ごく最近「『100分de名著』という番組のミッションの一つは、戦争をなくすことである」とツイッターの公式アカウントでつぶやきました。
よい評価、悪い評価も含めて、少なからずの反響がありました。
公にするのはこれが初めてかもしれませんが、「戦争をなくすことである」というのは本気の言葉ですし、プロデューサーに就任して以来、ずっと考え続けてきたことです。
笑われるかもしれませんし、「何を青臭いことを……」という人も多いかもしれません。
ですが、この8年間ほど、真剣に名著といわれる本を読み続けてきて、その確信は深まっています。
たとえば、この番組で取り上げてきたカント「永遠平和のために」、大岡昇平「野火」、カイヨワ「戦争論」、アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」といった名著はさまざまなことを教えてくれました。
結論は、戦争への最大の抑止力はある種の「教養」であるという事実です。
これは「絵空事」でも「お花畑的理想論」でもありません。
2022年5月に翻訳、出版された本に、「集団浅慮」という書籍があります。
社会心理学者のアーヴィング・ジャニスの手になる重厚な研究書です。
紙幅の関係でここでその内容を詳細にお伝えはできません。
ですが、この本では、「キューバ危機」において核戦争が回避された理由を徹底分析しており、戦争を避け得るか否かの判断軸は、かなりの割合で「教養」というものが重要な基盤になっているということがわかります。
そして、その「教養」を育てるための最も豊かな培地こそが「名著」なのだと、私は深く確信しています。
ジーン・シャープ「独裁体制から民主主義へ」を取り上げることになったきっかけは、2021年2月1日(奇しくもこの原稿を書いてる日の翌日でまる2年を迎えます)に起こったミャンマーの軍事クーデターです。
軍事政権に蹂躙される市民たちの姿をみて胸がつぶれそうでした。
クラブハウスという音声SNSでも、在日ミャンマー人の方々から故郷の惨状を伝える生の声をお聞きする機会を得て、この状況をなんとかするための知恵はないのかと必死で考え続けました。
クルツィオ・マラパルテ「クーデターの技術」といった書籍も読みましたが、答えはみつかりませんでした。
更に世界は驚くべき方向に進みます。
ちょうど1年後の2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まったのです。
日々のニュースで伝えられる極めて深刻な戦災の状況をみるにつけ、「このような状況を避ける方法はなかったのだろうか」と考え続けました。
図書館に通い、書店に通い、関連書籍を探し続けました。
結局、見つかったのは、自宅の書棚でした。
過去に購入した戦争関連や独裁者関連の書籍を並べ替えていたときのこと。
「あ、こんな本を買っていたんだ」と手にとったのがジーン・シャープ「独裁体制から民主主義へ」だったのです。
一読驚きました。購入時には無味乾燥な本だと途中で放り出したのですが、この時期に読むと胸に迫ってくるところが多い。
「完璧ではないかもしれないが、この本には、独裁体制や戦争を避けるための大きなヒントが数多くはいっている」と思い、夢中になって何度も読みました。
すぐに解説してもらえるような研究者を探そうと考えました。
ところが、シャープの著作はほとんど絶版。
在庫も僅少ですぐに手に入りません。
本が手にはいるまでは、ネットで調べてみようと、さまざまな検索ワードで検索を続けていました。
偶然ひっかかったのが、今回の講師・中見真理さんの「ジーン・シャープの戦略的非暴力論」という論文だったのです。
シャープ理論の勘所をおさえた凝縮度の高い論文でした。
しかも鋭いことに、後半にはシャープ理論の弱点にも言及されている。
シャープを高く評価しながらも、一方的に祭り上げることはしない。
問題は問題としてきちんと指摘する……
そのバランス感覚が研究者として素晴らしいと思いました。
更に、見覚えがある名前だったと思ったら、「柳宗悦~複合美の思想~」という彼の思想を国際関係思想史の観点から読み解く、私が愛読していた新書の著者でした。
そして論文の注をみると、ジーン・シャープに直接会ったことがあるという。
そのときの写真も掲載されていました。
この段階で、一刻も早くこの人に会いたいという気持ちが高まっていました。
いくつかの出版社のつてを頼って連絡をとり、ようやくお会いできたのが2022年5月11日のこと。
多摩センター駅近くの喫茶店でお会いしたときのことを昨日のことのように覚えています。
シャープの理論についてもじっくり話し合いましたが、最近のウクライナ情勢のことや日本が軍事力依存の方向へ舵を切ろうとしている状況への懸念についても語り合いました。
そして二人の結論。「今こそシャープの本を読むべき時だ」で一致しました。
ただ、この段階で、中見さんは、出演を迷われていました。
一つは、テレビ出演が初めてだということ。
もう一つ、目の手術をしたばかりでどこまで無理がきくかということも懸念されてました。
その後も何度かメールのやりとりをする中で、「自分が出演するかしないかという迷いより、シャープのことを多くの人に知ってもらいたいという気持ちが勝ちました」とおっしゃってくれました。
目の手術を終えての予後の状態もとてもよく、むしろ研究の意欲がとても湧いている状態だとの力強い言葉も。
後でお聞きしたのですが、もし手術前に、この依頼を受けていたら確実に断っていただろうともおっしゃっていました。
不思議なタイミングの一致とご縁の深さを感じました。
シャープ理論をコンパクトに、切れ味鋭く解説してくれた番組内容については、あらためて繰り返すまでもないでしょう。
ただ今回の内容をより豊かにできたのは、中見さんと私の間で(その後は、中見さんと番組チーム、テキストチームとの間で)非常に実りの多い対話やメールでのやりとりをさせていただいた結果だと思い
ます。
この対話的空間こそが、番組の質を高めていきました。
おそらく、この一年くらいの間で、もっとも多くのメールのやりとりをしたのは、中見さんではないかと思います。
そのエピソードを振りかえることで、この「こぼれ話」をまとめたいと思います。
やりとりが多かったのは、互いに不安があったからだと思います。
それは、「独裁体制から民主主義へ」という本が、抵抗運動に携わるあらゆる人たちが応用できる教科書のように使ってもらいたいというシャープの強い思いから、極めて抽象的に書かれており、具体的事例が乏しいことでした。
しかし、テレビで伝える場合は、具体例を紹介しないと説得力をもちえない。
どんな風に具体例を盛り込むかがカギを握っていました。
私のほうからは、シャープがわずかに触れているポーランドの「連帯」やチェコスロバキアの「ビロード革命」の事例を紹介したらよいのではないかとの提案を出し、資料なども用意しました。
が、これらはシャープの理論を直接活かしたものではないので説得力が薄いのではないかとの懸念もありました。
中見さんはそんな中、英語の文献を読み込んでくださり、リトアニアやセルビア、ウクライナ、エジプト、ミャンマーなどの詳細な具体的事例を探し出してくださいました。
特にリトアニアやミャンマーはシャープが直接現地を訪れて指導した場所です。
その多くの情報を整理したのが今回のテキストであり、番組です。
これら具体的事例があるのとないのとでは大違いです。
番組ディレクターが数多くの資料映像をかき集めクリアな形で編集・演出することで、中見さんの解説と巧みにリンクさせてくれました。
具体的な成功例をいれることができて、シャープの理論を非常に立体的に、かつビビッドに伝えることができました。これら共同作業をしてくれた皆さんに心から感謝したいと思います。
SNS上ではあいかわらず、シャープの理論を紹介することに対して「非暴力闘争なんてお花畑的理想論にすぎない」とか「この厳しい国際環境で、何を今さら『左巻き』の論を展開しているんだ」といった罵声が聞こえてきます。
これらは単なるレッテル貼りにすぎません。
理論的な反論が全くないからです。
私自身は、トクヴィルやエドマンド・バークら真正保守(えせ保守ではない)を信奉している「リベラル保守」で、政治的には中道のど真ん中にいることを自認していますし、シャープとて、実際はアメリカ型民主主義を信奉し、ときには戦略的に政府の援助を得ることもある(そのあたりが批判にさらされたりするのですが)どちらかといえば、中道左派ともみえなくもありません(実際にはあらゆる政治的立場やイデオロギーを超えて独裁権力と対峙するという立場を貫いています)。
ですので「偏っている」等といった批判は的はずれです。
レッテル貼りの批判ではなく、真摯な反論もいただいていますが、そうした人たちとは建設的な議論ができています。そういう実りのある議論ができればと思います。
一つ、付け加えると、シャープの理論は、誤解が多いようですが、「無抵抗」でも「非武装」でもありません。
シャープも明言していますが、「非暴力闘争」は、綿密にたてられた全体計画、弱点に集中すべく慎重に選ばれた戦略、徹底して貫かれる非暴力によって、独裁体制を覆すことを目指す「暴力なき戦争」です。
つまり冷徹で積極的な闘争なのです。
私の解釈もはいりますが、「相手を暴力で攻撃しない限りでの専守防衛のための武装(例えば向かってくるミサイルを途中で迎撃するような兵器など)」「相手を挑発・威嚇しない限りでの最低限の武装や防衛力」「警察力的防衛力」を放棄するものではないと思います。
現に、「市民力による非暴力的な防衛力」と「通常の意味での防衛力」を組みわせるプランなども提案したこともあり、北欧諸国が検討したこともあるそうです。
決して非現実的な理論ではなく、冷徹なまでの現実主義をとっています。
だからこそ、昨今の「専守防衛」についての議論にも示唆することが大きいのだと思います。
シャープは言及してないし、実際に影響を与えているかどうかさだかではありませんが、中見さんが例に挙げたコスタリカの例などは上記のあり方に近いかもしれません。
どんな理論にも弱点はあります。
なんでも解決できるスーパーマンのような万能な理論など存在しません。
シャープは「非暴力闘争論」に新たなパラダイムを切り拓いた歴史的な人物です。
時代的な限界を無視して、弱点をあげつらうような卑怯なやり方、冷笑的なやり方ではなく、彼が積み上げたものから何を学んでいくかをいちばん大事にしたい。
これは今も豊かな可能性を数多く秘めた理論であり、ここから何をどう進化させていくかは、シャープから私たちに与えられた宿題だと思うのです。
シャープの理論は、職場、学校、サークル、家庭などでも応用できるアイデアに溢れています。
また、残忍な独裁国家よりも、むしろ先進諸国や民主主義国家の中で生まれる強権的手法にこそ、強力な効果を発揮できる理論だとも、番組を終えて思っています。
私も小さな実践から始めています。
皆さんも、今回の番組やテキストを教科書に使っていただき、小さいな第一歩を踏み出してみてください。