35歳以上の「仕事がデキる人」を襲う不安の正体、なぜベテランほど“新たな挑戦”が怖くなるのか(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース
私の会社が海外やオンラインで実施している研修は「修羅場研修」や「武者修行研修」などと呼ばれることがあります。
決して、そこまでの修羅場でも武者修行でもないレベルなのですが、顧客企業の人たちにとっては「キツい」チャレンジングな研修だからということなのでしょう。
■受講生の不安は年齢ごとに変わる
例えば以前、大手自動車部品メーカーの20代社員約60人をベトナムに連れて行き、5日間の研修を実施したことがあります。ある1日は、次のような課題を出しました。
「ベトナム人は日常生活で、どのような移動手段を使用しているのか。年代別、男女別にトータル75人以上の生の声をベースにして、日本との比較を考察しながら実態調査して報告せよ!」
ちなみに、このミッションは3人1チームで取り組んだので、平均で1人あたり25人以上のベトナム人から話を聞かなければいけません。制限時間は約5時間です。
結果的にできないチームもありますが、できるチームもあります。振り返りの時間には「なぜ、できたか?」「なぜ、できなかったか?」を考えた上で、翌日のミッションにはどのように取り組むかを考えるのです。
いかがですか? 「修羅場」や「武者修行」というほどでもないですよね?
しかし実際、ある大手企業の人事担当者からは「この研修をうちの社員に受けさせたら、死んじゃう人が出ますよ」と冗談のように言われたこともあり、最近は自分たちでも海外修羅場研修という呼び方をするようになりました。
海外研修の前には国内で事前研修を行いますが、受講生たちに「今の率直な気持ち」を聞くと、20~30代前半は「不安も大きいが、どんな経験ができるのか楽しみ」と話します。一方、30代後半から50代は「不安しかありません」と話す傾向があります。
■実際は年上のほうが高い成果を上げる
社歴が長くなり、専門性も高まり、仕事でも成果を出しているからこそ、彼らは研修の受講生として選ばれたのです。それなのになぜ、年下の人たちよりも不安を口にするのでしょうか?
彼らだって若いときには失敗もたくさんしたでしょうし、さまざまな試行錯誤を繰り返してきたと思います。
ある程度の年になって、あまり失敗をすることなく成果を出せるようになった自分が、新しいチャレンジをしてうまくできないのを自分でも見たくないからでしょうし、人にも見られたくないから不安に襲われるのでしょう。
一言で斬ってしまうと、そんなのは「ちゃちなプライド」です。
失敗する自分を見たくない人たちや、失敗を人に見られたくない人たちはチャレンジを嫌がります。私の研修の受講生たちを見ていると、年上になればなるほどその傾向は強いのです。
でも面白いことに、年上の受講生たちに実際に取り組ませてみると、年下の受講生たちと比べて高い成果を上げます。そりゃそうですよね。だって、仕事ができる人たちなんですから!
ベテランの彼らは「最初は不安だったけど、やったらできましたね!」なんて言い、自信をつけます。次に与えられた課題にもしっかりと取り組み、さらに高い成果を出したりします。普段から失敗を恐れずにチャレンジをし続けたら、もっと高みにいけるはずなのです。
私は年齢が上がれば上がるほど、チャレンジしたらうまくいく可能性が高いと思っています。すでに何らかの専門性(スキルや知識)があり、経験があり、人脈もあるのですから。それなのに今までと同じようなことだけやってるなんてもったいない。
いろんな武器があるのだから、失敗を恐れずにチャレンジし続けたら、うまくいく可能性は高いでしょう。その前に必要なことは「ちゃちなプライド」を捨てることなのです。
■失敗を繰り返すことが大事
基本的にチャレンジは、失敗する可能性のほうが高くなります。失敗を繰り返しながら改善・改良を続けていけば、徐々に成功の確率は高くなっていきます。
数々の名言を残している天才物理学者のアインシュタインも、こう言っています。
「Anyone who has never made a mistake has never tried anything new. (一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である)」
新しいチャレンジをするとき、気を付けなければならないのは「うまいやり方」を知ろうとしてしまうこと。
書店に行けば、そんなハウツー本がたくさん置いてあります。起業のやり方や新規事業の立ち上げ方などさまざまですが、大切なのはそこではありません。
アントレプレナーシップ(起業家精神)とは言葉の通り「精神」です。
スポーツマンシップ(スポーツマン精神)やリーダーシップ(リーダーのマインドセット)も同じ。大切なのは「やり方」ではなく、マインドセット。スキルや知識ではなく、どう向き合うかです。
私がお勧めしたいのは、実際に向き合うときキーワードの一つに「狂う」を入れてみることです。
一人でも仲間とでも、ブレストする際に「それは全然狂ってないんじゃないの?」と問いかけてみるのです。
私たちは過去に縛られることがあります。特に経験を重ねていくと「自分の経験では……」とつい考えてしまいがち。でも新しいことを考えるには、経験が邪魔をしてしまうことがあります。
■改善からイノベーションは生まれない
大切なのは「ゼロベース思考」ですが、そう考えるためにも「狂う」がキーワードになります。
仮に、ぶっ飛びすぎたアイデアだったとしても、そこからマイルドにできるし、本当にぶっ飛びすぎていたら実行しなければいいだけの話です。
最初から枠を作って考えてしまうほうが、余程もったいないのです。
イノベーションは、より良いものに改善していくような連続性の中ではなく、非連続的の中に現れると言います。
よく聞く例としては、馬車から鉄道や自動車は生まれなかったという話があります。馬車を何台繋いでも機関車にはならないし、馬車のお客(クライアント)にニーズを聞いても自動車という発想は出てこない。
いくら馬車を改善や改良しても、鉄道や自動車というイノベーションは起きなかったということです。
新しいことにチャレンジするときは、既存の延長線上で考えるのではなく、ぶっ飛んだアイデアと行動が必要になってきます。
私たちの多くは、そんなにぶっ飛んだ人たちではありません。
だからこそ、ちょっとイケてるアイデアではなく、「狂ってるアイデアかどうか?」くらいに考えたほうがいいと思うのです。
私は『論語』の次の言葉が好きです。
子曰く、 吾十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑はず。 五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。 七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず。
40歳になると「不惑の年になりましたが、まだまだ迷ってばかりです」と話す人は多いですが、私が好きなのは最後の「七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」というところ。
この意味は「70歳ともなれば、心の欲するままに行動しても道理を外れることはない」ということ。
もっと若ければ、欲望のままに行動したら道理を外れてしまうかもしれないけど、70歳ともなればいくら好き勝手にやっても道理は外れないという意味です。
同じ理屈でノベーションを起こしたり、新しいチャレンジをするときは、狂うくらいの意識でいるべきだと思うのです。
■チャレンジは20~30代だけのものではない
年を重ねたら「自分ももういい年なんで……」と落ち着いてしまう人の、なんと多いことか。
新しいチャレンジをしなくなります。そんな人たちに限って20~30代の人たちに向かって「若いんだから、もっとチャレンジしなきゃダメだよ!」なんて言っていませんか?
ということで、これからのベテラン世代には「Go crazy!」をオススメしたいと思います。