懸念される法律が、2022年に成立した。それが国際卓越研究大学法だ。
国際卓越研究大学とは、日本の研究力を強化し「稼げる大学」、という触れ込みだ。
国際卓越研究大学には5から7大学ほどが認定される見込みで、政府が創設した10兆円規模の大学ファンドの運用益によって支援する。
運用は年3%を目標としており、単純に計算すれば最大で年間3000億円を分配することになる。
5大学に分配すれば、1大学あたり600億円だ。
これは運営費交付金で見ると、2021年度に全国2位の573億円が交付された京都大学を上回る規模になる。
2022年12月から公募が始まり、2023年度に最初の認定大学を決定し、実際の支援は2024年度から始まる予定だ。
東京工業大学と東京医科歯科大学は2022年10月、国際卓越研究大学の認定を目指すことを前提に、2024年度の統合に向けて基本合意書を締結した。
研究力の低下が指摘されている日本の大学にとって、国際卓越研究大学の認定は一見画期的な政策のように聞こえるかもしれない。
しかし、実際にはこれまでの大学のガバナンスを大きく変えて、国内トップレベルの大学を政財界の意のままに動かそうという意図が透けてみえる。
簡単に問題点を指摘しておきたい。
1点は認定された場合、大学の運営が政財界に握られることだ。
認定は文科省が行うが、計画の認可やモニタリングは内閣総理大臣と財務大臣、内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の意見を聞くことが求められる。
CSTIは議長が総理で、議員は官房長官ら閣僚6人と総理が指名した有識者7人、それに日本学術会議会長の14人で構成される。
有識者のうち3人は財界関係者だ。専門家ではないメンバーが巨額の助成を行う大学を決めることに、強い違和感を感じる。
2点目は、認定された大学はガバナンス体制を変更しなければならないことだ。
学外者を過半数とする「法人総合戦略会議(仮称)」が最高意思決定機関になる。
大学のあらゆる事項を政財界関係者が決めて、政治判断が優先されることになってしまう。
3点目は、「稼げる大学」として、年3%程度の事業規模の成長が求められることだ。
達成できない場合は認定を取り消すこともあり得るとされる。
しかし、3%の成長が求められる根拠は不明で、その一方で学費の上限の撤廃が盛り込まれている。
つまり、目標達成のために大学の授業料が大幅に値上げされる可能性も否定できない。
いったい誰が「稼げる」大学なのか、よくわからないのだ。
問題点は他にもあるが、これまでのガバナンス改革の経過と照らし合わせてみると、大学の運営を教授たちの手から離した上で、政治家によってグリップを握る一つの完成形が国際卓越研究大学なのかもしれない。
その先には、政治家や経済界の主導で大学の「私物化」や、大学での軍事研究が加速する可能性がある。
国際卓越研究大学をめぐる動き以外でも、国立大学では今後人文科学系学部の縮小・廃止や法人統合の加速が予想される。
しかし、そこには学問の自由や学生の教育のためといった視点は見えない。
国立大学は、誰のために存在しているのかわからなくなりつつある。
国立大学でガバナンスの問題が噴出するのと時を同じくして、私立大学にも独裁化や私物化が目立つ大学があらわれている。
大きな混乱が生じている大学を次章で見ていきたい。
「ルポ 大学崩壊」第1章 破壊される国公立大学 田中圭太郎 ちくま新書 83p
”法改正の本当の目的は、国による大学の間接支配にある” 京大大学院教授・駒込武
「問題の根底にあるのは、大学の運営が合議から専断へと変質していることです。同時に、総長とその取り巻きを通した、国の間接支配を強く感じます。国立大学は天領で、私立大学は藩だと例える方がいます。国立大学の学長や総長は天領に来るお代官様のようなものです。そして監事は、幕府が派遣したお代官様のお目付役と言えます。国が間接支配を通して、自由の気風を持つ学生の存在や大学の自治をなくしていきたいと考えているのでしょう」
「私物化の度合いは大学によって違っていて、東京大学や京都大学の場合はその芽が出てきているというレベルかもしれません。わかりやすい例は筑波大学です。学長やその取り巻きと文科省がもたれ合いの構造で、お互いの利益を得ている。つまり、学長は軍事研究を無理矢理受け入れることによって、文科省から名学長だと持ち上げられる。文科省の官僚は軍事研究にかたくなな国立大学の門戸を開かせたことで自分たちの手柄になります。
そういう点で、大学の教育研究が誰のためにあるのか、何のためにあるのかを置き去りにして、大学トップと政府、文科省のもたれ合いのなかで私物化が生まれているのではないでしょうか」
「ルポ 大学崩壊」第1章 破壊される国公立大学 田中圭太郎 ちくま新書 64p
本書を読んで、考えられないようなトラブルが相次いでいることに、あきれた読者も多いかもしれない。
しかし、いずれの問題も2022年までの10年たらずの間に、全国の大学で実際に起きたことだ。
第1章と第2章で扱った大学の多くは、文科省による「大学ガバナンス改革」を都合のいいように解釈して、トップの独裁化や私物化を進めた。
その行き過ぎた行為に対して文科省は、法律は「性善説」に立っている
としてとがめないばかりか、後押しをしているようにも見える。
さらには北海道大学のように、文科省の意向に刃向かった総長を、理由も明確にしないまま解任している例もある。
国立大学法人化や私立大学法改正、学校教育法の改正など、国の教育政策が問題の背景にあることを、個々の事案が浮き彫りにしているのではないだろうか。
第2章の札幌国際大学の問題の背景には、2008年に政府が発表した「留学生30万人計画」がある。
留学生を受け入れることで補助金が入ることから、補助金の確保自体が目的化し、不適切入試までする大学を生んだ。
2020年以降はコロナ禍で留学生も減少しているが、国は留学生を増やす方針を変えていない。
第3章のハラスメント問題では、退職強要研修を行った追手門学院の理事長は「国のガバナンス改革の先頭をいく」人物だった。
山形大学、東北大学、宮崎大学は国立大学であり、文科省の出向者が幹部にいるにもかかわらず、ハラスメント問題に向き合っていないばかりか、隠蔽、捏造までする実態がある。
学生を守るという視点も見当たらない。
第4章の非常勤講師らの雇用破壊を生んだ背景には、1996年から2000年にかけて実施された、博士号取得者を1万人増員する「ポスドク1万人計画」がある。
しかし、少子化が進み、経営の先行きに不安を抱えるなかで、国公立私立ともに大学の専任教員ポストは減少した。
その結果、非常勤講師だけで生計を立てなければならない研究者が多数生まれ、非常勤講師なしでは大学の授業も成り立たなくなっている。
にもかかわらず、非正規労働者を守る法律ができたことを逆手にとり、脱法的に非常勤講師や職員を大量解雇する動きが、「2018年問題」と「2023年問題」だ。
第5章では文科省の現役出向と天下りを概観した。
組織ぐるみの違法な天下りが大きな問題になったにもかかわらず、今後も改善される気配はなく、現役出向や天下りのポストを確保している。
大学に関する法改正や制度改正、さらにはその運用を見ると、文科省の職員やOBの働き先を確保するためなのではないかと勘繰ってしまう。
現役出校や天下りが、研究と教育を担う教員、若い研究者、そして高い学費を払って通っている学生のためになっていることもないだろう。
本書で扱った事案を含めて、政治家、文科省、大学執行部がもたれあい、それぞれの利権構造を構築しようとした場合に、ガバナンスの問題は起きていると言える。
税金を原資とする多額の補助金や、税制上の優遇措置を受けているにもかかわらず、私利私欲に走る行為に対しては、司直の手が入らずとも、厳しい審査や自浄作用が働く仕組みが必要ではないだろうか。
筆者はフリーランスのジャーナリストとして独立した2016年から大学の問題を取材し、ウェブメディアの「現代ビジネス」で執筆を始めた。
国公立大学の執行部の独裁化はまず地方から始まり、全国に広がっている。
まるで誰かが規模の小さな大学で試してから、中規模、大規模な大学で同じことをしようとしているようにも見える。
だからこそ、地方の大学で起きていることにも目を向ける必要があると考えた。
執行部の独裁化の背景には、文科省の現役出向職員や天下りに加えて、大学に対して経営コンサルタントを行っている団体や弁護士事務所なども存在する。
コンサルタント団体には、文科省OBが関わっていることも少なくない。
少子化が進むなかで、今後も大学の経営環境が厳しくなることが予想される。
日本私立学校振興・共済事業団が2022年9月に公表した私立大学志願者動向調査によると、私立大学全体の47・5%が定員割れしている。
今後も経営難からコンサルタントに頼る大学も増えるかもしれない。
しかし、コンサルタントが関わっている大学でトラブルが起きていることを知っておくべきだろう、、、
大学をめぐる政策についての課題は多数あるが、残念ながら国会では活発な議論が行われているとは言いがたい。問題意識を持っている議員も多いとは言えないのが実情だ。
この状況ではおそらく、日本の大学で研究と教育を担う教員と、最大のステークホルダーであるはずの学生を取り巻く環境は、今後もさらに厳しいものになるのではないか。
大学の関係者だけでなく、学生、受験生、保護者、また納税者として、多くの人に大学で起きている問題にもっと関心を持ってほしいと考えている。
おわりに(より抜粋) 「ルポ 大学崩壊」 田中圭太郎 ちくま新書 279p
文科省は2022年10月、大学設置基準等の一部を改正した。
重要な改正が含まれているにもかかわらず、そのプロセスは拙速と指摘して差し支えないものだった。
数ある改正点の中から、2点だけ言及したい。
1点目は、「教員組織」をなくし「事務職員」が削除され、代わって必要な教員及び事務職員等からなる「教育研究実施組織」を編成することだ。
2014年の学校教育法改正によって、教授会は学長の諮問機関に格下げされたが、この改正ではさらなる格下げどころか、教授会が必ずしも必要な組織ではなくなったかのように読める。
また、これまで教員が担ってきた教育と研究の分野に、事務職員が関わることを可能にするものでもある。
国立大学では理事や事務職員幹部に、文科省からの現役出向者や天下りが就いているのは前述の通りだ。
教員の役割を曖昧にすると同時に、執行部の意を受けた事務職員が大学の教育と研究に口出しすることを可能にする改正ではないか、とも受け取れる。
もう1点は、「専任教員」の規定を廃止し、新たに「基幹教員」制度を導入したことだ。
これまで「専任教員」は、原則として一大学限定で教育と研究を行うことになっていた。
これに対し「基幹教員」は、従来の専任教員に加えて、「教育課程の編成その他の学部の運営について責任を担う」ことを条件に、「1年につき8単位以上の授業科目を担当する」教員が含まれる。
つまり、「基幹教員」は複数の大学で勤務することを可能にするものだ。
改正の狙いは、民間の人材や専門性の高い基幹教員が、複数の大学で教育できることで、先進分野の学部や学科の新設をしやすくすること、と考えられるが、同時に大学教員の地位や身分が不安定になることも懸念される。
これほど大きな制度改正を含む内容が、国会などでの十分な議論もないまま決まってしまったのだ。
「ルポ 大学崩壊」第5章 大学に巣食う天下り 田中圭太郎 ちくま新書 270p
独裁、私物化、雇用破壊、ハラスメント、天下り……
教職員に罵声を浴びせて退職強要。寮に住む学生45人を提訴。突然の総長解任。パワハラ捏造。全国の大学で起きた信じ難い事件を取材し、大学崩壊の背景を探る。
目次
はじめに
第一章 破壊される国公立大学
1 崩れ落ちた京都大学の「自由」と「自治」
大学が学生四五人を訴える/突然打ち切られた老朽化対策交渉/吉田寮を否定していた「監査報告書」/京都大学の自由と自治を破壊するのは誰か/相次ぐ学生の処分と「タテカン訴訟」
2 北海道大学総長「理由なき解任」の謎
前代未聞の国立大学総長の解任/解任でなければ「文科省は納得しない」/パワハラの公益通報は存在しなかった/解任決議の旭川医科大学学長は辞任で幕引き/一日だけの総長復帰を打診
3 国立大学学長選考の闇
トップの「独裁化」が進む国立大学/学長任期撤廃で「独裁化」の筑波大学/学部長も教授も学長が決める大分大学/東京大学総長選考のブラックボックス/監事の権限強化と国の間接支配
4 市長と取り巻きが破壊する下関市立大学
始まりは下関市長の強引な縁故採用/市がルールを変更し大学を思い通りに/着任前に理事に就任、二年で学長に/司法の場では教員側勝訴/労働委員会は執行部の違法性指摘
5 強まる政府による大学支配
国立大学を狂わせた法人化/国立大学に対する「国家統制」/「稼げる大学」とは誰のための大学か
第二章 私物化される私立大学
1 「教育より収入」変質した山梨学院大学
まるでベンチャー企業の経営者/労基署からの勧告を無視して大量雇い止め/妻の会社に発注も金額は明かさず/給与支払い遅延の裏で理事長らの自宅に謎の会社/理事長の「暴走」は許されるのか
2 留学生の不適切入試の疑いで混乱する札幌国際大学
不適切入試を学長が告発、理事長は反論/記者会見に同席していた教授を懲戒解雇/玉虫色の結論と文科省OBの存在
3 「教授会に自治掲げる権利ない」追手門学院のガバナンス
理事長と学長・教授らの対立/不当配転無効訴訟の判決が出る直前に懲戒解雇/高裁の和解勧告では異例の「前文」/根底にあるのは大学や教授会の自治の否定
4 音楽の名門「上野学園大学」募集停止の?末
突然発表された翌年度からの学生募集停止/石橋家の経営をめぐる問題が噴出/前理事長は一旦職を辞するも要職に戻る/理事会が守ろうとしているものは
5 混迷する私立大学のガバナンス改革
相次いだ日本大学の不祥事/独裁と私物化を進めた前理事長の逮捕/迷走する国の「ガバナンス改革」の方針
第三章 ハラスメントが止まらない
1 「まるで拷問」追手門学院の退職強要研修
追手門学院などを元職員ら三人が提訴/光を遮断した部屋で怒鳴る講師/一人退職で一〇〇万円の成功報酬/学内や他大学でも経営トップ主導で「パワハラ研修」
2 パワハラに甘い山形大学の混乱
パワハラ教授の処分は「減給一万円」/キャンパス内で起きた火災とスタッフの死/センターで起きていた集団パワハラ/研究費三〇〇〇万円を不正使用/山形大学は「パワハラに該当しない」
3 院生の「八人に一人がハラスメント被害」の東北大学
相次ぐハラスメント/八人に一人の割合でハラスメントを経験/学生がハラスメントから守られていない
4 最高裁が「セクハラ捏造」を認定した宮崎大学
身に覚えがない理由で懲戒解雇される/「パワハラ・セクハラで解雇」と報道/亡くなった女子学生との関係を捏造/裁判資料で明らかになった驚きの事実/勝訴の決め手/ハラスメント「捏造」は検証されたのか
5 後を絶たない大学内でのハラスメント
あらゆる人間関係でハラスメントは起きる/機能しないハラスメント相談窓口/文科省も指針を持たず
第四章 大学は雇用破壊の最先端
1 「学部再編失敗で大量リストラ」奈良学園大学の暴挙
教員四〇人をリストラ/学部再編を申請も文科省から「警告」/大学や学部新設で二度にわたる虚偽申請/一審で解雇無効と一億円超の支払い命じる
2 視覚障害がある准教授を教員から外した岡山短大
障害者差別解消法を無視/退職勧奨ののち、強引な職務変更/職務変更命令は「不法行為」の判決に応じず/岡山労働局による調停も教職復帰は果たせず
3 「五年でクビ」早稲田大学、東京大学の二〇一八年問題
非常勤教職員の雇い止め「二〇一八年問題」/度重なる違法行為が発覚/「東大ルール」は五年でクビ/違法な就業規則作成と女性差別
4 「一〇年でクビ」研究者の二〇二三年問題
改正労働契約法の特例が審議不足のまま成立/改正労働契約法も特例も無視する東北大学/「限定正職員」に合格しても解雇される/全国に広がる可能性がある二〇二三年問題
5 大学で広がる教職員の「使い捨て」
労働法制を無視する大学執行部/不条理な解雇・雇い止めにどう対抗するか/非常勤教職員でも交渉する方法はある/個人で雇い止めに対抗するには
第五章 大学に巣食う天下り
1 文科省職員の「現役出向」と「天下り」
文科省の違法な天下りあっせんで大量処分/文科省から国立大学への「現役出向」/汚職事件も起きた文科省
2 文科省事務次官の「天下り」と大学
国家公務員法改正前の事務次官たち/事務次官経験者で唯一の国立大学学長/天下りあっせん問題で処分された元事務次官たち
3 天下りと出向者が教育を破壊する福岡教育大学
教員を大幅に減らして、役職者を増やす/学長や文科省関係者による「改革」の結果/「不当労働行為認定を不服」で提訴も最高裁で敗訴/最高裁で敗訴しても誰も責任とらず
4 天下りが支配する目白大学
天下りが次々と幹部に就任/給料を大幅に削減する「ライフプラン」/文科省からの指導と理事たちの闇
5 文科省にとっての大学とは
国立大学にも私立大学にも天下り/拙速な改正をした大学設置基準/大学は誰のためにあるのか
「ルポ-大学崩壊」 ちくま新書 田中圭太郎
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◆(別添PDFファイル)ルポ・大学崩壊、なぜ日本の最高学府は腐ったのか(田中
圭太郎『週刊現代 2023.4.11,18』)
https://gendai.media/articles/-/105878(関連)「大学が壊れてしまった」衝撃的な現実を伝えるルポルタージュ(RKB毎日
放送) – Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a0b30c860d790eb9f5a8084d52159ffc71f3db5(関連)「私物化」される国公立大学(岩波ブックレット) – 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b589286.html(関連)ルポ大学崩壊-田中圭太郎/著(ちくま新書)
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034436361&Act(関連)2020年の大学危機 コロナ危機が問うもの-光本滋/著(クロスカル
チャー出版)
https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034212156&Act