債務はしかし、際限なく膨張しつづけている。
人々は死んでも完済することがない。
そんな無限の債務が可能となった背景には、公債を証券化する金融資本主義の技術があった。
だがその仕組みがいま、至るところで危機に見舞われている。
ギリシャ危機、スペイン危機、そして日本の危機。危機が続く中で、それでも債務は膨らみ続け、人々はその返済のために働かされる。
そんな苦境に追いやられた「借金人間」の実像を、驚くべき哲学的洞察力で解明したのが本書である。
そもそも私たちは、好きで借金しているわけではない。
生まれたときから借金奴隷となり、しかも借金を「返済すべし」という罪悪感=経済倫理を植えつけられて苦しんでいる。
そうした奴隷根性からニーチェとともに解放されようというのが本書の主張なのであるが、問題の根本はどこにあるのだろう。
歴史上の大きな曲がり角は、1979年にあった。
当時の米国連邦準備制度理事会のポール・ボルカー議長は、高金利政策とともに、膨大な公債を発行する政策に出た。
以降の新自由主義は、福祉政策を見直す一方、国家の債務を増大させ、それを資源に各種証券を生み出し、個人の資産形成を促してきた。
つまり新自由主義とは、最初からして「大きな政府(借金国家)」を前提とした資産形成社会だった、というのがラッツァラートの理解である。
〈借金人間〉製造工場 “負債”の政治経済学 マウリツィオ・ラッツァラート著/杉村昌昭訳
~「借金奴隷」の実像を哲学的洞察力で解明 TOYOKEIZAI.NET
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アフリカを中心に、ゆたかさから取り残され、1 日 2 ドル未満で暮らさざるを得ない最貧困層がいまだに 20億人以上もいる。
このひとたちはじゅうぶんな栄養を摂ることがでず、劣悪な衛生状態で感染症が蔓延し、病気になってもまともな医療を受けられず、平均寿命は 50 歳をすこし超えた程度でしかない。
最貧国で苦しむひとびとに比べ、先進国に生まれた私たちはものすごく恵まれている。
だがそれでも、アメリカではラストベルト(錆びついた地域)に吹きだまる白人のブルーワーカーたちがドラッグ・アルコール・自殺で「絶望死」している。
そんな彼らの怒りがトランプという異形の大統領を生み出した原動力であり、ヨーロッパでは排外主義的な極右政党のゆたかな土壌になっている。
それに比べれば日本は政治的に安定しているものの、大卒(正社員)と非大卒(非正規)のあいだで社会が分断され、巨大な貧困層が生まれつつあることが社会学者によって報告されている。
私たちの世界が抱える問題はグローバルな格差と先進国内での格差の二重の拡大で、その背景にはますます高度化する知識社会がある。
端的にいうならば、仕事に必要とされる「知能」のハードルが上がった結果、貧困層へと脱落するひとたちが増えているのだ。
とはいえ、貧困を解決するためにお金をばら撒くことは、おうおうにして事態をさらに悪化させる。
開発経済学のスターだったジェフリー・サックスは、「いちどの大規模な援助によって貧困は終焉する」という「ビッグプッシュ」を唱えたが、アフリカの貧しい地域にある 10 の村(ミレニアム・ヴィレッジ)で 2006 年から行なわれた実験はすべて無残な失敗に終わった。
人道援助や慈善活動の「業界」は「善意さえあればすべて解決できる」というドグマに支配され、経済学の費用対効果や科学のランダム化対照実験を持ち込むことを徹底して拒絶してきた。
こうして莫大な資金がドブに捨てられたあげく、ようやく「あるプロジェクトに資金を投じるのなら、それによってどのような効果があるかを実証的に評価しなければならない」という当たり前のことが(一部で)受け入れられるようになってきた。