<視点>「知る」ことから全ては始まる 精神科病院での実習を通して 特別報道部・木原育子:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
最寄りのバス停で降りる際、小さな声が耳に届いた。「ここ精神科病院だよ」。思わず振り向くと、声の主のしかめっ面が目に飛び込んだ。社会にとって精神科病院は、そんな存在なのかもしれない。
私は10月の2週間、そんな精神科病院に通っていた。精神保健福祉士の資格を取るための実習だ。これまで「こちら特報部」で、日本の精神医療の特異性を伝えてきたが、病院内部の取材は個人情報の壁もあり難しい。精神科病院で実際に何が起きているのか、自分の目と耳でありのままを知る機会にもなった。
病院には奇声を上げる人もいれば、社会の受け入れさえ整えば退院できる人もいた。辞書を何年も読み続けたり無心にビーズ飾りを作ったり、大切な居場所になっていた。
驚くほどみずみずしい感性を持っている人もいた。会話の返答に数十分かける人も。なぜいつも私の隣に座るのかと思ったら、「呼吸がとても穏やかだから」。呼吸で人との心の距離感をつかむ人もいた。彼ら彼女らと話すとき、信じられないほど心が安らいだ。何て優しいんだろう。花を愛で、皆で歌い、よく笑った。
精神保健福祉士の仕事は、そんな患者らと関係を深めながら、スムーズに社会に戻れるよう退院支援をする。退院時の福祉制度の申請や住まいの相談などに応じながら患者の伴走者役を担う。
だが現実は、次々に訪れる入院者の対応に手いっぱいの実情もある。社会から追い出されるように病院に舞い戻ってきてしまう人もいた。
忘れられない現場がある。外から鍵のかかった保護室だ。音などの刺激情報を遮断し、いったん落ち着いてもらう隔離された場所。自殺防止のため、壁に留め金は一切なく、便器はむき出しで、中の様子を確認するカメラが24時間回っていた。
「アホ」「窒息」。保護室の柱にそんな文字が彫られていた。室内に鋭利なものは持ち込めない。服のファスナーか爪か。相当な力を込めて彫ったのだろう。ジリジリと一画一画波打つみみず腫れの文字を、私は何度もなぞった。
なぜ刻んだか。どんな思いだったか。本当は何が伝えたかったのか。医療と福祉は時に相いれない。医療の常識が、人権が柱の福祉では受け入れられないことはよくある。柱の刻印の意味を問い続ける。その文字に触れた者の使命のように思えてならなかった。
実習を終え日常に戻った。だが、あの純真無垢な笑顔を向ける人たちがいないことに気づく。いかにこの社会が、社会の流れに乗れる人だけで構成されているかを思い知った。冒頭のバスのように、精神を病む人を異質な存在とする偏見は社会に横たわる。
見ようとしなければ見えない世界は確実にある。その最たる存在が精神医療だと痛感した。まずは、この現状を知るところから始めたい。(特別報道部、社会福祉士)
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