死亡の約3%、年に1万人超が安楽死するカナダの専門医「最期の希望をかなえること」(GLOBE+) – Yahoo!ニュース
カナダで安楽死が急速に拡大している。
医師による死亡幇助(Medical Assistance in Dying=MAiD)の制度が2016年にでき、2022年は1万人超がこれによって亡くなった。
制度にはどのような意義があり、どのような人たちが利用しているのか。
産婦人科医から死亡幇助の「専門医」に転身し、「This is Assisted Dying(これが死亡幇助だ)」の著作もある、ステファニー・グリーン医師に聞いた。
死は「敵」ではなく、人生の一部
――どのような理由で、死亡幇助に携わるようになったのですか。
私は人生の始まりと終わりの双方について関心が高く、当初は産婦人科医として働きました。
やりがいのある仕事でしたが、カナダで死亡幇助が合法的になったことに伴って分野を変え、現在はほぼ死亡幇助に専従しています。
――なぜ、分野を変えたのですか。
私は医療、倫理、法律の交わりに関心があり、妊婦や新生児のケアを通じて実現していました。一方、死亡幇助もこれらの分野の交わりにあります。カナダで現実的となるなか、誰が担うのか、非常に関心がありました。また、産婦人科は24時間で対応しなければならない、体力的に厳しい仕事です。次第に年齢を重ねるなか、永続的に続けられないという思いがありました。
――著作では、「死」の認識が変化しているということにも触れています。
百年前、多くの人は家やコミュニティーの中で亡くなりました。死は身近であり、どのように対応すべき事象か、知られていました。現代医学は無数の命を救い、進歩をもたらしています。すばらしいことですが、同時に死を家やコミュニティーから取り除き、病院に持ち込んでいます。
現代医学にとって、死は「敵」です。戦いがあり、どちらが勝つのかという構図です。それに伴い、私たちは死についての知識がなくなり、怖い存在となっています。多くの人は現在、死が何らかの「失敗」ととらえているのではないでしょうか。しかし、実際には必ずやってくる、人生の一部なのです。
――死亡幇助は、患者にとってどのような意味があるのですか。
カナダで死亡幇助の対象となるためには、いくつかの条件を満たす必要があります。重大な病気があり、治療が不可能で、不可逆的に状態が劣化しており、耐えられない苦しみがある、などが含まれています。 私が行っているのは、人生の終わりにおいて、患者の選択肢を探ることを手伝うことです。
何が可能で、何が目標で、何が最も大切なのか。病気と全力で戦いたいのか? 落ち着きと緩和ケアを目指したいのか? 苦しみがあまりにひどく、この先は衰えしかないので、死亡幇助を選びたいのか? 選択肢を全て探り、私は最期の希望をかなえているのです。
――本当に人生を終わらせたいのか、悩む人はどれほどいるのですか。
誰しもが悩み、恐れるのだと思います。患者が私に死亡幇助を依頼する時、まずは何を求めているのかを探ることがとても大切です。情報が欲しいのか、本当に死を求めているのか、あるいは人生の終わりまでよい暮らしができるよう、支援がほしいのか。 ただ、本当に死を求めている人の多くは、それほど不安をみせません。こうした患者はかなり長い時間にわたって考えており、私に会うころには決意が固いことが多いです。死が最良の選択肢だと判断した後、揺らぐことはめったにありません。
――死亡する選択肢があると伝えると、患者はどのように受け止めますか。
死亡幇助の条件を満たしていると伝えると、患者には変化が起きます。肩の力が抜け、少しうなずく様子を見せ、笑顔のような表情を見せることが多いです。そして、ほぼ常に感謝を伝えられます。 私は、死の選択肢を示すことができるだけで、治癒的効果があると信じています。この段階で私の仕事は8割終わっています。患者は自分に決定権があり、力を与えられたと感じ、そのことだけで苦しみが和らぎます。どのように亡くなるのかということについて悩まなくなり、残された時間をどのように生きるのか考えるようになります。驚くべき現象です。
「安楽死」の選択、死亡の約5%に至る地域も
――患者は、どのような人が多いのですか。
私が診察する患者の70~75%は、がんを患っています。そして、95%は死が予見できる人たちです。これは末期がんであったり、余命が6カ月だったりするという意味ではありません。死に向けた道筋をたどっており、多くの場合は何らかの症状が現れているということです。
――2022年はカナダ全体の死亡の約3%が死亡幇助で、ブリティッシュコロンビア州では約5%でした。なぜ、ここまで受け入れられているのですか。
死亡幇助が認められている他の国や地域と比べる必要があります。米国のオレゴン州やワシントン州などでは、患者が余命6カ月と診断される必要があります。また、死亡のための薬物は医師の投与ではなく、患者が自ら服用することが求められています。これらの州では、死亡の約1%が幇助されており、カナダよりずっと低いです。
一方、オランダやベルギーでは医師らが薬物を投与することが認められており、余命6カ月という条件もないことでカナダと似ています。そして、これらの国は制度を導入してから20年が経ち、死亡の約5%が幇助によるものです。それから考えると、カナダの3%はだいたい予想通りではないかと思います。
――カナダでは、死亡幇助の制度が個人の権利から生まれているのも特徴です。
有権者の投票や政府の発案でできた制度ではなく、最高裁判所が憲法に基づいて判断したことから生まれた制度です。患者がすべての中心にあり、患者の権利として制度設計されています。これは他の地域と異なることです」
――認知症の患者はどのように判断をしているのですか。
カナダでは認知症の人が死亡幇助の対象外とされたことはありません。一方で、対象となるためには全ての条件を満たす必要はあります。その中には不可逆的に劣化していることと、自ら判断できることの双方があります。認知症の患者が、両条件を同時に満たすことが可能でしょうか。 多くの人は、自分で判断する能力を失った場合、病状が悪化しているということに同意すると思います。しかし、悪化した場合は自らの病気についての判断ができなくなり、死亡幇助を求めなくなるのです。
患者が家族も分からなくなり、自らトイレにも行けない状態でありながら、健康に生活している場合、死亡を幇助することができますか? それは私にとっても難しい質問です。 カナダの世論で支持されているのは、認知症になった場合に備え、『事前請求』を認めることです。あらかじめ指定した条件を満たした場合、死亡幇助の対象になるという意味です。それでも、誰がその条件を判断するのか、問題は残ります。認知症の患者はある日突然家族が分からなくなるのではなく、病気が徐々に進行します。極めて難しい問題です。
死亡幇助の「強要」は起きていない
――死亡幇助に関わることで、ご自身にはどのような変化がありましたか。
自分の人生や他人との関係について、考えることを余儀なくされます。患者の自宅に行くと、「私であればこの状況でどのように判断し、誰に立ち会ってほしいのか。自分についてどのように話してほしいのかなどと考えざるを得ません。 全ての患者は独特であり、状況も異なります。だからこそ、死亡幇助を終えて帰る時には考えを巡らせます。自分の人生で大切な人と連絡を取っているのか、そのことを伝えているのか、自分にとって大切なことに注意を払っているのか。
――カナダの死亡幇助が拡大しすぎているという批判もあります。
私たちの法律が比較的進歩的であることは間違いありません。特に米国の法律と比べるとそうです。ただ、その理由の一つは他の国や地域で何がうまく行っているのかについて学び、採り入れていることです。
――信仰や信念の理由から反対する人もいます。
それはもちろん認めるべきです。しかし、同時に患者の権利も考えなければなりません。この制度にアクセスするのは、患者の権利なのです。一方で、関わりたくないという人の意向も尊重する必要があります。 実際、今はそのようになっていると思います。死亡幇助を誰かに強要するということは起きていません。信仰や倫理の理由で制度に反対するのであれば、私はそれを尊重します。
ただ、それを他人に強要することもしないでほしいのです。 カナダで死亡幇助に関わっている人たちは、慎重に配慮をしながら、法律を順守しています。制度ができてから7年経ち、4万人超の人が死亡幇助で亡くなっていますが、不適切な行為についての訴追は1件もありません。これは誇るべきことだと思っています。