(書評)保守の人々にこそ読んでほしい本
いや、リベラルや左翼を自認してる人々にも読んでほしい。
愛国者の仮面をかぶった売国奴や、リベラルの仮面をかぶった巨大資本の犬に騙されないために。
軍事クーデターや戦争や虐殺によるチリやイラクやインドネシアのショックドクトリンも衝撃的だったが、それよりメディアを使った小さなショックドクトリンの例が大変興味深く参考になった。
第一次大戦後に荒廃したドイツを放置しナチズムに走らせた反省から、ケインズ的な財政政策で各国経済を立ち直らせる指導をするために設立されたIMFや世界銀行のような国際機関がシカゴ学派に乗っ取られ、融資と引き換えに民営化と福祉や社会保証を削る緊縮財政、規制撤廃の新自由主義政策の三点セットを各国に強要する機関となってしまった歴史が描かれています。
それでも各当国がIMFの構造調整プログラムを拒否すると財政破綻論がメディアで喧伝され人為的に危機がでっち上げられ新自由主義的政策が強行されていく本書で描かれてるカナダの例は、まるで今の日本そのもの!
ロバート・B. ライシュ やデヴィッド・ハーヴェイも指摘するように新自由主義者が多用する戦術が不安と差別。
アメリカは80年代年代までは今より富が平等に分配されてる福祉国家だったのに「キャデラックに乗って生活保護を貰いに来る黒人シングルマザー」という人々の差別心に訴える反福祉キャンペーンをレーガン共和党がはじめて政府の支出削減に成功したという。
この中傷を白人中流層が支持した結果が今の中流層が消滅した超格差社会のアメリカ。
「ベンツに乗って生活保護を貰いに来るヤクザ」という一部を極大して、生活保護制度全体へのネガティブキャンペーンを盛んにしてる今の日本のマスコミの姿と瓜二つ。
勿論、不正受給は非難されるべきだが、供給過剰と消費不足でデフレ不況に陥ってる今、生産せず消費するだけの生活保護者でも経済にとってそれなりに有意義な存在である事実は無視され、感情的なバッシングばかりが行われる。
ワシントン・コンセンサスにより中央銀行の独立性などという訳の分からないもので日銀が国民の統治から離れ、人脈による事実上のIMF統治下にある今の日銀。
復興国債の日銀引き受けも円高デフレ是正のための通貨増刷も出来ない現状では、これらに比べ僅かな額だが、使い切りが多い生活保護は社会に金を循環させる貴重な小規模公共事業のようなものなのに。
結局、新自由主義が先行適用された国で、この手の社会支出ネガティブ宣伝のノウハウが蓄積され日本で用いられてるのが辛坊治朗氏に代表される財政破綻本の量産や、緊縮財政と民営化を掲げる橋下維新の躍進現象。
維新だ改革だと連呼してる連中に何も新しいものはなく、世界中で使い回された戦術と政策だとわかる。
生活保護者やワーキングプアらの弱者を互いに対立させ、正社員や公務員や農業を既得権益者と規定して攻撃し、憎しみと敵意を国内で満たし国民を分断させる。
その上で「財政破綻」や「迫りくる経済崩壊」といった言葉がマスコミを通じて盛んに流され、無意味な危機感と焦燥感が煽られ社会不安だけが増幅されて、各個人は危機へ備え、貯蓄して消費を控え、貨幣循環が停滞してしまう。
このように故意に景気を冷え込ませ危機を作り出し、政府支出の削減や公共領域の縮小、積極的な民営化促進といった新自由主義政策が強行されていく。
その裏では人々に自立を説きながら、自らは政府に寄生するどころか政府と一体化し、社会の富を吸い上げる多国籍巨大資本。
この現実に対応できないか、あるいは意識的に無視しているマスメディア。
政治が巨大資本に浸食されてる。
たとえば労働問題一つを取ってもそう。
予め巨大資本に外国人労働者を入れ、労働市場を供給過多にして賃金を引き下げるという目的を決められたうえで、自称保守は国際競争や優秀な人材確保という経済的標語で移民を正当化し、自称リベラルは国際化や多文化共生という文化的標語のもとで移民を正当化。
動機は違うように装っても目的は同じ近代国民国家の解体、国民主権や自治権の否定、IMFなどの国際機関や多国籍巨大資本への権力の移譲。
どちらも国民や市民や地域を、労働力と消費者と市場という経済記号のみに解体しようとしてるのが現代日本の大手メディアで流通してる言論。
人材を吸い取られる元の国の事や、より労働条件が厳しくなる労働者の事や、深刻になるであろう社会対立や差別は一切考慮されない。
日経や読売から朝日やNHKまでの大メディアは、IMFと経団連が強く後押ししているTPP推進と消費税上げで揃って支持してる異様さ。
逆進性が高く、特に日本では生活必需品へも一律課税な限りなく人頭税に近い消費税を。
IMFの提言なんて、その国の国民のためになった例がないのに。
「消費税を政争の具に使うな」の大合唱で圧力をかけ続け消費税上げの是非に対する議論を封じて、消費税上げを急がせた経団連や読売から朝日までの大新聞やNHKは、特例公債法案が政争の具にされ、被災地にも深刻な負担になる戦後初の予算執行抑制に陥ってる事態には、抗議の声をほとんど上げない。
日々の生活に直結する経済政策は一切争点にされず、目眩ましに55年体制的イデオロギー対立の猿芝居を延々と見せられるばかり。
大手メディアは、ベクトルが同じ連中が右役左役と芝居を演じてるだけ。
歴史問題や靖国問題などで白々しいプロレスばかり見せられ、真に重要な政治経済問題では対立軸も選択肢も提示せず、右も左も全てが新自由主義に収斂していく今の日本の言論空間に知的要求を満たされない人々は、この本をぜひ読んでほしい。
思考の広がりが得られるはずだ。
「ショック・ドクトリン」