映画「アイアンクロー」

映画『アイアンクロー』公式サイト (ironclaw.jp)

1980年初頭、プロレス界に歴史を刻んだ“鉄の爪”フォン・エリック家。

父フリッツ(ホルト・マッキャラニー)は元AWA世界ヘビー級王者。

そんな父親に育てられた息子の次男ケビン(ザック・エフロン)、三男デビッド(ハリス・ディキンソン)、四男ケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)、五男マイク(スタンリー・シモンズ)ら兄弟は、父の教えに従いレスラーとしてデビュー、“プロレス界の頂点”を目指す。

しかし、デビッドが日本でのプロレスツアー中に急死する。

さらにフォン・エリック家はここから悲劇に見舞われる。

すでに幼い頃に長男ジャックJr.を亡くしており、いつしか「呪われた一家」と呼ばれるようになったその真実と、ケビンの数奇な運命とは――


以下、ショーン・ダーキン監督からのメッセージ


フォン・エリック家は、スポーツ界のケネディ家と呼ばれてきた。

一家は想像を絶するほどの喪失を体験したが、それでも『アイアンクロー』は、悲しみや苦しみの物語ではない。

むしろ、悲しみの欠如と、人が自分の苦しみから目を逸らした時に、何が起こり得るかを描いている。

一家の物語はアメリカの歴史のごく小さな一部分に過ぎないが、長年アメリカの文化に害を及ぼしてきた極端に歪められた男らしさや、近年僕たちがやっと理解し始めた考え方を掘り起こしている。

ファミリードラマであり、ゴシックホラーでもあり、スポーツ映画でもある本作は、アメリカの中心部で展開する真のギリシャ悲劇ともいえる。ケビンが家族の掟を破って呪いを打ち砕き、より賢く、強く、平穏な心を持って苦境を脱する、復活の物語なのだ。

栄光、喪失、そしてアメリカ特有の男らしさの釣り合いを模索する映画の伝統を受け継ぎ、僕は、『レイジング・ブル』と『ディア・ハンター』からひらめきを得た。

『アイアンクロー』の中心には、家族、父子、兄弟がある。愛を発見し、ありのままの自分を受け入れること。

男とはこうあるべき、といった狭い考え方との闘い。

栄光への渇望と成功という幻想。

世代間の衝突と、希望にみちた新しい将来を見出すために求められる視点。

『アイアンクロー』は、これら全てをテーマとし、自己発見、友情、兄弟愛、アメリカ合衆国におけるプロレスの栄光の日々を描き出している。


以下、ネタバレ注意。

筆者が映画を見た感想です。


アイアンクロー=鉄の爪’を武器に、ジャイアント馬場やアントニオ猪木と死闘を演じたフリッツ・フォン・エリック。プロレスと息子たちの成功にしか興味のない父親。そして、プロレス一家に生まれた4兄弟の葛藤と苦悩・・・

その息子たち(次男・三男・四男・五男)も、父親と同じくプロレスラーとなるが・・・次々と悲劇が訪れる・・・

この映画の大事な視点は、「アイアンクロー」はあくまでもシンボルというか、象徴であって、アイアンクローという技を紹介する映画でもない。アイアンクローで一世を風靡したプロレスラーを父に持つ一家(特に息子たち)の物語である。

同時に、この映画のテーマは、「男たるもの、強くあらねばならない。絶対に泣いてはいけない。弱音なんか、吐いてはいけない」という呪縛からの解放である。

次男・ケビンが念願の世界王者になって、呪縛にやっと打ち勝ち、ハッピーエンドかと思ったら、あっさりプロレス界を引退。

ラストシーンで、ケビンは、喪った兄弟たちを想い、過去を邂逅し涙を流す。

その姿を見た我が子は言う。「男だって泣いていいんだよ」と。

遂に「男らしさ」の呪縛から解き放たれたケビン。そして現在、孫たちに囲まれた大家族の「写真」が映し出され、物語は幕を下ろす。

個人的には、「三途の川」のシーンが印象的でした。

あの世で再会した三兄弟(+長男である子ども)は、誰しも笑顔で、この世の苦しみから解放されたような柔和な表情。

「あの世はどんな所かわからない。でも、ここ(この現世、娑婆世界)よりはマシなはず」と言ってこの世を自ら去って行った兄弟たちの苦悩・・・その願いは、あの世で叶ったの? そこは痛みも苦しみもない世界?

映画を見て、連想した曲↓ 桑田佳祐 – 銀河の星屑

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