(書評)サイコパスをフィルターに。「良心とは何か?」を問う「良心をもたない人たち」

(書評より)サイコパスをフィルターに、「良心とは何か?」を問う

米国の心理学者が著した、いわゆる「サイコパス」についての解説書である。

サイコパスとは、一言で言えば「良心が欠如した人間」のこと。

サイコパスは具体的にどのような人間なのか、サイコパスが生まれる原因は何か、どのようにサイコパスを見分けたらよいか……などの問いに、著者は実在のサイコパスを例に挙げながら、手際よく答えていく。

なかなか目からウロコの本であった。

人口の4%もサイコパスがいるという話(欧米の場合。日本はもっと低いそうだ)にも驚いたが、「サイコパス=犯罪者およびその予備軍」という先入観がくつがえされたことにも驚かされた。

私は、貴志祐介のホラー小説『黒い家』で「サイコパス」という言葉を知った。映画版では大竹しのぶが怪演した、あの恐ろしい女。あれが「サイコパス」の一典型なのである。

『黒い家』の強烈な印象のせいで、私は「サイコパスとは平気で殺人を犯したりする粗暴な人間のこと」というイメージを抱いていた。

だが著者によれば、大半のサイコパスは非暴力的で、目立った法律違反も犯さず、社会に溶け込んで生きているという。

一見ふつうの人間に見えながら、平気でウソをつき、人を陥れ、周囲に不幸をまき散らす「良心をもたない人たち」。その恐るべき実態が明かされていく。

「一見ふつう」どころか、サイコパスには一見非常に魅力的で、カリスマ性さえ感じさせる人間も多いという。

彼らは人の心をあやつる術に長け、総じて知能も高いからである。

著者は、大企業のCEOにまでのぼりつめたサイコパスの例を、一章を割いて紹介している。

本書は、たんなる解説本に終わらない深みをもった良書であった。

「サイコパスとは何か?」という問いに答える過程で、著者は「良心とは何か?」「人間にとって幸福とは何か?」という大テーマにまで迫っていくのである。

「良心はほかの人たちへの感情的愛着に基づく義務感である」と著者は定義し、「良心は愛する能力を欠いては存在しない」と言う。

サイコパスの道徳観念の欠如の根源には、「愛情の欠如」があるのだ。

良心をもたないサイコパスたちは、人を出し抜く能力に長けているため、一時期は社会的成功を収めることもある。しかし、彼らはけっして幸福にはなれないと著者は言う。

それは、たんなる「因果応報」話ではない。

感情的生活が欠落したサイコパスたちはつねに退屈しており、その退屈をまぎらすために強い刺激を必要とする。

そのため、刺激を求めて危険な行為をくり返したり、アルコールや麻薬に依存したりして、自滅していく率が高いのだという。

そもそも、他人を支配したり蹴落としたりして得られる勝利感など、刹那的なものにすぎない。

それは幸福感とは似て非なるものだ。

愛情が欠落したサイコパスたちは、一生涯本物の幸福感を味わうことができないのである。

「サイコパスの見分け方」を説いた章も興味深く読んだ。

著者によれば、サイコパスを見分ける「最高の目安」は「泣き落とし」だという。

サイコパスたちが人をあやつるために最も頻繁に利用するのは、意外にも、恐怖心ではなく同情心だというのだ。

《だれを信じるべきかを判断するとき、忘れてはならない。つねに悪事を働いたりひどく不適切な行動をする相手が、くり返しあなたの同情を買おうとしたら、警戒を要する》

また、平気でウソをつけるのもサイコパスの特徴だから、つきあいの中で3回ウソが重なったら、その相手からすぐに逃げ出すべきだと著者は言う。

もう一つ、印象に残った一節を引こう。

《(戦場において)サイコパスは悩むことなく相手を殺すことができる。良心なき人びとは、感情をもたない優秀な戦士になれるのだ。(中略)サイコパスがつくりだされ、社会から除外されないのは、ひとつには、国家が冷血な殺人者を必要としているからかもしれない。そのような兵卒から征服者までが、人間の歴史をつくりつづけてきたのだ》

「良心をもたない人たち」

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