終末期医療への意思表明がしにくい日本の実情

終末期医療への意思表明がしにくい日本の実情(Wedge(ウェッジ)) – Yahoo!ニュース

「私、回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去以外の延命医療は辞退致します」―――。

名刺の余白に手書きした。筆者は評論家でNPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長の樋口恵子さんである。現在91歳。

名刺には、2014年1月13日の記入日と樋口さんのサインが印と共に並ぶ。

樋口さんが延命医療の拒否を決意したのは、24年前にパートナーの終末期を見ていたからだ。言葉がなく、瞬きしかできない寝たきりの状態が3年間続いた。  

「私自身がそのような状態になるのが嫌だった」。そこで「お任せデス(死)でなく、自分でデスを考えよう」として、名刺に記入した。いつでも携帯し、いざという時に医師に見せられる。

広がりつつある「リビングウィル」

 樋口さんのように考えている高齢者は多い。

 厚生労働省が8カ月前に実施した「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」(3000人が回答)では、人工呼吸器や胃ろう、経管栄養などの延命治療について「望まない」は50%前後に達し、「望む」は10%前後に過ぎない(図1)。

しかし、病院での延命治療は行われている。

医師に「望まない」と意思表示するのが難しく、また話が出来なくなる状態に陥る可能性もある。

 では、どうすればいいのだろうか。実は、「リビングウィル」という方法がある。

生前の(リビング)意思表明(ウィル)の文書である。延命処置による苦痛を避け、安らかな死、即ち自然死を求めるものだ。

欧米では人権に基づく患者の権利として法整備されているが、日本ではまだまだ立ち遅れている。

 自治体や地域医師会が作成したり、入院時に終末期医療の選択肢を問う病院は増えてきたが、ホームページなどで内容を公表しているところは数少ない。樋口さんの手書き名刺はリビングウィルの一例だが、多くの人はなかなかそこまで思いつかない。

住民主導で意思表明手法を確立

高島平第2層協議体が作成したリビングウィルカードの表と裏。二つ折りにすると名刺の大きさになる

 この4月、リビングウィルを独自に作成した住民団体が現れ、注目されている。

医療団体が直接関わらない地域住民だけで制作するのは珍しい。無料で地域住民に配布し始めた。

手掛けたのは「高島平第2層協議体」である。

 協議体とは、聞きなれない用語だが、実は介護保険制度に基づく活動団体である。

改正介護保険法で15年から「地域支援事業」の中に位置付けられた「生活支援体制整備事業」の地域団体である。

市区町村の保険者ごとに第1層協議体が設けられ、その地域内に複数作られるのが第2層協議体だ。

「地域住民が日常的に交流を深め元気に暮らす」との狙いで、保険者の責務となった。

 高島平第2層協議体は、東京都板橋区内の18の第2層協議体のひとつ。大団地がある高島平地域や高島平駅北側の新河岸地域などが対象地区である。

民生委員をはじめ町内会、自治会、地域包括支援センター、介護事業者、板橋区社会福祉協議会、それに高齢住民など14人で構成する。

 制作したリビングウィルは、A4版16頁の「高島平版エンディングノート」とセットで構成。

エンディングノートは、自分の交友関係や利用中の介護事業所、医療機関名、葬儀の形式や埋葬の希望法などを書き込む。

 一方のリビングウィルは、延命処置と緩和ケアを「希望する」か「希望しない」の選択欄を設けた。

希望する方を選ぶと、次に胃ろうや点滴、人工呼吸器、強心剤、人工透析など具体的な11の処置について、希望の有無にチェックを入れる。

 二つ折りにすると名刺大になり、財布などに納めて携帯しやすい。もしも、外出先などで倒れて意思疎通ができなくなっても、医療関係者に自分の要望を伝えられる。

 実は、毎月開く同協議体の定例会で、一人暮らしの出席者が「急に倒れて話せない状態になっても、チューブだらけの延命処置は嫌です。でも、その気持ちをどうしたら伝えられるのか分からず、困っています」という悩みを訴えた。

その解決策としてリビングウィル作りが始まった。

 同協議体では、5月初旬に高島平区民館で住民向けの説明会を開いた。地元の趣味サークルの活動者を中心に声掛けしたところ、150人近くが集まり関心の高さがうかがえた。

その後、板橋区医師会病院や高島平中央総合病院など近隣の病院を訪ねて趣旨を説明し、カード持参者への対応を要請した。

欧米と異なる最期への選択

 リビングウィル作成で先行した中に京都府の宇治久世医師会(宇治市、城陽市,久御山町)がある。

17年に冊子「わたしの想い(事前指示書)」を作り2万部を配布、住民説明会も開いた。

 「これまで在宅医として訪問時に10人ほど記入者に出会った。ガン末期などの方で『特別な処置をせず、自然に任せたい』という欄にチェックされている方が多い」と堀内房成医師会長は話す。

 高齢者施設の大手、SOMPOケアでは21年1月にリビングウィルを含めたエンディングノートの「夢結いのーと」を作成、入居者に渡し始めた。88歳の記入者もその一人。延命治療を望んでいたが、この4月にがんが見つかると、自宅で治療しない選択に変えた。入院するとコロナ禍のため家族と面会できなくなることもあるからだ。

 日本で最も早くリビングウィルを提唱してきたのは1976年に発足した日本尊厳死協会である。

「死期を引き延ばすためだけの医療措置は希望しません」「ただし、緩和ケアは充分に行って」というのが同協会のリビングウィルである。全国で約9万人が会員登録している。

 欧米諸国と同様に延命処置の拒否が、リビングウィルそのものだ。ところが、その後、各地で作成され始めたリビングウィルは、延命処置を「希望する」か「希望しない」かを問う選択式を取り入れた。

さらに、個別の延命処置を並べ、その諾否も同時に選択する方式が大多数だ。

09年に作成した聖路加国際病院(東京)の冊子「私のリビングウィル」では、人工呼吸器や胃ろう、点滴などと並んで「自然に最期を迎えたい」の項目があり、それぞれ諾否を選択する。

京都市や宮崎市、宇治久世医師会、東京都豊島区などのリビングウィルもほぼ同様な選択方式である。高島平版もそうだ。  

なぜ、日本だけが海外とは異なる選択方式が広まったのだろうか。関係者からは「医療者主導なので延命処置を否定しづらい」「生命軽視と受け取られかねない」「患者の意思決定や権利が確立していないため」という声が聞かれる。

混乱させる「ACP」という考え方

 もう一つ、リビングウィルが抱える課題にACP(アドバンス・ケア・プランニング)との整合性問題がある。

厚労省は18年に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を作成し、そのなかで 海外で普及しているというACPを推奨した。

 ACPとは、本人と家族や担当の医師、看護師、ケアマネジャー、ヘルパーら医療、介護関係者が終末期の迎え方を話し合うことである。

「関係者が繰り返し話し合い、共有する取組み」と厚労省は説明する。

その後、広く行き渡るようにと日本語で「人生会議」と翻訳し、話題を集めた。

 厚労省が1992年から5年毎に実施している「終末期医療の意識調査」という大掛かりな調査があり、その第4回目の2007年度まではリビングウィルへの賛否を質問項目に挙げてきた。

だが、17年度からACPに切り替えた。

そうした厚労省の方針を受けてか、長野県の須高地域医療福祉推進協議会(須坂市、小布施町、高山村)や愛知県半田市では、リビングウィル(事前指示書)を「人生会議で話し合った内容を書き留めておくもの」と定義し関連付けた。

 地元医師会と自治体で19年にリビングウィルを共同制作した長野県松本市では、リビングウィルは「1人で決めない」と強調し、かかりつけ医への相談やACPの開催を呼び掛けている。

 ACPに完全に切り替えたのは国立長寿医療研究センター(愛知県大府市)である。

「終末期の希望調査票」という名称で、人工呼吸器や胃瘻、鼻チューブなどの選択を求めるリビングウィルを明示していたが、10年からACPに移行した。「リビングウィルは終了した」と言い切る。

 リビングウィルの「本家」ともいえる日本尊厳死協会では、昨年11月の改訂版で新たに「医療・ケアの関係者は繰り返し話し合い、私の希望をかなえて下さい」との文言を加えた。

ACPの考え方を取り入れたと受け取れる。だが、複数の人が参加するACPとは異なり、あくまで本人個人の意思表明であることに変わりないと説明する。

医療従事者でも半数以上が「知らない」

 では、厚労省が推奨するACPについて、国民はどのように見ているのだろうか。

 「終末期医療に関する調査」は、第6回目の12年度から「終末期」を「人生の最終段階」と温和な表現に書き換えた。

また、先述の6月に発表された最新の22年度、第8回目調査では、「医療」を「医療・ケア」に変更した上、27の質問項目のほとんどをACPに絞り込んだ。

 ACPの普及に力を入れたい表れだが、その調査結果をみると、同省の狙い通りとはいかないようだ。  

「人生会議を知っているか」に対して、一般国民の72・1%が「知らない」と答えた。

医師でも24・6%、看護師では19・6%にのぼる。

 「聞いたことはあるがよく知らない」と「知らない」を合わせると、一般国民の93・6%に達した。

医師で53・7%、看護師で53・8%といずれも半数を超えてしまう(図2)。

 ACPが公表された18年以降、主導的役割を担う医療関係者の間では研修やセミナーなどで盛んに取り上げ、議論が進んでいるように見えた。

だが、今回の調査では、医師、看護師が共に2人に1人は「よく知らない」となった。驚きである。

 かつて意識調査の質問項目にリビングウィルがあった時に、厚労省は「治る見込みがなく、死期が近い時には、延命医療を拒否することをあらかじめ書面に記しておき、本人の意思を直接確かめられない時はその書面に従って治療方針を決定する方法」とリビングウィルを定義している。

日本尊厳死協会によるリビングウィルと同じ考え方で、「延命医療を拒否」と位置付けていた。

 07年度の第4回目意識調査では、そのリビングウィルに「賛成する」は一般国民で83・7%、医師は93・0%にも達している。いずれもその前回、前々回より増えている。ACPの低い知名度とは雲泥の差である。

ACPにこだわる必要性は?

 15年ほど前までは、リビングウィルにこだわり、国民の大多数が賛意を表明していたにも関わらず、その後、完全に引っ込めてしまった。

ACPの導入が国際的流れと説明されるが、厚労省からはリビングウィルとの関係性、整合性の説明が聞かれない。

 そして、何よりもACPそのものの知名度が低い。元気な状態の時に、医療や介護関係者を集めて会議を催すのはかなり難しい。

要介護状態になっても親密な関係のケアマネジャーやかかりつけ医師がいないと関係者を集めるのはハードルが高い。

 それでも厚労省は、個人が一人で決めるリビングウィルより、医療や介護の専門職が話しあいに加わるのでACPの方が有効、と言わんばかりだ。果たしてそうだろうか。

 「要介護状態になってからACPを開くと、サービスを受けている医療や介護スタッフ、それに家族への遠慮が先立ち、自分の考えを表明し難い」「医師の権威と専門用語に圧倒されがち」という声が高齢者から聞かれる。

 リビングウィルは、個人が将来の終末期の迎え方を熟慮して記入できる。その後、医療やケアを受ける段になってACPの場で問いかけるのが理に適うだろう。

 本人の自己選択、自己決定が何よりも尊重されねばならない。厚労省も「ACPは本人の意思決定が基本」と記している。だが、現実のACPは「みんなで一緒に」という同調圧力に巻き込まれがちである。ACPの前に、しっかりリビングウィルをしたためておくべきだろう。

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