歴史家はこの1350年から1500年までを『ヨーロッパ労働者階級の黄金時代』と呼ぶ

ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社、2023年5月)

第1章 資本主義―その血塗られた創造の物語

人類は、この惑星に30万年近く生きている。

その間に、十分な進化を遂げて知的になった。

その年月のおよそ97%の間、人類は地球の生態系と相対的な調和を保って生きてきた。

地球規模でバランスが崩れ始めたのは、この数百年に資本主義が台頭し、1950年代から産業化が驚異的に加速するようになってからだ。

それを理解すれば、問題に対する考え方が変わる。

この間の時代は『人新世』と呼ばれるが、この危機は人類が引き起こしたわけではない。

真の原因は、ある経済システムにある。

このシステムは最近になって始まり、歴史上の特定の時代に特定の場所で発展した。

社会学者のジェイソン・ムーアが指摘するように、現代は人新世(アントロポセン)ではなく―資本新世(キャピタロセン)と呼ぶべきなのだ。

最初は理解しにくいだろう。

わたしたちは資本主義を当たり前と見なし、少なくともその初歩的な形態は古代から社会に浸透していたと思い込んでいる。

結局、資本主義は市場のことであり、市場は古くからあるからだ。

しかし、資本主義イコール市場ではない、市場は何千年にもわたって、さまざまな時代や場所に存在したが、資本主義が誕生したのはわずか500年前だ。

資本主義の特徴は、市場の存在ではなく、永続的な成長を軸にしていることだ。

事実、資本主義は市場初の、拡張主義的な経済システムであり、常にますます多くの資源と労働をできるだけ安く手に入れなければならない。

言い換えれば、資本主義は、『自然と労働から多くとり、少なく返せ』という単純な法則に従って機能しているのだ。

生態系の危機は、このシステムが必然的にもたらす結果だ。

資本主義は生物界とのバランスをわたしたちから奪った。

この事実を理解すると、新たな疑問が浮かんでくる。

なぜそんなことになったのか? 

資本主義はどこから来たのか? 

なぜ定着したのか?

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ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社、2023年5月)

資本主義は生物界とのバランスをわたしたちから奪った。

この事実を理解すると、新たな疑問が浮かんでくる。

なぜそんなことになったのか? 

資本主義はどこから来たのか? 

なぜ定着したのか?

その理由としてよく言われるのは、人間は本質的に利己的で、自分の利益を最大化しようとする、ということだ。

人間を『ホモ・エコノミクス』と呼ぶ人もいる。

すなわちミクロ経済学の教科書に載っている、利益のみを追求する自動人形(オートマトン)だ。

この性向が封建制の束縛を徐々に打ち破り、農奴制を終わらせ、現在のような資本主義を生み出した、とわたしたちは教わった。

それが人間の物語であり、創世記だ。

この物語はあまりにも頻繁に語られるので、誰もが真実だと思い込んでいる。

資本主義の起源は利己的で強欲な人間の本性にあるのだから、不平等や環境破壊などの問題は避けがたく、軌道修正は不可能だと、誰もが考えている。

しかし意外なことに、わたしたちの文化にこれほど深く根付いているこの物語は、何一つ真実ではない。

資本主義はどこからともなく『出現』したわけではなかった。

資本主義へのスムーズで自然な『移行』は起きなかったし、資本主義は人間の本質とは何の関係もない。

歴史家が語るのは、はるかに興味深く暗い物語であり、この経済の本質について驚くべき真実を明かす。

この物語を理解すれば、生態系の危機の深い動因を知り、自分たちに何ができるかについて重要な手がかりを得ることができるだろう。

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ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社、2023年5月)

封建社会を覆した忘れられた革命

封建社会は野蛮なシステムで、人々は惨めな暮らしをしていた、と学校では教わった。

それは事実だ。

領主や貴族が土地を支配し、そこに住む人々―農奴―は、地代、税金、十分の一税(寄付金)、無報酬の労働という形で領主や貴族に貢ぐことを強いられた。

しかし、よく聞く話とは裏腹に、このシステムを終わらせたのは資本主義ではなかった。

驚くべきことに封建社会を覆したのは、市井の革命家たちの長年に及ぶ勇気ある闘いだったのだ。

だが、どういうわけか、彼らの貢献は完全に忘れられた。

封建制が崩壊すると、自由農民たちはそれに代わるものを築き始めた。

自給自足を原則とする平等で協働的な社会だ。

この改革は、平民の福利(幸福と利益)に驚くべき影響を及ぼした。

賃金のレベルは歴史上かつてないほど上昇し、ほとんどの地域で2倍から3倍になり、6倍になるケーズもあった。

地代は下がり、食料は安くなり、栄養状態は向上した。

労働者は、労働時間の短縮や週末の休暇、さらには、仕事中の食事や、職場への交通費などについて交渉できるようになった。

女性の賃金も上昇し、封建制度下では顕著だった男女の賃金格差は狭まっていった。

歴史家はこの1350年から1500年までを『ヨーロッパ労働者階級の黄金時代』と呼ぶ。

この時代はヨーロッパの生態系にとっても黄金時代だった。

封建制は生態系にとって災厄だった。

領主は、土地と森から利益を抽出するよう小作農に圧力をかける一方、土地と森には何一つ返さなかった。

これは森林破壊と過放牧をもたらし、土壌は次第に肥沃さを失っていった。

しかし、1350年以降に現れた政治運動はこの傾向を逆転させ、生態系は再生し始めた。

土地を直接管理する権利を勝ち取った自由農民は、自然との間に互恵的な関係を築けるようになった。

民主的な集会を開き、耕作、放牧、森林の使用に関するきめ細かなルールを定め、牧草地やコモンズを集団で管理した。

ヨーロッパの土壌は回復し始め、森林は再生した。

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ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社、2023年5月)

上流階級によって叩き潰された平等主義の社会

1350年から1500年までの革命の時代、上流階級は歴史家が『慢性的な非蓄積』と呼ぶ危険に見舞われた。

国民所得(全国民が得る所得の総額)がより均等に国民に分配されるようになるにつれて、上流階級が封建制のもとで享受していた富の蓄積は難しくなった。

ここが肝心なところだ。

わたしたちは、資本主義は封建制の崩壊から自然に出現したと考えがちだが、そのような移行は起きなかった。

資本主義は上流階級による富の蓄積、つまり大規模な投資のために、富を過剰に辞め込むことを必要とする。

しかし封建制が崩れた後に生まれた平等主義の社会は、自給自足、高賃金、草の根民主主義、資源の共同管理を軸とし、上流階級による富の蓄積を阻んだ。

上流階級の不満の核心はそこにあった。

この平等社会が、その後どのように発展していったかを、わたしたちは知らない。

なぜなら容赦なく潰されたからだ。

貴族、教会、中産階級の商人は団結し、農民の自給を終わらせ、賃金を引き下げようとした。

もっとも、そのために小作農を再び農奴にしたわけではない―そうすることは、不可能だとわかっていた。

その代わりに、ヨーロッパ全土で暴力的な立ち退き作戦を展開し、小作農の土地から追い出した。

農民が協同管理していたコモンズ、すなわち、牧草地、森林、川は柵で覆われ、上流階級に私有化された。

つまり、私有財産になったのだ。

このプロセスは囲い込み(エンクロージャー)と呼ばれる。

囲い込みによって、数千もの農村コミュニティが破壊された。

作物は荒らされ、焼かれ、村全体が破壊された。

農民は、生きるために欠かせない資源である土地、森、獲物、木材、水、魚に近づけなくなった。

もちろん、農民のコミュニティは戦わずに屈服したわけではない、しかし彼らの抵抗は成功しなかった。

ドイツでは1524年に農民戦争(大規模な農民の反乱)が始まったが、翌年には鎮圧され、農民の死者は10万人を超えた。

世界史上、最も多くの血が流れた虐殺の一つだ。

3世紀にわたってイギリスを始めとするヨーロッパの広域で囲い込みが行われ、数百万の人々が土地を追われ、国内避難民になった。

この時代の特徴である激変は、筆舌に尽くしがたい。

まさに人道上の大惨事だった。

歴史上初めて、平民は生存に欠かせない基本的資源へのアクセスを組織的に拒否された。

人びとは、家も食料も奪われ、見捨てられた。

囲い込みがもたらした状況を、ぎりぎりの生活と呼ぶのは美化がすぎる。

それははるかに過酷で、農奴の生活のほうがずっとましだった。

イングランドでは、囲い込みによって生まれた大勢の『貧民』や『浮浪者』を表す『貧困』(poverty)という言葉が普及した。

この時代以前には、書物に登場することはあっても、日常ではめったに使われなかった言葉だ。

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