昨日の昼間。とある新宿区の繁華街にあるコンビニに寄って買い物をした。
店を出て、歩道に一歩踏み出したその瞬間のことだ。
「ドン!」
勢いよく自転車が私の右側から突っ込んできた。
私が右側に持っていたバックに衝撃が走り、思わず私は、左側に突き飛ばされた形となった。
「うわっ」
思わず衝撃で声が出てしまった。
そのまま吹き飛ばされ尻もちをついた私に対し、左上から「うわっじゃねえよ。邪魔なんだよ、死ね」という声が浴びせられた。
そう発言したのは、20歳前後(大学生くらいか?)とも思われる女性。スーツらしきものを着ていたので、どこかの会社員かもしれない。
お昼時の新宿の繁華街なので、周囲にはたくさん人がいた。
が、その女性は謝罪するどころか、「邪魔・死ね」という言葉を一方的に私に浴びせ、自転車の上から私を睨みつけ、そのまま通り過ぎて行った。
あまりに急なことで、自転車を避けようとかいう余裕もなく、コンビニから一歩出た瞬間、自転車に突き飛ばされ、尻もちを付いてしまった私。
立ち上がり、冷静になった時、その女性に対して怒りが湧いてきたが、思わず「生きずらい世の中だなぁ」と直感的に感じてしまった。
ただ普通にコンビニで買い物をして、店から一歩出れば、歩道で突然、自転車から突き飛ばされ、その挙句に加害者から「邪魔・死ね」とまで言われる私・・・・
その女性から見れば、私の存在など「迷惑」に過ぎず、「消えてもらいたい」「死んでほしい」だけなんだろう。
思わず、もう嫌だ。社会と関わらず、自宅で「ひきこもりたい」と、ふと、思ってしまった。
そんな矢先、スマホを見ると、以下のニュース
宮台真司さん切りつけ事件の容疑者とみられる41歳男、昨年末に死亡(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース
「宮台教授」襲撃事件、別宅でとっくに死亡していた41歳「ひきこもり男」の家庭環境(デイリー新潮) – Yahoo!ニュース
「被疑者死亡」なので、この事件に関しては「モヤモヤ」したものしか残らない・・・
そして、よくよくニュースを読むと、容疑者の男性は41歳・無職で「ひきこもり」であったようだ。
どんな思いでその被疑者は「ひきこもり」、どんな思いで「犯行」に及んだのだろう?
今となっては、分からない。
しかし、一つ言えるのは、その被疑者も「生きずらさ」を抱えていたことは間違いないだろう。
同時に、自らと主義主張が異なる面識のない人に殺意を抱き、計画的に殺害計画を練った末、自転車で10キロほど離れた大学の中まで押しかけ、待ち伏せしてオノで襲う。
人を簡単に殺そうとする程の狂気を持つ一方で、警察に捕まりそうになれば、あっさりと自ら命を絶ってしまう・・・
その二つのアンビバレントな感覚に、ただただ言葉が見つからない。。
死ぬのが怖い。だからこそ・・・
多くの人は、死を恐れる。死を恐れるから、死を遠ざけようとする。死を考えないようにする。
自分が死ぬことが怖いからこそ、人を殺すことも、同時に「ためらい」が生じる。
多くの人はそうだろう。
だが、宮台先生を襲ったこの被疑者は、いとも簡単に人を殺そうとし、警察に捕まりそうになれば、いとも簡単に自分を殺してしまうことが出来る。
自首して、自らの主義主張を社会に述べることもせずに・・・
つまり、被疑者にとっては「死」がブレーキになっていないのだ。
「生きること」も「死ぬこと」も、どうでもいい・・・
「生きること」も「死ぬこと」にも、大した意味を見いだせない・・・
だから、人の命も、自分の命も、どうでもいい・・・
だとしたら、この被疑者は、何のために生まれてきたんだろう?
そして、こんな被疑者を生み出してしまった、私たちの社会は、この事件をどう捉えればよいのだろう?
今はただ、この被疑者の闇の深さに、愕然としている。。