──グレーバー『負債論』を読む(続き)


著者によれば、中世は西ヨーロッパだけに存在したわけではない。また、中世は暗黒時代だったわけでもない。それは、むしろ「枢軸時代」のさまざまな恐怖から解き放たれた時代だった。

そうした中世の諸相を、著者はインド、中国、近西(イスラーム世界)、極西(キリスト教世界)にわたって横断的に論じようとする。近東ではなく近西、西欧ではなく極西と名づけるところに、著者独自の歴史観が感じとれる。

インドではマウリヤ朝やグプタ朝のあと、諸王国の分裂がはじまり、都市が衰退するとともに、それまでの鋳貨は姿を消していった。

とはいえ、寺院への寄進はつづき、寺院は集まった金(きん)を商業貸し付けに回すだけではなく、それらをみずからの祭壇や聖所、祭具などの材料に用いていた。だが、インドでは寺は次第に仏教ではなく、ヒンドゥー教へと変わっていく。

カースト制ができあがった。バラモン僧は武人カーストと手を組んで、古くからの村落を統制する。難民たちは地主カーストに仕え、地主は村を統制した。さまざまな職業がヒエラルキー的な秩序のうちに位置づけられようになる。

こうして、金属貨幣を使わなくても運営できる秩序が生まれた。インドでは労働者人口の大部分が、地主やそれ以外の債権者の負債懲役人として働いていた、と著者は記している。

紀元1000年ごろから、インドはイスラームの版図にはいっていく。だが、カースト制は存続する。カースト制というのは、下位が上位に永遠に借りがあるという思想の上に成りたっている。カーストの等級は永遠に固定されていた。その階層間を商品やサービスが移動するとしても、そこには交換の原理はまったく働いていない、、、

中国について、著者はこう述べている。

〈歴史のほとんどを通じて、中国は世界で最も高い生活水準を維持してきたのだ。イギリスでさえも、それに本当に追いついたのはおそらく1820年代、産業革命の時代を十分すぎてのことである。〉

これは現在、歴史家の共通の認識になりつつある、、、

旅行や輸送のために約束手形も考案されていた。宋時代には紙幣も発行されるようになる。金属貨幣論者は紙幣の発行を失敗とみなすけれども、紙幣の時代の中国が繁栄していたことを忘れてはならない、と著者は述べている。

次に著者は、西方において、この時代に勃興していたのは、イスラーム世界だったと指摘する。ビザンツ帝国と野蛮なヨーロッパの王国からなるキリスト教世界は、辺境の地と化していた。

イスラーム世界の学者たちは「アブラハムやモーゼにはじまる啓示宗教の伝統とギリシア哲学の諸カテゴリーを調和させるというおなじ課題に取り組んでいた」。

著者はさらにこう述べている。

〈中世のほとんどを通じ、イスラーム世界は西洋文明の中枢であっただけでない。それは西洋文明の拡張する前線であり、インドへの途をつけ、アフリカとヨーロッパに勢力を拡げ、インド洋を越えて宣教師を送り、多くの改宗者を獲得していったのだ。〉

イスラーム的統治の特徴は、法にたいしては厳格で、政府にたいしては懐疑的なことであった。法学者であるウラマーたちは、軍と権力を背景とする政府に、一定の距離を置いていた。

政府は戦争をおこし、領土を拡張し、多くの富を獲得した。そして、兵士に気前よく金のディナールや銀のディルハムからなる硬貨をばらまいた。

イスラーム世界には奴隷も流入し、かれらは兵士となっていった。イスラームの法典は、信者が奴隷になること、信者から高利をとることを禁止していた。だが、商業に否定的だったわけではない。

商人がまっとうな利潤をとること、銀行家が信用業務をおこなうことは、むしろ推奨されていた。

融資については、一方が資金を準備し、他方が企業を経営するという共同経営方式が好まれた。

投資者は利潤の一部を受け取った。その分配原理を左右したのは、社会の評判である。

こうした信頼のネットワークは、イスラームの伝播に大きな役割をはたし、やがてインド洋はイスラーム世界の湖となっていく。アデンからモルッカ諸島にいたる通商ルートが確立される。

マラッカは国際商業都市になった。

イスラーム社会において、遠方への冒険をおこなう商人は、いわば模範的な存在として尊敬されていた。そのことは、『千夜一夜物語』に出てくるシンドバッドの物語をみてもわかる。

「この商人崇拝には世界初の自由市場イデオロギーという以上にふさわしい名称がない」と、著者はいささか皮肉をまじえながら述べている。実際、著者によると、アダム・スミスはイスラームの文献から大きな影響を受けたという。

ちがいがあるとすれば、分業についても、スミスが個の利益を強調するのにたいして、イスラームの経済学者が相互扶助に力点をおいたことだ。

イスラームでは、市場の目的自体、コミュニズムの拡張ととらえられていた。

ガザーリーやトゥースィーの著書には見るべきものが多く含まれている。かれらは「貨幣が純粋に仮想的な形式において使用されることがごくあたりまえになった時代」に、「貨幣の特性──象徴、抽象的尺度、それ自体の特性をもたぬこと、恒常的な運動を維持することによってのみ保持される価値など」について論じた、と著者は高く評価している。

最後に論じられるのが「極西」のキリスト教世界である。

中世のヨーロッパでも、貨幣は仮想的領域に撤退していった、と著者は書いている。

「人びとはみな、ローマの通貨で、そしてのちにはカロリング王朝の『想像貨幣』によって経費の計算をつづけていた」通貨はひんぱんに徴収され、再鋳造されていたものの「ほとんどの日常的取引は、まったく現金に依拠することなく、割符や商品券、簿記、現物取引によっておこなわれていた」。

実際の金銀は教会に集まっていた。集権国家の消失とともに、市場は教会によって統制されることになる。

カッパドキアの聖バシレイオス(330頃?379)やミラノの聖アンブロシウス(340頃?397)は高利貸を非難する説教をおこなった。

「同胞に利子をつけて貸してはならない」というのが、かれらの主張である。

教会は利子を禁じていた。だが、富者が貧者にほどこしをおこない、貧者が富者に感謝を示すことには反対していない。

こうして「かつての負債懲役人は、次第に農奴あるいは家臣に変容していった」

だが、利子の禁止に例外もあった。ユダヤ人はキリスト教世界から排除されていたが、諸侯はその立場を利用した。ユダヤ人は商人や職工になれなかった。唯一認められたのが、金貸しという例外的な仕事である。

諸侯はユダヤ人を保護すると称しながら、戦費支払いのためにユダヤ人からカネをしぼりとった。なかにはユダヤ人を金貸しと軽侮し、民衆にユダヤ人虐殺をあおりたてる諸侯もいた。

著者はユダヤ人にたいする誤解を解くために、こう書いている。

〈金貸しについてユダヤ人の役割を過大にみてはならない。ほとんどのユダヤ人は、この商売とはなんの関係もなかった。金貸しを商売とする者も、なんらかの現物と引き換えに穀物や布地を貸すといった典型的な脇役だった。実際にはその多くはユダヤ人でさえなかったのだ。……1100年代には、ほとんどのユダヤ人金貸しは、すでに長らく北イタリアのロンバルディア人やフランスのカオール人にとってかわられていた。〉

中世盛期の商業革命によって、ヨーロッパでは商業的農業や都市手工業者ギルドが台頭し、それによってヨーロッパは他地域と同じ経済水準に到達した。高利は禁止されていたが、中世末期には商業や私有財産までも否定する教理さえ巻き起こった。

だが、そのいっぽうで、利子や利益を正当化する考え方も生まれてくる。

おそらく利益や利子を正当化したのは、政治情勢の混乱と戦争だ、と著者はみている。ヴェネツィアやジェノヴァを動かしていたのは、冒険商人とガレー船団である。

中世といえば、遍歴する騎士を思い浮かべるが、こうした騎士は「まさに略奪するものを求めて流浪する暴徒」以外のなにものでもなく、かれらこそ冒険商人の原型にほかならない、と著者はいう。

〈神秘の森アルビオンを放浪し、鬼や妖精や魔女や怪獣と遭遇する孤独な遍歴の騎士というイメージは、いったいなにに由来しているのか? いまやその答えは明白であろう。端的に旅する商人たち、つまり、なんの成果の保証もなく未開地や森林への孤独な冒険に出発した男たちじしんの、昇華されロマン化された像でしかない。〉

そして後世、リヒャルト・ワーグナーは、歌曲『パルジファル』のなかで、こうした遍歴する騎士たちが求めたのが、聖杯であったことを暗示した。その聖杯とは、けっきょくなんだったのだろう。それは、不可視で無形であるにもかかわらず無限の価値をもつマネーにほかならなかった。

「枢軸時代が唯物論的な時代だったなら、中世はなによりも超越性の時代であった」と、著者はいう。

この時代の特徴は宗教性である。とはいえ、中国やインド、イスラーム世界とちがって、キリスト教世界は極端に暴力的であり、また不寛容であった。

手形や割符、紙幣というように、中世の通貨は抽象的で仮想的な形態をとっていた。貨幣をシンボロン(シンボル)、すなわち象徴と呼んだのはアリストテレスである。シンボロンとはある種の暗号や護符をさしていた。

中世にいたって、シンボルは現実に対応する、知覚可能な具体的しるしを意味するようになった。そのシンボルは高次の存在からの「絶対的で、自由で、ヒエラルキー的な贈与」でなければならなかった。

中国においては、紙幣とは割府であり、それは皇帝、さらに究極的には天から与えられたものだった。「金や銀が神聖なる場に集中するにつれ、日常的な取引はどこでも、主要に信用を通しておこなわれるようになった」

それとともに、負債とモラリティに関する議論が発生する。ヨーロッパとインドではヒエラルキーへの回帰がおこった。中国では天の原理がはたらき、イスラーム世界では神の意志が顕現するとされた。

中国とイスラーム世界は、市場の繁栄した豊かな社会だったが、近代資本主義の特徴となる金融・産業システムを生むことはなかった。つまり、カネがカネを生むシステムはつくられなかったのだ。

これにたいし、法人、ないし会社をつくりだしたのはヨーロッパである。その原型は修道院、とりわけシトー修道会だった、と著者はいう。その修道院施設は、製粉所や鍛冶屋に囲まれ、羊毛をつむぎ、それを輸出する工場をもっていた。だが、それは資本主義にはほど遠い。

資本主義が生まれるのは、特許状を受けた冒険商人組合、すなわち会社(カンパニー)が、武装し、海外で冒険をはじめたときだ、と著者は述べている。

そこから西洋の主導する近代がはじまるのだ。

──グレーバー『負債論』を読む(9): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-12


インディオたちに負債を押しつけ、かれらを負債懲役人にしていくヨーロッパ人のトリックは次のようなものだった。

「重税を要求する、支払いできない者に利子付きで金を貸す、それから働いて金を返せと要求する」──植民地では、こうした慣行が蔓延していた。

教会が高利を禁止したのは、貨幣が人のモラルを破壊する力をもっていることを知っていたからだ。貨幣のもとでは、人間関係すら費用便益計算の問題に化してしまう。

アジアでは、どうだったのだろう。

東インド会社はまさしく「利潤以外のあらゆるモラルの命法を排除することを意図した形成物」だった、と著者はいう。

自分のカネならともかく、会社のカネをおろそかにできないというのが、資本の冷酷で貪欲な倫理
となった。

〈新たに台頭してきた資本主義的秩序のもとでは、貨幣の論理に自律性が与えられた。政治的・軍事的権力は、徐々にその貨幣の論理の周辺に再編成されるようになる。これこそが、国家と軍隊をそもそも背後に抱えていなければ決して存在しえぬ金融の論理だったのだ。〉

ここで、著者は最初高利を批判する猛烈なキャンペーンをくり広げて人気を博したルターが、1525年の農民暴動をへたあと、大きく転回をとげたことを紹介している。

ルターはいう。福音書が書きとめているのは理想であって、罪深い生き物である人間には法律が必要であり、高利はともかく、4、5パーセントの利率なら認められるべきだ、と。そして、人に借りたものは、返さなくてはならない、と。

まもなく、プロテスタントのすべての宗派は、理にかなった利率は罪深いものではないという共通認識をもつようになった。

こうして、「金銭の増殖はいまや不自然であるどころか期待されて当然のものとなった」。しかも異邦人にたいしてならば、高利も、いかなる搾取も許されるというお許しがでた。

そこからは、ドイツ・ルネサンス期の「狂王」カジミール(1481~1527)のような人物も登場してくることになる。かれはカネを集めるために、自分の領民に暴虐のかぎりを尽くした。

カジミールの狂気の正体を、著者は次のように解説する。

「その心理とは、じぶんのまわりに存在するものすべてを金銭に変えねばならないという狂わんばかりの焦燥であり、そしてそのようなことをせねばならない人間に貶められたことに対する憤怒と義憤である」

これは現代人の狂気とも通じるのかもしれない。

共同体は相互扶助から成りたっている。それは農村共同体でも、貴族社会共同体でもいえることである。信用が野蛮で計算づくのものになるのは、むしろ見知らぬ者どうしだからだろう。

16世紀の庶民は金や銀の硬貨を使っていたわけではなかった。ふだんの買い物は、近所の商店が発行していた鉛や木でできた代用貨幣で間に合ったのだ。

肉屋やパン屋、靴屋などからはツケで買うことができた。隣人どうしでは、たがいに貸し借りがあり、どこかの時点で、硬貨なり現物なりで、清算をすればよかった。現金でものを買うのは、通りすがりの旅人か見知らぬ人である。ただし、家賃と税金は現金で支払わねばならなかった。

市場はほんらい相互扶助の拡張の場、言いかえれば日常的コミュニズムの場であって、現金取引の場ではなかった、と著者はいう。

ホップズの時代になって、新しい哲学が生まれた。ホッブズが強調したのは「自己利益」という概念である。18世紀まで、人間生活のすべては自己利益によって説明できるという考え方は受け入れられなかった。

だが、それは次第に受け入れられるようになる。そして、人を動かしているのは感情ではなく、合理的な計算だというとらえ方が、根づくようになる。愛は利益へと置き換えられる。その利益とは、けっきょくのところ「増殖をやめることのない貨幣の追求」以外のなにものでもなかった、と著者はいう。

〈資本主義の起源の物語は、市場の非人格的力による伝統的共同体の段階的解体の物語ではないのである。それはむしろ、信用の経済がいかにして利益の経済に転換されたかという物語であり、非人格的──でしばしば報復的──な国家権力の侵入によってモラルのネットワークが変容させられてゆく物語なのだ。〉

資本主義は市場の外部、すなわち国家権力の側からやってくる。

伝統的な村は、できるだけ司法制度に訴えるのを避けるきらいがあった。それは、当時の法律がはなはだ苛酷だったからでもある。

だが、16世紀終わりに利子が合法化されるとともに、債権者が裁判所に訴える事例が一気に増えてくる。債務者監獄の恐怖が、だれをも苦しめるようになった。こうして硬貨がモラルの座に躍りでる。

アダム・スミスは、だれもが現金を使うユートピアをえがいた。だが、それはスミスの時代の現実ではなかった、と著者はいう。

スミスは「相互扶助のエートス」を切り捨てるとともに、「競争的で利己的な市場に形成に実際に貢献してきた暴力と赤裸々な復讐心」を無視している、と著者は批判している。

次に論じられるのが、紙幣についてである。

経済学者のあいだでは、貨幣とは金銀だという見解が一般的だ。だが、テューダー朝でもステュアート朝でも、民衆のあいだで用いられていたのは信用システムだった、と著者はいう。

それでは、紙幣はどこから生じたのだろうか。為替手形が裏書されて流通し、そこから紙幣が生じたと解釈できるのだろうか、と著者は問う。

そうではなかった。紙幣をつくったのも、やはり国家なのである。

「近代的金融手段の歴史そして紙幣の究極の歴史は、地方債発行とともにはじまった」と、著者はいう。ヴェネツィア政府は12世紀に市民に強制融資を課し、国債を発行した。この債券が、いわば紙幣として流通するようになった。

国債は、いわば税の支払いの前倒しだった。そして、この負債が現金化されるときに、通貨が流通するという逆の流れが生じたのだ。

16世紀には、政府のさまざまな債券が信用貨幣になっていた。著者はそこに「価格革命」の起源を求めている。

新世界から到着した地金は、セビーリャからそのままジェノヴァの銀行家の金庫に向かい、そこから東方に送られた。銀行家は地金を担保にして、皇帝に融資をおこなっていた。そして、政府はこの融資をもとに、証書を発行していた。その手形がインフレを引き起こす要因になったというわけである。

はじめて生粋の紙幣が発行されたのは、1694年にイングランド銀行が設立されたときである。その紙幣はもとはといえば、王による負債であった。ロンドンとエディンバラの商人は、フランスと戦争をする王に融資をおこない、その見返りとして銀行券を発行する会社設立の許可を求めた。

著者によれば、「その銀行券は、事実上王が彼らに負っている額面の約束手形だった」。

そのころのイギリスの通貨は、哲学者ジョン・ロックの提案──通貨を回収し、かつてとおなじ価値に再鋳造すること──によって大混乱し、イギリス社会は大不況に陥っていた。

全体的に状況が改善されるようになるのは、紙幣と小銭が広範に利用できるようになってからである。

そして、大混乱をへたあと、肉屋やパン屋などとの日常的取引も小銭でおこなわれるような世界が徐々に形成されていった。

バブルの歴史もはじまっている。オランダでの1637年のチューリップ・バブル、1690年代のロンドン市場のバブル、1720年代の南海泡沫事件、そしてジョン・ローの設立したフランス王立銀行の崩壊(ミシシッピ計画の失敗)へと、人びとがカネに振り回される事件があいついだ。

人が貨幣を信じなくなれば、紙幣はたちまち紙切れになってしまう。

ホッブズは「市場は存在できるとしたら、約束を守り他人の財産を尊重するよう強制する絶対主義国家の庇護のもとでのみである」と信じていた。だからといって、国家があれば、このシステムがいつまでももちこたえるとはかぎらない、と著者は考えている。というのも、国家こそ、金融の混乱をもたらす元凶になりうるからだ。

けっきょく資本主義とはなんだろうか。

資本主義といえば、ふつう人は産業革命以降、とりわけ19世紀以降の産業資本主義を思い浮かべるかもしれない。

だが、著者は、資本主義を形づける金融システムはすでにずっと前からできあがっていたという。

資本主義は継続的で終わりのない成長を必要とする。企業も国家も成長しなくてはならない。そのためには5パーセント程度の経済成長が必要だとだれもが思っている。

それは一種の強迫観念のようなものだ。

そうした観念が生まれたのは、19世紀はじめではなく、むしろ1700年ごろを起点とする近代資本主義の黎明期だった、と著者はみている。

そのときすでに信用と負債からなる巨大な金融装置が生まれていた。

その装置のもとで、イギリスの東インド会社は、軍事力と貿易を背景にインドを制圧し、中国に触手を伸ばした。だが、その前に、スペインとポルトガルがつくりあげた世界市場システムが、すでにアメリカを征服し、アフリカからアメリカに奴隷を送りこんでいたのだ。

その背景には、人を負債の罠にはめ、がんじがらめにしてしまう金融システムの構造があった。

「資本主義はいかなる時点においても『自由な労働』をめぐって組織されていたことなどなかった」と著者はいう。さらに、こうも述べている。

〈わたしたちの資本主義の起源についての支配的なイメージは、あいかわらず産業革命下の工場で苦役するイングランドの労働者であって、このイメージからシリコンバレーまで一直線の発展としてたどることができると考えられている。ところがここからは、無数の奴隷、農奴、苦力、負債懲役労働者は蒸発してしまっているのである。〉

いうまでもなく、著者が資本主義にいだいている第一のイメージは、無数の奴隷、農奴、苦力、負債懲役労働者をつくりだすシステムである。

自由な労働者は、ユートピア的な構想のもとで描かれた理想像でしかない。著者によれば、マルクスの労働者ですら、一種の理念だった。

「彼[マルクス]の時代のロンドンには、工場労働者よりも、靴磨き、娼婦、執事、兵士、行商人、煙突掃除夫、花売り娘、路上音楽家、服役囚、子守り、辻馬車の御者などの方がはるかに多かった」のだ。

著者は、資本主義が「政治的自由、科学技術の進歩、大衆的繁栄」をもたらしたという見方に同意しない。それらの進歩は、資本主義とは別次元の話であって、資本主義がなくても生じえたことだという。

それよりも、著者は、労使協調システムを構想した途端に、資本主義というシステムはがらがらと崩壊しはじめるという見通しをいだいている。

その予感は「黙示録」と名づけられている。

フランス革命は新しい思想をもたらしたとされる。社会は望ましい方向に変化し、社会の発展を政府が管理し、その政府の正当性を人民が認証するというのが、その考え方だった。

ところが、その思想を深めているさいちゅうに、フランスの哲人たちがほんとうに懸念していたのは、デフォルトと経済崩壊によって、文明が破壊されてしまうのではないかということだった、と著者は述べている。

〈実際に破局が起こるとして、それはどんなものになるのか。貨幣は無価値になるのだろうか? 軍事体制が権力を把握し、ヨーロッパ中の体制がおなじようにデフォルトを強制され、将棋倒しに果てしのない野蛮と暗黒と戦争へと大陸を沈めていくのか? 多くの人びとは、革命自体のはるか以前にテロルの見通しを立てていた。〉

そして、いまも資本主義はこうした時限爆弾の恐怖につきまとわれている、と著者は述べている。

──グレーバー『負債論』を読む(10): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-14


だからこそ、われわれは民衆のひとりとして、歴史的な行為者になることを求められている、と著者はいう。そのさいの新しい理念はどこにあるのだろうか。

コミュニズムや愛をいっても仕方ない。それらは別の新たなヒエラルキーを築くことになるだけだ。

負債のモラリティは、好むと好まざるにかかわらず、世界をカネになるかどうかで見る視点を植えつけている。現在の経済秩序は、次々と世界を征服することによってしか、負債を返せないというモラルをつくりだしてしまった。そこに秘められているのは、自己破壊衝動でしかない。

だとすれば、「いまは真の問いは、どうやって事態の進行に歯止めをかけ、人びとがより働かず、より生きる社会にむかうか、である」と、著者はいう。

最後に著者は、国際的債務と消費者債務に特赦を求める。金銭はけっして神聖なものではない。借金は返さなければならないという原理は、はれんちな嘘だ、という。すべてを帳消しにし、再出発を認めることこそが、「わたしたちの旅の最初の一歩なのだ」と述べている。

2011年出版の本書には、2014年の新版にさいし、みじかいあとがきが追加されている。

本書の目的のひとつは「未来への視座」を拡張することにあった、と著者は書いている。そのために歴史をさぐることが必要だった。そして300年前においてさえ、「経済」なるものは存在しなかったという。

「現実に生きていた大多数の人びとにとって、『経済的事象』とは、政治、法、家庭生活、宗教と呼び習わされている幅広い事象の一つの様相にすぎなかった」。それがいつのまにか、経済、経済の世の中になってしまった。

本書『負債論』は大きなインパクトを与えた。2011年のウォール街占拠運動を支える理論的根拠ともなった。学生の奨学金負債問題にたいしても、新たな運動を立ちあげるきっかけも与えた。

2014年のあとがきで、著者はこう述べている。

〈「経済」と呼ばれるなにかが存在するという思想は比較的新しいものである。まさに今日、生まれた子どもたちは、もはや「経済」がなく、それらの問題がまったく異なった言語で検討される日を経験するだろうか? そのような世界はどのようなものだろうか? わたしたちの立っている現在の地点からは、そのような世界を想像することさえむずかしい。だが、もしわたしたちが、一世代かそこらのあいだに人類全体を一掃してしまう危険のない世界を創造しようとするならば、まさにそのような規模でもろもろの事柄を想像し直しはじめねばならないだろう。〉

世界を想像し直すことを求めて、本書は終わる。難解だが、ラディカルな本だ。

あらっぽいまとめにすぎないが、とりあえず、全体の内容をかいつまんで紹介してみた。

──グレーバー『負債論』を読む(11): 海神日和
https://kimugoq.blog.ss-blog.jp/2017-02-16

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