「幸せな最期」を迎えるために必要な「4つのこと」…1つでも欠けると後悔することに(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) (gendai.media)
いつまでも現役でいたい気持ちは誰にでもある。だが、「卒業」のタイミングを見逃して、老いさらばえるのはいかにも悲しい。人生の達人たちから、残り時間を愉しく、有意義に生きるヒントをもらおう。
前の記事『「楽しみとは本来、外側ではなく自分の内側から湧き上がってくるもの」…作家の町田康が「30年間毎日飲み続けた酒」をやめて発見したもの』より続く。
「自分なりの逝き方」を健康なうちから考えておく
自分の命が自分のものであるならば、死もまた自分のものでなくてはならない。幸せな最期を迎えるためには、自分なりの逝き方を健康なうちから考えておくことが重要になってくる。
終末期の訪問入浴から、死後の湯灌まで行う「ウィズ」の代表看護師・武藤直子氏はうまく人生を「卒業」するための条件をこう語る。
「私が思うに幸福な最期を迎える条件は4つあります。痛みが最小限であること、多少のわがままが許される環境であること、遺族に悔いを残さないこと、そして、家族と心ある医療従事者がそばにいることです。どれか一つでも欠けてしまうと、最後の最後で苦悩や後悔を抱えることになってしまいます」
茨城県在住の山田茂さん(仮名・享年78)は肺気腫による慢性的な呼吸不全と肺がんによる疼痛に長く苦しんでいた。死期を悟った山田さんは自宅で死ぬことを望み、容態が急変したら看取り医を呼ぶことを家族と話し合い、決めていた。
蘇生後の「苦悶の表情」
これまで2700人以上の最期に立ち会い、『70歳からの正しいわがまま』の著書がある看取り医の平野国美氏が話す。
「ある日の夕方、家族から山田さんの『意識が混濁した』という連絡がありました。私に連絡したところまでは良かったのですが、最近、心肺蘇生の講習を受けた次男が心臓マッサージを行い、蘇生させたのです。
親族は『よくやった!』と彼を英雄扱いしていました。しかし、私が到着し、表情を見ると本人は明らかに苦悶の表情を浮かべていた。ご家族の気持ちも痛いほど分かりますが、本人にとっては苦しみが引き延ばされることになってしまいます。結局、息を引き取ったのは翌日の深夜でした」
山田さんは現役時代、食品会社の営業マンとして多忙の日々を送っていた。それでも、家庭を大事にし、妻や子供たちとも良好な関係を築いていた。だから、彼の死に際に家族がすぐそばにいた。その点では幸せな最期だったかもしれないが、生前に危篤状態になった時、蘇生を行うかどうかを家族と話していなかったために安らかに逝くことは叶わなかった。
「笑顔の絶えない病室」でなぜ「死にたい」…?
山田さんと同じく、人生最期の時間を家族とともに過ごしていても、幸せな死を迎えられるとは限らない。
千葉県在住の春日井進さん(仮名・享年78)は持病で入院中にステージ4の大腸がんが発覚し、治る見込みがないことから、ホスピスに入ることを希望した。だが、妻の
「私がちゃんと看ますから、帰ってきてください」という言葉に後押しされ、自宅療養に切り替えた。
「奥さんだけではなく、息子夫婦、娘夫婦も週末に実家を訪れ、献身的な介護を行いました。大学生の孫もバイトと授業の合間を縫っては訪ねてきて、当初は笑顔が絶えない毎日でした」(平野氏)
ところが1ヵ月後、明るかった春日井さんに異変が表れ始めた。『家族に迷惑をかけている』『早く死にたい』という言葉を漏らすようになり、泣きだすようになった。
元々、膝が悪かった妻に介護の負担が重なり、症状が悪化して日常生活に支障が出始めていたからだ。その様子を見た春日井さんは負い目を感じていた。
妻が「大丈夫よ」と慰めても、家族に迷惑をかけている自分を許せなかった。
<続く>