パレスチナへの視座 屈従強いる状況変えるには

〈社説〉パレスチナへの視座 屈従強いる状況変えるには
2023/10/22 信濃毎日新聞

 1948年のイスラエル建国から75年を経て、ナクバ(大災厄)が再びパレスチナの人々を襲うのを止めるすべはないのか。イスラエル軍がガザ地区に地上侵攻する構えを固めている。

 ガザに暮らすおよそ230万人の大半が、イスラエル建国に伴って故郷を追われた難民とその子孫だ。いまだ帰還はかなわず、イスラエルの占領の下で暴力にさらされ続ける不条理に言葉を失う。

 イスラム組織ハマスによる民間人の殺害や連行は、戦争犯罪として厳しく責任を問われるべき行為である。

だからといって、イスラエルによる占領や抑圧が正当化されるわけではない。

 パレスチナの人々は、圧倒的な力で抵抗を押さえ込まれ、屈辱と貧困の中に置き去りにされてきた。その絶望的な状況が、急進化した武装闘争の背後にある。

 問題の根幹に目を向けずに、武力による報復に突き進めば、人々をさらに苦しい状況に追いやり、憎しみと怒りをかき立てるばかりだ。イスラエルの安全を確保することにもつながらない。

■既成事実の積み上げ

ガザとヨルダン川西岸の占領は1967年以来、半世紀余に及ぶ。ガザは2007年から境界を封鎖され、人の出入りや物資の搬入が厳しく制限された上、大規模な爆撃や侵攻が繰り返されてきた。産業や生活の基盤が破壊され、住民は困窮にあえぐ。

 国連機関などの援助で、飢えることは免れても、働いて生計を立てることさえ難しい。若者の自殺や薬物への依存も深刻だ。占領や封鎖はそれ自体が人間と社会をむしばむ構造的な暴力である。

 西岸では入植地(ユダヤ人居住区)が虫食い状に拡大し、パレスチナの人々の家や土地が奪われてきた。入植地を囲う分離壁や、ユダヤ人専用の道路、至る所に設けられた検問所によって、生活圏はずたずたに切り裂かれている。

 入植者が集団でパレスチナの村を襲う事件も相次ぐ。家を壊し、車や果樹に火を放ち、村人への暴力が殺害に至ることさえある。それでも、犯人が特定できないなどとして捜査は打ち切られ、罪に問われることはまずない。

 土地や水源を強奪する入植地の建設をはじめ、占領地の人々の権利と尊厳を顧みない行為は、戦時国際法で禁じられている。

国際人権団体や国連人権理事会の特別報告者は、パレスチナの人々を隔離して従属させるアパルトヘイト体制を批判してきた。

 にもかかわらず、イスラエルが責任を追及されることはなく、占領は半ば永続化している。既成事実の積み上げを黙認してきた国際社会の責任は重い。

■建国時の民族浄化

 パレスチナをめぐる問題は、宗教や民族の異なる人々が何世紀も前からこの地で争いを続けてきたということではない。ユダヤ人による建国運動が欧州で興ったのは19世紀末だ。

 帝政ロシア下で、ポグロムと呼ばれる苛烈な迫害が相次いだことが背景にある。20世紀に入って、中東での権益拡大をもくろむ英国の画策や、ナチス・ドイツによるユダヤ人の国外追放政策が、移住の動きを加速させた。

 土地なき民に、民なき土地を―。建国運動が掲げたスローガンと裏腹に、パレスチナは民なき土地ではなかった。建国の前後、住民を虐殺し、追い払う民族浄化が組織的に行われたことを、イスラエル出身の歴史家イラン・パペ氏は著書で実証している。

 ユダヤ人は欧州で長く差別と迫害を受け、その果てに起きたナチスによるホロコースト(大虐殺)では600万人が犠牲になっている。そのユダヤ人が新たな迫害の当事者となった歴史を、イスラエルは直視する必要がある。

■現実味帯びる併合

占領地の人々が石を手にイスラエル兵に立ち向かったインティファーダ(民衆蜂起)を経て、1993年のオスロ合意は、ガザと西岸の自治に道を開いた。しかし、核心の問題である入植地の扱いや難民の帰還は棚上げされた。

 合意後、入植地の建設はむしろ加速し、93年に28万人ほどだった西岸への入植者は、2000年に40万人、現在は70万人に増えている。自治の土台は崩れ、イスラエルへの併合が現実味を帯びる。

 既成事実が積み重なり、解決は容易でない。だとしても、沈黙し、目を背けてしまえば、パレスチナの人々が屈従を強いられている状況を変えられない。

 ロシアによるウクライナの侵略や占領を非難する欧米各国が、ガザと西岸の占領を続けるイスラエルを支持するのは二重基準だ。パレスチナ問題に深く関わる歴史の当事者として、自らの姿勢を省みなければならない。

 国際社会は一刻も早く戦闘を止めるとともに、根幹にある占領や帰還の問題の解決に向けて行動を起こす必要がある。各国政府や国連を動かす国際世論を強めたい。同じ時代を生きる誰もが、その責任の一端を負っている。

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