地方の医療機関に閉鎖、統廃合が相次ぐのは何よりもまず市場に丸投げして「需給関係」ですべてを済ませようとする政治の不作為のせいである。
だが、考えればわかるけれど、医療と教育の拠点は市場原理に委ねている限り、いずれすべて都市部に集まる。
当たり前である。
その方が金になるからである。
現に、韓国ではすでに人口の55・5%がソウル近郊に集中し、第二の都市釜山までが「消滅危険地域」に指定され、地方の医療と教育拠点は壊滅状態にある。
医療や教育の拠点が都市部に集中しているか、地方に離散しているかは実は市場の問題ではなく政治の問題である。
というのは資本主義は(「囲い込み」の時代からずっと)「過疎地」と「過密地」を作為的に創り出すことによって利益を最大化するシステムだからである。
市場に丸投げすれば、人口も資源も都市一極集中になる。
必ずなる。
だから、この市場の要請に人間の要請を対置するのが本来の政治の仕事なのである。
アメリカの地方都市には、行政機関と大学と総合病院の三つの機関が地域の雇用の過半を生み出しているところがある。
この三つの機関があれば、それなりの人口規模の街が形成され、それなりの規模の経済活動が生まれ、多様な生業(なりわい)が成り立ち、固有の地域文化が発信されることが知られているからである。
日本でも明治政府はそれに類した政策を政治主導で行なった。
なぜ現代日本の与党政治家たちは大日本帝国については、じめついた郷愁を語るくせに、明治政府が行なった最も開明的な政策については一顧だにしないのか。
「週刊金曜日」24年10月25日「内田樹コラム 医療崩壊と地方消滅の危機」より抜粋