【津波で妹を亡くした映画監督】震災から14年…心に一区切り、次の一歩を

今、全国の映画館で上映されている話題の映画があります。

監督は14年前津波で妹を亡くした28歳の女性です。

【そのみ監督 大川小学校の震災遺構や東北のいろいろな遺構の面影とダブるところがありますよね】 神戸市内の「震災メモリアルパーク」。 ここを訪れたのは宮城県・石巻市出身の映画監督です。

【そのみ監督 一刻も早く形にしないと自分の人生が止まったままだなっていう、死んだように生きているみたいだなと思っていたので。あと震災直後の中学生の時の感覚をフィクションで残しておきたかったんですよ】 佐藤そのみさん、28歳。 14年前、石巻市で被災しました。

【(♪サイレン)】

地元の大川小学校に地震発生から51分後、海と川から津波が押し寄せ74人の児童が犠牲に。 そのみさんの妹、みずほさんもそのうちのひとりでした。 この日、神戸の映画館で佐藤さんが製作した2本の映画が上映されました。 自身の被災体験を元に描いた作品です。

【そのみ監督 震災後の目まぐるしい日常を生きながら、どこか震災前の元通りの大川で映画が撮れるんじゃないかって、絶対それは撮れるはずがないのに、そういう自信が心の中にずっと残っていて、故郷を撮るなら震災を避けずには描けないなと思ってフィクションとドキュメンタリーという形で2回、自分が納得いくまで向き合ったというのがこの2本になります】

「春をかさねて」は主人公に当時の思いを投影したフィクション 「あなたの瞳に話せたら」は佐藤さんを含む震災当時子どもだった3人が、亡くなった妹や友人に宛てた手紙を読むドキュメンタリーです。

【観客の拍手】 映画上映後、観客や劇場関係者らと「震災を語ること」について意見交換の場が設けられました。

【劇場関係者 自分が当事者じゃないから映画といえど私この映画の感想をどうやって佐藤さんに伝えていいかわからない】

【観客 現地に行っていろんなものを見たり、いろんな人から話を聞いて、そういうことを伝えていくのが大事なのではないかな】

【映像・映画理論研究者 この映画に寄り添おうと思っていたけど、実は逆だった、僕の記憶に寄り添ってくれているんやってすごく感じて、それはすごく皆さんに多いんじゃないかな】

【そのみ監督 私たちだけ、こちら側にいる人間が語るのではなくて皆さんに好きなように語って頂いて私たちもそっちに行けたら、溶けあっていけたらいいなと思っています】

【観客インタビュー これが震災だ、納得した、終わりではなくてここから、観客である私たちは何を語ろうかという気持ちにさせるいいモヤモヤがある作品だなと思って、それは結果として映画作品としての強度があると感じた】 宮城県石巻市にある震災遺構大川小学校。 正門前でマスコミの取材に応えていたのは佐藤敏郎さん、そのみ監督のお父さんです。 震災後、この場所で語り部を続けています。

【津波の高さですよね、ここは海から3.7キロ離れていますけれども、これ映せるかな、そこの煙突みたいな屋根があるじゃないですか、上の方は赤くてきれいですけど途中から黒く汚れていますよね。津波の跡です。だから(津波が)あそこまできたという高さも表していて、14年経っても消えない水が来たということですよ。ただの水が来たんじゃないですよね、ここはね。これもちょっとヒントを与えると高い水面がイメージできますよね。ガイドがいないとわからないことばかりではと思います。そういうところがいっぱいあるんです。 随分、能登の人とか外国の人からここで話を聞いたおかげで準備出来ていて助かりましたっていう声は聞こえますよ。パニックの中でスーパーマンみたいな行動をとることを人間はできないということ。これ(震災遺構)がよく物語っているなと思っていて。】

亡くなった子どもの親たちが中心になって4年前から始めたのが命日に竹灯籠にあかりを灯すイベントです。

【点灯 拍手】

竹灯籠は震災当時の全校児童の数と同じ108本。 ことしは遺族のひとりが大阪・関西万博の大屋根リングと同じ輪の配列にデザインしました。

【次女を亡くした柴桃隆洋さん もし南海トラフや巨大な災害が来た時にどうやって逃げるのか、本当に防災対策ができているのか、とても不安。天国にいる子どもたちにもお願いしてみんなで期間中何事もなく無事終わるように、そういった願いを込めた今回のデザインです】 東北から大阪へ思いを寄せて…

【ずっと胸がいっぱいだけどずっと安心して見ている自分もいてた】 佐藤さんの映画は今、大阪でも上映が続いています。

【そのみ監督 見ていて安心したと言われることが結構あって、こういうきつい題材なんだけど、癒されたと言ってくれる、それがやっぱりうれしいですね。そういう作品にできたらいいな、できるはずがないけどって思っていたので】 苦悩しながらの映画作りをそばで見ていた父は…

【子どもたちが、震災をどう見ていて、どんな10何年だったのかっていうのは、そちらからスポットを当てないとわからない。そのみは一番得意な、あるいは後悔しない方法でそれをやったんだろうな。何も無理しなくても今でなくてもいいんじゃないかと私も妻も思っていましたけれども、まあ、あいつのタイミングだったんだろうなと思います】 あの日から14年…抱えてきた思いを形にした佐藤さん。 映画を通じて、多くの人と心を通わせることで前に進めるようになったといいます。

【そのみ監督 (映画を)作った時は作らなければよかったと思っていましたけど、今上映をしていろんな方たちに受け止めてもらって、一個区切りができたというか、良かったと思って、過去の自分を手放して、安心して次に進めるんじゃないかなと思っています】

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