布施祐仁・ジャーナリスト 「週刊金曜日」2024年12月13日
韓国「戒厳令」当夜、ソウル国会前の混乱状況 軍を圧倒した市民の底力
韓国では12月3日夜11時頃、国家非常事態を理由に自由や権利を制限する戒厳令が突如、尹錫悦大統領によって宣布された。
この時、私はソウルに滞在中で、偶然国会の近くにいた。戒厳令宣布の一報を受けて、すぐに国会に向かった。
11時半過ぎに国会前に到着すると、いつもは開いている正門が閉鎖されていた。
戒厳令は集会やデモなど一切の政治活動を禁止していたが、すでに正門前では100人近い市民が戒厳令の撤回を求めて抗議活動を始めていた。
まもなく、韓国軍のヘリ数機が不気味なプロペラ音を響かせながら低空で飛来し、国会の敷地内に侵入していった。
軍の出動を目の当たりにし、戒厳軍が市民の抗議行動を武力で鎮圧し、多くの死傷者が出た光州事件(1980年)のことが頭をよぎった。
その直後、国会正門前に2大の車両が入ってきた。
乗っていたのは、目出し帽で顔を隠した特殊部隊の隊員を思われる兵士たちだった。
車内をのぞくと、ライフル銃が見えた。
次の瞬間、驚くべきことが起きた。
軍の車両だと気づいた市民らが車に駆け寄り、2台ともあっという間に群衆に包囲されてしまったのだ。
その結果、兵士たちが降車することができず、車両も群衆の中で身動きがとれなくなってしまった。
群衆を車両から離すために警察が介入したが、市民らはそれもあっという間に押し返してしまった。
韓国市民の勇敢さとパワフルさに圧倒されるばかりだった。
気がつけば国会正門前は群衆で埋め尽くされていた。
日本のデモに比べて若者が多い印象だ。
最大野党「共に民主党」の李在明代表が全国民に対して「崩壊しつつある民主主義を守るため、国会に向かおう」とSNSで呼びかけたこともあり、危機感を抱いた市民が続々と国会前に駆けつけた。
兵士たちには戸惑いも
尹大統領の戒厳令宣布の目的は、4月の国会議員選挙で過半数の議席を獲得して尹政権への追及を強める野党の「撲滅」であった。
しかし、国会が過半数の賛成で戒厳令解除を決議した場合、大統領は従わなければならない。
だから尹大統領は国会に軍の特殊部隊を急派して決議を阻止しようとした。
私が目撃した韓国軍ヘリはその部隊を乗せたものだった。
国会内では、野党の議員秘書らが議場の入り口にバリケードを築いて軍の来襲に備えていた。
特殊部隊は国会内に侵入したが、バリケードを強行突破することはなかった。
当時、現場にいた野党議員の金峻亨氏は「兵士たちは、この任務は適切なのかと戸惑いながらやっているように見えた」と話す。
結局、4日午前1時過ぎ、国会で戒厳令解除を求める決議が可決された。
その瞬間、正門前の群衆からも大きな拍手と歓声が上がった。
この段階で戒厳令は事実上無効となったが、正式に閣議で解除が決定された5時ごろまで抗議行動が続けられた。
終盤は若者のスピーチが続いた。初々しいが、表情は誇りにあふれている。
「大統領が国を壊そうとし、私たち国民が国を守った」
という若い女性の言葉に、私も心の中で深くうなずいた。
国会で戒厳令の解除決議が可決した時、前出の金議員は感極まって泣きそうになったという。
「軍に撃たれるかもしれないという恐怖を感じていたが、国会外での国民の行動に勇気づられてがんばることができた。これは、国会の内と外でつながって勝ち取った歴史的勝利だ。私は韓国国民を誇りに思う」
国会前に駆けつけた市民も、大なり小なり戒厳軍による武力鎮圧を覚悟していたことだろう。
「自分が血と汗と涙をささげない民主主義は本物ではない」
これは軍事独裁政権下の民主化運動の指導者で後に大統領になった金大中氏が残した言葉だが、この夜、国会の内と外にあったものはまぎれもなく「本物の民主主義」であった。
布施祐仁・ジャーナリスト 「週刊金曜日」2024年12月13日