高橋和巳「わが解体」

「そして近くて遠い大学に対する市民の感情には本来アンビバレンツな要素が含まれており、敬意が侮蔑に転ずるためには、ほんの僅かな失態だけでも充分なのである。

そこで為される知的営為は確かに総体として社会的需要を満たしてはいるのだが、その役割は教授と学生の双方にあてはまる保護された地位、さらにはエリートによるエリートの再生産という構造の上に立つのであってみれば、愛憎共存する感情の比重に?倒の起こるのは容易である。

自民党の政治家たちが、大学がその許された自治の範囲内で処理能力を持たぬことを見極めるや、力でもって処理すべく中教審答申の法文化を急ぐ背後には、実はそれを心情的に支える広汎な層の苛立ちが存在するということを、大学関係者は知っていなければならない。

大学の自治や学問の自由というものが、身銭をきって購われたわけではない一つの特権であることの痛切な自覚を欠いた大学関係者の独善的な言動、つまりは社会を形成する各単位団体の自治と自由の確立運動との連繋志向をもたないひとりよがりな自己主張は、権力者の意向如何よりもさきに、庶民感情のアンビバレンツな構造に頭うちすることも充分考えられるのである。

一部の政治家がどう動くかが問題なのではない。

むしろ、じっと大学に目を注いでいる市民の目が、かつての過剰な敬意から、いまや侮蔑のそれに変りつつあることが問題であり、それをさせているのが誰かということが問題なのである」

高橋和巳「わが解体」

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