての精神科病院の医師や職員、そして私たちも問われているのだと思う。