“死のプロデュース”を手掛ける医師が語る「日本人が失った死生観」と今こそ必要な【死の教育】とは

“死のプロデュース”を手掛ける医師が語る「日本人が失った死生観」と今こそ必要な【死の教育】とは(ヨガジャーナルオンライン) – Yahoo!ニュース

思い込みにとらわれがちな私たちが、それらを手放し、本来の状態に戻るためのヒントや、私たちの内側に広がる、未知な部分、可能性、平穏…を見つけるための考え方を、様々な専門家のお話を伺いながら探っていく連載企画『インナージャーニー(内なる探求)』。

第2弾は、ドクターの道下将太郎さんのインタビューをお届けします。

【写真】“死のプロデュース”を手掛ける医師が語る「日本人が失った死生観」と今こそ必要な【死の教育】

私たちが恐れ、ネガティブなものとして捉えられている“死”というもの。死をしっかりと見つめることにより、今を豊かに生きることができると、医師の道下将太郎さんは仰います。

脳神経外科医として多くの死に立ち会い、その経験を生かし、現在“死をプロデュースする”活動を行っている道下さんより、死から生を見つめる人生観をお伺いしました。

■理想の死は「畳の上で死ぬこと」

ーー道下さんが代表を務める自由診療のAFRODE CLINIC(アフロードクリニック)は、「 “A”live “fro”m “de”ath」からなる造語で、「死から生を見つめる」という人生観を表現しているそうですが、道下さんは死をどのように捉えているのでしょうか?

道下さん:誰かが亡くなったときに、圧倒的によく聞く言葉は、「〇〇さん可哀想」「〇〇さん死んじゃった」なんですよ。僕はたくさんの死に立ち会ってきましたが、可哀想じゃない死もたくさん見てきています。「生まれちゃった」とは言わないのに「死んじゃった」って言うんですよね。そのネガティブな言葉に僕はすごい引っかかってて、(死ん“じゃった”わけじゃないんだけどな)ってすごく思っていたんです。 人間の最後の「死」がネガティブに捉えられていたら、自分の子供とか、これから生まれてくる子供たちが、日本で生きていきたいと思えないなって感じたんです。

その「死」のところが、ものすごくハッピーになったら、(こんな人生でよかったな)と感じることができる最期を迎えられると思ったのが、僕が現在している活動の動機の全てです。

僕は医療技術を学びにハーバードに行ったんですけど、7、8年前ですが既に海外のトップの外科医が、死の向き合い方について議論をしている世界だったんですよ。

そこでは「理想の死とは何なのか?」という議論が行われていたんです。日本人が僕しかいなくて、300人ぐらいの、様々な人種がいるような場で、結局出てきた答えが「畳の上で死ぬ」だったんですよ。アメリカでですよ。

ーーへぇぇ! ベッドの上で死ぬ、ではなくて畳の上だったんですね。

道下さん:そうなんですよ。面白いですよね。ここでの「畳の上で死ぬ」ということが何を示しているかというと、日常の中の一つとしての死、ということなんです。

死ぬ瞬間という一点ではなく、死まで向かっていく過程も含めて、家族が共有し受け入れて向き合う、それを次の次の世代とも共有する、といった死というものの周りを取り巻く事象までを含めて向き合うことが、理想の死の在り方であると。

その時に僕は、「将太郎は日本人でしょ? 日本では実際どうなの?」と問われたんです。

僕は答えました。「今の日本は全然違う、そこからかけ離れている」と。僕らが元々築いていた大切なものがいつの間にか失われて、アメリカはそれを求め、その方向に向かっていっているという、特殊な構造になっています。そこで、日本での死との向き合い方を、再構築しなきゃいけないと考えました。僕の中でそれを「死のプロデュース」と呼んでいるんです。

■納得して死を迎えられるための「死のプロデュース」

死って正解がないし、いろんな勉強をしても自分は1回しか経験できないわけです。だから正解もわからない。僕はもう数百という死を見てきているのですが、唯一そこにあるのは納得できるかだけなんですよ。

納得解、と呼んでいます。その納得解は、亡くなる人はもちろん、家族も、僕らからすると医療者もそうなんですよ。

取り巻く方々全員が納得しないと、死というものが、「死んじゃった」になる。

そうすると、その死を振り返れなくなるんです。「死」って、死んだ時と、忘れられた時と2回あるって言うじゃないですか。

通常忘れないんですけど、その死に納得して家族が向き合えないと、蓋を閉じちゃうんですよね。

僕はそれをしっかり開いて、その方が亡くなった後も、中を見せられる状況にしたくて、その環境をこの方が亡くなるまでに作っているというイメージです。

なぜか日本人って、死に目の一点、「何時何分何秒に亡くなりました」に立ち会えないと、死に対する納得を、家族は得られないんです。

けれど死に目って“目”なんですよ。言葉って面白いですね。

目って点じゃなく、両端が尾を引いている形じゃないですか。そのど真ん中が死ぬ瞬間で、死を意識し向き合い始めたところも死で、亡くなった後も死なんですよ。

グラデーションになっているんです。死んだ瞬間の一点ではなく、そこに向き合っているかは本当に大事なんです。

そこに向き合ってもらっている僕の患者さんのご家族の場合、亡くなる瞬間にその場に立ち会えなくても、全員納得しています。

「亡くなったんですね、つらくなかったら良かった、どんな最期だったんでしょうか?」と言えるような発想ができます。それが死に対する教育だと思います。

■今を豊かに生きるための「死の教育」

ーー実際どのように、死の教育をされているのでしょうか?

道下さん:病院って生かす場所だと、多分皆さんが判断していると思うのですが、死に向かっていく場所でもあるんですよ。例えば事故とか病気とかで、病院に来た方が亡くなるまでの時間が、最短だと、10分20分の人もいるし、1時間2時間の人もいれば、数週間の人もいる。

通常のドクターはそこで「死」についての話をしないんです。

例えば、余命を伏せてほしいと思われる方がいるのと一緒で、死を意識させないことも多いと思います。僕はものすごく解像度を高く、死を意識させるようにしています。

あなたは1週間前後で亡くなる可能性が高い。こうなって、こうなって、こんなふうに亡くなって、亡くなった後はこんなことになっていくだろうと。そのときに、残される方たちに、何か残したいことはある? もしくは、葬式といういろんな人に見られる最後の場で、どんなふうに見られたい?とか、棺桶の中に何を入れたい?とか。

他にも奥さんとの馴れ初めや、今まで歩んできた道など、すごいディープなところまで入って、僕は全部聞くんですよ。

そうすると、医者としてではなく、いち人間として向き合うことができます。

これから訪れる死を納得してハッピーに迎えられるように、また、周りの方がどうやったらこの死が無駄と思わないかを、この方が向き合えるようにサポートするんです。

人より多く死を見ていますからね。 死をほとんどの方がネガティブに捉え、あと1週間だ、あと6日だ、あと何時間だ……とばっかり考えるわけです。

もしそれを考えることで、寿命が10年延びるなら考えた方がいい。

でも変わらないですから。もし1日延びたとしても、その時間を死に怯え嘆いて過ごしては意味がありません。

「今嘆いてる時間を、全部ハッピーなことに費やした方が、楽しい思い出を作れるから、そうした方がいいよ」って僕は言うんです。

もう治らないし、死ぬからって、伝えるようにしています。

例えば死なないまでも、障害が残ったりしたとき、みんなは時間が解決するって言うんです。

そう言わざるを得ないことも多いでしょう。でも時間がたっても解決はしないことは多いです。

その深刻な現実を目の前で伝えるのがしんどいので、ドクターは言わないんですよ。

良くならないことがわかっていたら、僕はしっかり伝えます。良くならないから、良くならないことをなるべく早めに理解して、そこから先の人生を歩んだ方が、楽しく過ごせるっていう発想ができるようにお話しします。

ーー真実を把握させて、その中で今をどう充実させていくかっていうところに持っていくんですね。それはご家族にも同じようにお伝えしていますか?

道下さん:しています。本人だけでなくご家族も一緒にいる場でもお話をします。基本お互いが全部同じ情報を持っていると思って話してください、とお願いしています。

僕は全てのことをどちらにも全部お話しします。伝え方や理解のさせ方を変えるような話し方をすることは意識していますが。

■日本人が失った大切な死生観

ーー先程、元々日本人が持っていたにもかかわらず、失ってしまった大事なもの、というお話が出てきましたが、何を失ったのか、なぜ失われていったのか、道下さんの考えを教えていただけますか?

道下さん:僕らは、核家族化していったこともあり、死が遠くなったんです。昔は日常の中に死がありました。以前の日本では、例えば隣の家の方が亡くなったら、ドアが開いていて、近所の人が一日中行き来してお葬式の準備をしたり、子供たちも自由に出入りしてたり、〇〇さんが亡くなりましたということが、町全体の祭りごとだったんです。

いわゆる冠婚葬祭、元服(冠)・結婚・葬式・先祖祭り、葬儀も祭りごとだったんです。

日本の伝統は全部これになぞられていて、その儀式があって、それにまつわる職人さんがいたんですけど、そうではなくなっていった時に、死が身近な人が亡くなったときにしか出会わない、遠いものになっていったんです。

生活の中で触れる機会がなく、自分の中でそれを意識して生きることもないので、遠い存在であり、恐怖に変わっていったんだと思います。

ーー患者さんの死に向き合うこと、患者さんに死と向き合ってもらうことは、とてもエネルギーが必要ですし、勇気がいると思います。だからこそ避ける医者が多い中で、道下さんが向き合おうと思ったのはなぜでしょうか?

道下さん:僕は、多数の尊敬する名医の前で死を見てきましたが、本当に自分の妻や母を任せられるか、と考えた時に少し疑問に思うこともあったからです。

すごく尊敬する先輩でも(自分の母だったら、最期の最期は僕がみたいな)と思っちゃったんですよ。そこだけです。だったら解決しなければいけない。

ナルシシズムでそれを言っているだけじゃなくて、体系化しなきゃいけないと思ったので、ビジネスとして形にして世に出したいと思って動いています。

ーー自分の大事な人を任せられる医療をやろうということですね。

道下さん:そうですね。あとは“どうせ死ぬしなあ”っていうバランス感覚が僕にはあるんです。

どうせ死ぬんだったら、その「死」がハッピーな方が絶対にいい。人生のエンドなので。

亡くなったことに納得がいかず、「なんで!?」と苦しんでいる姿を見ていたらもちろん辛いです。

お話ししたように、僕は患者さんも家族も納得して死を迎えられるように、コミュニケーションを取ります。

例えば死ぬ寸前だったとして、泣くのは感情の変動なのでもちろんですが、ずっと悲しんでいてもそれでその人の死期が延びるわけじゃない。

そのときに僕は、この方たちが生きていた証しを残せるような、納得して死を迎えられるような話をしますし、シチュエーション、環境を作ります。

なので僕は、今まで自分が引きずられるような死は一度もないんですよ。

お話を伺ったのは…道下将太郎さん 脳神経外科医師/環境宇宙航空医学認定医/メディカルスタイリスト。2020年、死や障害に対して前向きに豊かな時間を作るサポートをする、株式会社Re・habilitationを創業。同年、表参道、銀座、新橋など、トータルコーディネートのクリニックを、AFRODE CLINIC含め複数展開。2022年MS法人Medical Wellness Partnersを創業、東京慈恵会医科大学脳神経外科を退局。2022年、死装束などを手掛けるArt×Medicalをテーマとした31プロジェクト進行。薬の処方・手術をするだけではなく、様々な”選択肢”を提供する新たな形の医療を創造している。

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