「独裁者を倒した日枝久氏が独裁者になるまで」

「私自身、文藝春秋という会社を常務で自ら辞めました。

文春砲と呼ばれる会社の社長が社内の女性に隠し子を生ませ、それなのに会長になろうとしたので、それでは会社がもたないと諫言するためです。

会社を辞めたあと、フジテレビの幹部たちが私に送別会を開いてくれました。

そのとき彼らの口から出た言葉が耳から離れません。

『あなたには社長の可能性があったのに、その可能性を諦めて、現社長の会長昇格を潰したのは爽やかでした。残念ながら、私たちにはその勇気がなく、まだ会社にすがって生きています』と。

1990年初頭まで、フジテレビは鹿内家の三代続く絶対的な独裁でワンマン経営の弊害が目立つ状態になっていました。

その弊害を打破するため、日枝久氏(当時・フジテレビ社長・現・取締役相談役)と羽佐間重彰産経新聞社長を中心にクーデター計画が練られました。

その計画の一翼を担ったのが、私がいた週刊文春でした。

フジのクーデターグループは真剣に会社の将来と独裁の弊害を憂う集団であり、危険を冒して、社内の機密を我々に教え、文春のキャンペーンで三代目の独裁者鹿内宏明氏を追い詰めると、トドメのクーデターを起こす役員会前日には、都内の文春に近いホテルの一室にクーデター派の役員全員を集め、文春に、誰が集まっているかの報告まできていました。

そしてクーデターが終わった瞬間、そのやりとりのすべてが2日後に発売された文春に掲載されたのです。

デジタル化していない時代の週刊誌には、信じがたいスピードと正確さで、新聞やテレビをも圧倒しました。

記事を書いたのは島田真(現・文藝春秋取締役)でデスクは私というコンビは、実は、あのジャニーズ裁判と同じメンバーです。

このクーデターには、産経のOB司馬遼太郎氏も共感し、翌日に、産経新聞の幹部に送ってこられた『おめでとう。産経もよくなりますね』とお書きになったファクスを、私も見せていただきました。

私は独裁者をクーデターで倒した日枝久氏が独裁者になるまでを見てきました。

クーデター直後からのフジの20年間は黄金期といっていいほど、熱気にあふれていました。

2004-2010年まで7年連続で視聴率ナンバーワンでしたが、今は見る影もありません。

民放キー局5社の中で第4位がすっかり定位置になってしまっています。

なぜ、こんな状態になったのか。

それは日枝久社長がグループ全体の経営権を強め、鹿内家を上回る独裁体制を敷き、イエスマンばかりを登用するだけでなく、昭和な社風や伝統を守り続けようとしたことにあります。

自分がクーデターを起こしただけに、自分にもクーデターを起こしそうな人物は徹底的に警戒し、干してゆきました。

そして、社内の硬直化を招いたもうひとつの原因は、コネ入社が異様に多いことで、それも日枝氏の指示によるものだとボヤく人事担当者がいました。

たとえばジャニーズ事務所の副社長でメリー喜多川の長女、あの藤島ジュリー景子氏も役員秘書室に勤務していました。安倍首相の甥にあたる岸信夫元防衛大臣の次男・岸信千代、加藤勝信財務大臣の娘など、大物がズラリと並びます。

視聴率は落ち、社内の士気も落ちているのに、日枝体制が続いたのは、テレビ事業以外の収入が多く、経営基盤が強いため、給料が他局に比べても高かったことが大きいとされています。

フジ社員の平均年収は1621万円、視聴率が高い日本テレビの社員の平均年収は1296万円。これだけ差があれば、番組が面白くなくても、経営陣は安泰で、組合からのつきあげなどもありません。

フジテレビは国から放送の権利を与えられた数少ない企業であり、報道の中立や、経営の透明さを要求される企業です。

今度の一連の騒動を見ていて、社員全員、そのガバナンスのなさ、社員を守る危機管理意識のなさはよくわかったはずです。

他人事と考えず、国民の知る権利を満たす存在としてのフジテレビの社員であることを自覚して、セクハラやパワハラなどの改善点を訴え、第三者委員会に厳しい意見を伝えるべき義務があると私は考えます」

(元週刊文春編集長で、現在、大阪キリスト教短期大学客員教授の木俣正剛さん)

以上、全文無料の以下記事から抜粋引用。

https://shorturl.at/xyDDvフジのクーデターを背後から支援した元週刊文春編集長が証言「独裁者を倒した日枝久氏が独裁者になるまで」

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