分けずに混ぜて、話し合う Dカフェnetが目指す共同体の未来 | 東京ホームタウンプロジェクト | いくつになっても、いきいきと暮らせるまちをつくる (metro.tokyo.jp)
NPO法人 Dカフェまちづくりネットワーク
代表 竹内 弘道さん
2019年5月28日2012年に代表の竹内弘道さん宅2階にてはじめた「目黒認知症家族会たけのこ」の次世代型モデル、認知症交流会「ラミヨ」を原点としてスタート。2014年に目黒区の補助事業となり、NPO法人として受託。以来、医療機関や介護事業者と連携し、目黒エリアに10カ所の多彩な認知症カフェ「Dカフェ」を展開。認知症に関わる人もそうでない人も、平等な立場で「人にやさしい、暮らしやすいまちづくりについてみなで語り合う場」となっている。
認知症の当事者はもちろん、認知症患者とは直接関わりのない人も、誰もが認知症を自分のこととして考え、理解して、共同体で支え合うようにならなければ、これからの高齢社会は乗り切れない、そんな想いから立ち上げられたのが、目黒区を拠点に活動するNPO法人Dカフェまちづくりネットワーク(以下Dカフェnet)です。
2012(平成24)年に第1号の認知症カフェ「Dカフェ・ラミヨ」をオープンさせて以来、区内の総合病院や介護事業者と連携して、現在は、10カ所もの認知症カフェを展開しています。認知症カフェに求められる大切なことは何か、Dカフェnetの代表、竹内弘道さんに伺いました。
Dは、「誰でもカフェ」のD
東急東横線祐天寺駅から徒歩数分、閑静な住宅街に溶け込む竹内さんのご自宅。この家の広々としたダイニングスペースを開放して、月に3回、休日に開かれているのが「Dカフェ・ラミヨ」です。
一般に認知症カフェというと、認知症の当事者や家族だけが利用する場所と思われがちですが、Dカフェnetが運営するDカフェはそれとはまったく異なります。
「Dには、5つの意味を込めています。1つ目は認知症のDementia(ディメンシア)。2つ目はDiversity(ダイバーシティ)=多様性、わかりやすく言えば『誰でもカフェ』のDです。認知症の当事者や家族はもちろん、医師や介護士など専門職の方々、認知症に関心がある一般市民、誰もが自分のこととして認知症に向き合える場所を目指しています。3つ目は、District(ディストリクト)=地域で支え合う。4つ目は、democracy(デモクラシー)。みんなが平等。最後はDiscuss。自由にディスカッションできる場です。いろんな人が休日に集まって、自由にコーヒーでも飲みながらまちの話でもなんでも気軽にできる場所にしようという構想です。
この場所ではじめたのは2012(平成24)年の7月です。もともと、ここにあった古い家で母と暮らしていて、母と一緒にこのようなカフェをやりたくて設計図もつくっていました。
母には晩年、アルツハイマー型の認知症が現れていました。最初は『認知症の介護なんて簡単だ』と思いましたが、すぐにその大変さを思い知らされます。夜になると幻視が現れるようで、二度も三度も起こされる日々が続き、ときには大切に想う母に声を荒げることもありました。
そんな苦しさや辛さを乗り越えられたのも、『目黒認知症家族会たけのこ』で同じような想いを持つ仲間に出会えたからです。母を連れて通い、多くの家族介護者の方々から体験談を聞いたり、目黒区の医療機関の医師や介護の専門家からアドバイスを受けたりしました。異なる立場の方々から話を聞くことで視野もひろがりましたが、その一方で、当事者だけの集まりだけでは限界があると感じたのです。
ちょうどその頃、国の認知症重点施策計画(通称オレンジプラン)がはじまろうとしていて、そのひとつとして、認知症カフェを全国に展開するという方針が打ち出されていました。医療機関と介護事業者と地域が連携して認知症の方々を支援することの必要性が迫っているのに、そうした連携の例がそれまでほとんどなかったのです。
それを満たすことを条件に、認知症カフェの補助事業をすすめていた東京都福祉保健局から、目黒区と共同で取り組んでみてはどうかと提案されたことも立ち上げのきっかけになりました。福祉保健局とは「たけのこ」時代から活動を通じてつながりがあり、私たちが、従来から目黒区内の医師や医療機関とつきあいながら認知症介護の問題に取り組んでいたことも理解され、お声がかかったのだと思います。
母は震災の年の夏、98歳の誕生日の少し前に亡くなってしまいましたが、もともとのプランのとおり家は建て替えて、このカフェスタイルの認知症の集まりをはじめました」
「ラミヨ」の名は、フランス語で仲間を意味する「ラミ」と、
竹内さんの母「伊代」さんの名前を合わせたもの
認知症本人の声を、ゆっくり聞いて受けとめる
取材に伺ったこの日、「ラミヨ」ではスタッフ数名が、会場の茶菓の準備など運営をサポートしていました。みなさんボランティアで、認知症家族の介護経験を豊富に持つ方々だそうですが、介護の専門職の方は特に見当たりません。
「認知症というと、一般的には、大声を出すので怖いとか、話が通じなくてイヤだとか、ネガティブな想像が働いてしまいがちです。
認知症患者は専門職でなければケアできないと考えて、認知症カフェにも介護の専門職を配置しなければ、という方向に行ってしまうことが少なくない。でも、そんなことは絶対にありません。
母の介護や、「たけのこ」での経験からわかってきたことですが、認知症の人の心の中には、“わたしはどうなってしまったのだろう”という「混乱」と「不安」があるのです。その不安が、不可解な行動に向かわせてしまう。(あまり使いたくない言葉ですが)徘徊したり、大声をあげたりというような行動にも、何かしら理由があるんです。大声を出すようなイヤ~な環境に置かれているということです。
相手の言葉を理解したり記憶したりする能力も低くなってきているから、『そんなことしちゃダメでしょ!』などとまくし立てられると、声だけは聞こえているものの、言われている内容はわからないし瞬時に忘れてしまうわけです。しかし、『何かうるさく言われたな』という感情は残る。そのうちに、『あなた、どなたでしたっけ?』という段階になってくると、自分の息子、娘という認識もなく、イヤなことばかり言う人だと思うようになる。
でも、すぐ忘れちゃうという特徴を持っているだけで、そこのところをやんわり支えてあげれば普通の人ですよ。同じ話を何回もするけれど、ああ、そういうことなのだなと受け止めて、そこだけ辛抱すればなんということはなく、専門職を配置する必要はないんです。
とはいえ、介護や医療の専門職もカフェには来ますよ。皆と一緒になり、仕事とは別に隣人同士として話をしにくるのです」
はじめて訪れた方も、スタッフに囲まれて会話を重ねるなかで
自然な笑顔が生まれる
分けずに混ぜて、家族の悩みも一緒にすくいあげる
「全国で認知症カフェが5000カ所ほどあるといわれていますが、おそらくそのほとんどはデイサービスの延長のように感じます。認知症の人がメニュー(歌とか体操)に従って時間を過ごすスタイルです。一方では、同じ悩みを持った家族が集まって、いろいろな情報交換をしたり、慰め合ったりするケアラーズ(家族介護者)カフェというものもあります。ただ、そこに認知症の本人はいないわけです。本人はデイサービスに行き、その間だけ家族は介護から解放されてお仲間とカフェで息抜きと、別々にケアを受けている。そして、夕方になれば戻って同じ家で再び顔を合わせる……これでは両者の行き詰まった関係性はほとんど改善しようがないわけです。
認知症の介護は、一人で抱え込んで悩むような種類のものではありませんから、デイサービスやケアラーズカフェなど外部機能を利用する方法もあります。けれども、家族の問題でもあるからこそ、本人と家族を分けないで、課題があるなら一緒の場で向き合うことが大事だと思います。
ただ、分けないといっても、Dカフェでは、本人と家族が一緒に来られたときには、隣同士で座らないように配慮しています。本人は本人の気に入った仲間と好きなことをしゃべり、家族もカフェの中で気の合う人や自分と同じような体験をして困っている人とじっくり話をする。こうすると、互いに相手のことは視界に入るので、本人も安心する、家族も『ああ、母は(家では見せない)あんな表情をするのだな』とか新しい発見があったりするわけです。
デイサービス(特に大規模デイ)では、一人ひとりのやりたいことを個別に聞いて対応するということは難しいですし、家族にしても、家でゆっくり本人の話を聞くことを意外としていない。家庭の中でそれをするのはなかなか厳しいものです。でも、ここで、他の人も加わって、本人が何をしたいと思っているのか、それを家族がどう受け止められずにいるのか、お互いにゆっくり話を聞いてみれば、ああ、そういうことなのかとわかるはずなんです。
そんなふうに、デイサービスや家での介護とはまた違うかたちで、少しずつ双方の関係性を良くしていく。同時に、それを取り囲む私たちの小さなコミュニティの力も上がっていく、その積み重ねです。それが私たちの考えているDカフェです」
「ラミヨ」をはじめとするDカフェに数年間一緒に通い続けた夫を亡くしたばかりの80代女性を気遣って訪れたご夫婦も、夫の母親の介護経験者。「突然降りかかってくるのが認知症の介護です。Dカフェでこれまで知らなかった母の一面を知り、また多くの認知症本人やご家族、スタッフと触れ合うことで気持ちが浄化される感じがしました」
サービスの提供ではなく、皆で一緒に育てる場所に
「自主性、自発性を育てていくというのも、私たちのDカフェのポイントです。サービスを提供するのではなく、皆で一緒に考え、この場を育てていこうというのが基本的な考え方です。あらかじめプログラムを用意して、こちらから『脳トレ体操をしましょう』とか提案することは、極力やらないようにしています。もちろん、『今度は歌の会をやりたい』という要望が出てきたら、言い出した本人たちが企画してやればいい。
ボランティアにしても、『認知症の方のお世話をしたいから協力します』という方はNGです。一緒にものを考え、企画して実行する。そういうセンスを持った方、一緒に過ごしたいという方を歓迎します。よく、コーヒーをいれることばかり気にする方がいるのですが、そういうことは認知症の方も自分でできる。『そろそろトイレどうですか?』といった介護職のようなお世話もいらない。もし間に合わずに漏れちゃってもそれはそれでいいんです。認知症の方にとっては、そうしたやさしい環境が病気の進行をゆっくりにさせるし、それが普通に暮らせることにもつながる。認知症の方と隣り合わせに一緒に過ごしながら、そういうことを学んで、実地に結びつける。さらに、家に帰っても同じようにできるよう、今度は家の中で話し合ったらいい。そういう考え方です」
運営スタッフもふくめ、参加する全員が平等に、茶菓代の300円
を払って入場するシステム。「300円のデモクラシー」と呼んでいる
10カ所に増え、選択肢も広がる
Dカフェnetは、現在、10カ所で展開されています。セラピストのワークショップを行っているところもあれば、作業療法士と“ものづくり”が楽しめるところもあります。名前も特徴もそれぞれ違います。東京医療センターの大会議室で開いている『Dカフェ東が丘』では、コーヒータイムやハンドマッサージのほか、薬の管理や訪問歯科、ユマニチュードなど認知症に関連するテーマで、ミニフォーラムも開かれています。
目黒区内を中心に10カ所で展開。必要があれば、地域の専門病院につなげるネットワークを構築している
「いろんな選択肢が必要だと思います。病院で医者と話をするのが面白いという人もいれば、近くのDカフェには行きたくないけど、少し離れたところなら行ってみたいという人もいます。『ラミヨ』1カ所だけではどうにもならないと思いました。
『月光原』は、老人複合施設です。デイサービスが休業となる日曜日を利用してやろうじゃないかということではじめました。『まちかど保健室』は、訪問看護ステーションのオフィスではじめました。『世田谷下馬』は、有料老人ホームの多目的室で、入居者と近隣の方々が一緒に集えるカフェを開きたいと提案して実現しました。
介護保険制度も健康保険制度もどんどん変わろうとしています。以前は、半ば病院で暮らしているような高齢者もいました。けれど、今は総合病院での入院期間は平均10日~2週間で、そのあとは在宅医療にシフトしてきています。そうした変化のなかで、総合病院も、認知症にたいしてこれから具体的にどうしていくべきか、在宅医療は具体的にどうあるべきかを模索していました。そこで、われわれ認知症の介護で苦労している一般市民と病院とがフィフティフィフティでお互いに力を出し合って一緒に考えましょうということになった。そういう医療と介護の連携を柱にしているのが『東が丘』(東京医療センター)、『さんま』(厚生中央病院)、『せらぴあ』(三宿病院)、『都立大学』(日扇会第一病院)です。
『でんどう』(田道ふれあい館)は、目黒川沿いにある高齢者センターです。ここだけ、公的施設を利用して開いています。『YORO』は、居酒屋チェーン店の「養老乃瀧西小山店」が会場です。介護とも医療とも何の関係もない場所なんですが(笑)、Dカフェの開催に快く協力してくれました」
自分の頭で考え、一緒に支え合いながら、共同体の未来をつくる
Dカフェnetは、どれも市民と共同で運営されています。全部合わせると、月に十数日、開催されていることになります。どの現場もDに込められた5つの思いは同じ。いろんな方が集まって、寄り添って、皆で知恵を出し合いながら、それぞれの課題に取り組んでいます。
これから竹内さんの目指すところはなんでしょう。
「誰もが老いていくわけですから、いまは大丈夫でも、だんだん介護される側になる可能性が高くなるし、家族もいつ介護する側になるかわかりません。認知症に(いまは)関係のない方も、いざそのときになってあたふたするのではなく、Dカフェに加わって、普段から隣り合わせで認知症の方や家族介護者と付き合っていれば、自分ごととして考えられるようになる。
団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に入っていく2025年問題もあります。ずっと今のような、なんでもケアマネージャーにお任せで、言われるままにデイサービスに行くというようなイメージの介護サービスでは人もお金も追い付かなくなるでしょう。
自分たちの訓練でもあります。自分ごとにして、デイサービスに頼らないようにするにはどうすればいいか自分の頭で考える。たとえば仲間をつくって趣味の会を開いて、それが生きがいになれば健康寿命を延ばせるかもしれない。団塊の世代以降はそういうことができる人たちだと思います。できれば趣味や遊びだけでなく、少しくらい認知症が始まっても、仲間と一緒にどこかにボランティアしに行こうという人も生まれてほしい。そんなふうに、自分たちで未来をつくれる人たちを少しずつ増やしていきたい。
ここには、認知症だけでなく、統合失調症の方や、50年間引きこもりの方も来ています。参加者は実に多彩です。障害のある方も、ない方も一緒です。障害といいますが、障害者本人ではなく、周りにいる自分たちでバリアを築いていることもあるでしょう。そういうことに自分たちで話し合いながら気づいたり、学んだり、できることを一緒に考えたり。日本人はそういう話し合いを家庭のなかでは、なかなかしないでしょう。そういう癖をつけていくようにしないと共同体はつくれません。
時間もかかることだと思いますが、Dカフェnetで、そういう考えをじわじわと広げていければと思っています」
広報誌「でぃめんしあ」は年に2回、1万部を発行
『認知症の人と家族のための「地元で暮らす」
ガイドブックQ&A』(監修:新里和弘、著:NPO法人Dカフェnet、発行:MCメディカ出版) Dカフェに集まる家族と、医療や介護の専門職たちによる「介護座談会」でまとめ上げた一冊